2006年09月09日

かほく市高松町

 明日は、ここで、「第8回鶴彬をたたえる集い」がある。
 初めて今日、生家もあるこの地に来た(今は建て変わったが、その前は通った)。
 市立図書館(ある建物の2階)入り口には、鶴彬の「常設展」があるのに驚いた。
 メールではなじみの、初対面の司書さんにあいさつした。
 ガラスケースの中の鶴彬の貴重な資料を、開けていただいて、手に触れた。
 その後、明日の会場そばの句碑を見た。写真でなく、現物。
 明日を思うと、ワクワクする。
 また明日カキコする。
 
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2006年05月23日

2006/04/06〜05/06/05(更新終了)

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投稿者:木村哲也2006/4/6 21:15
↓を、補足します。

 『鶴彬研究』10号については、当ブログ、昨年5月8日21時17分のところで言及しています。実態は以下のとおり。
 「一」というペンネームで、一叩人と思われる人が、たいまつ社は許可なく増刷販売し、一叩人にはしかるべきお金を回さなかった、という抗議をしています。
 その文章の見出しに、「不正出版」という語が使われているのを、そのままここに紹介しました。
 誤植の多い全集への木村の判断などでは、みじんもありませんので、どうか誤解なく。
 現物を見ていただくのが一番です。
 どなたさまにも、コピーはお送りします。
 以上、念のため。

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投稿者:木村哲也2006/4/6 18:29
ご投稿ありがとうございます。

 記事としては確かに載っています。
 コピーをお送りしてよければ、メールで住所をお知らせください。
 遅れている小生の刊行物、今年は何とか出るでしょう^^;

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投稿者:高鶴礼子2006/4/6 10:07
木村哲也様

ついさきほど、このプログを知りましたもので、すご〜く遅いタイミングのコメント&お問い合わせになってしまったことをお許しください。2003年に鶴彬勉強会なるものが新宿で開催されていたとは知りませんでした。ぜひ参加したかった、と残念でなりません。また、木村さんの、エネルギッシュなお調べには本当に頭の下がる思いがいたしました。ところで、『鶴彬研究』10号のところでご紹介くださった「たいまつ社不正出版」という記事ですが、これは、ほんとにあったことなのでしょうか?(とてもビックリしています。)現在、たいまつ社のことを書いておりまして、すでに入稿してしまった原稿もあるのですが、もしこれが本当だったとしたら、次号以下で触れる必要を感じます。くわしく知りたいのですが、教えていただけないでしょうか。当方、川柳を心から愛する者です。

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投稿者:二健2005/9/19 3:39
◇驚き

ここでは久しぶりの書き込みですね。
盛岡まで足を伸ばされたとは驚きました。
なんとフットワークのよろしいこと。
恐れ入りました。
机上の空論ではない貴重なレポートです。

http://www.ne.jp/asahi/hai/ten/hl12poster.htm

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投稿者:木村哲也2005/9/19 3:30
◇盛岡から

 盛岡の鶴彬の集いに来た。
 昨日、盛岡駅12時半に集合だった。
 佐藤岳俊さんに初めてお目にかかった。
 大阪のあかつき川柳会の方々にも再会した。
 お墓参りをしてから、句碑に集合ということだったらしいが、お墓と句碑の場所は全然違うとか知らされておらず、またタクシーの運転手も不案内で、小生が乗ったタクシーは墓に行けなかった。
 句碑の前での会は、小雨になり、先に献花をして、講演会場に入った。
 40人ほどの参加者だったが、大阪から(小生を入れて)12人、石川の鶴彬ご親族関係が10人弱、他の都道府県からも来ていて、地元が半分以下だった。
 行事開始約30年以来のことだったという。
 深井一郎さんの講演があった。憲法9条がらみを、歴史的に説明するものだった。
 作品が前面に出てこないのが不満だった。
 連作と言うべきを、連句と言っていたのも気になった。
 それが詩を目指していた、というので、大阪放浪詩抄などの詩もあったが、の前置きがないと、誤解されるのでは、と小生は発言しておいた。
 石川のマスコミまで同行していたが、全体的には、主宰者の段取りが悪いように思った。
 ただ、悪意が感じられるとかいう意味ではない。
 懇親会前に墓に寄った。
 懇親会も、ぎゅう詰めで暑かった。
 来年は石川にも行く。
 宙に浮いた著作も、格上の出版社が引き取る形で進行中である。
 おおぜいの関係者と面識ができたのをよしとしている。
 まずは報告まで。

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投稿者:木村哲也2005/6/10 10:30
◇佐藤岳俊『縄文の土偶』

 青磁社、一九八四年。
 いくつかの章に、鶴彬が見える。

 「鶴彬の作品と今日の時代」
 以下の三句を扱っている。
 「凶作を救へぬ仏を売り残してゐる」
 自作と並べて、渡辺順三、栗林一石路の作を論じた句である。
 「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」
 義手、義足を見たことが、岳俊にとって川柳の出発だった、と。
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
 この句を岩手で碑にした、とある。
 
 「川柳の詩について」
 岳俊の自作がたくさん並んだ後で、鶴彬の評論「川柳の詩の贋造について」にもふれている。
 詩人の黒田三郎も出てくる。

 「反戦柳人・鶴彬の墓前にて」
 『川柳東』十八号に、岳俊自身が書いたことと、ほぼ重なる。

 「川柳史の確立による復権」
 十九歳で川柳に志して以来、今でも川柳の歴史性を追求したものがないという。
 その後、鶴彬に出会い、感動した、とある。
 川上三太郎が時事川柳を「消えゆく文芸」としたのに対抗して、末期の鶴彬の反戦川柳を掲げている。

 「鶴彬と井上剣花坊」
 鶴彬が井上剣花坊と出会ったことを、詩に書いていることを紹介し、川柳も引いて、意義あるものだったとしている。

 「鶴彬の軌跡」
 秋山清の『近代の漂泊』で、鶴彬と出会った、という。
 鶴彬の墓が盛岡にあると知って、出かけたことも書かれている。
 鶴彬の「古川柳から何を学ぶか」が紹介される。
 次いで、「井上剣花坊と石川啄木」「井上剣花坊についての覚え書」も出てくる。
 「大阪放浪詩抄」という詩も、小野十三郎の詩集『大阪』の先駆ではないか、と。
 その後は、川柳の大衆的、芸術的表現を鶴彬は論じた、とある。
 木村半文銭とのやり取りについてもふれられている。
 晩年の作の後、前後して、「釈放」後の三行書きの句が引かれている。
 渡辺尺蠖への手紙にふれながら、鶴彬の今日性についてふれて終わる。

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投稿者:木村哲也2005/6/9 18:15
◇山村祐、楠本憲吉『新・川柳への招待』

 日貿出版社、一九八〇年。
 第一部「現代川柳論」の、第三章「川柳小史」の「3 新興川柳とプロレタリア川柳」に登場する。

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投稿者:木村哲也2005/6/9 15:09
◇佐高信「サントリーは文化企業か?」

 『現代の理論』一九八四年八月号。
 鶴彬とは無縁の話の、最後だけは位置づけて。
 一叩人が書いているのを引用している。
 川柳遊戯者や賭博者がいて、鶴彬の存在が徒労か、と見える反面、若い労働者、学生、学者が学ぶ機運がある、と。

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投稿者:木村哲也2005/6/9 14:50
◇『川柳東』十九号

 一九七三年。
 秋山清「「喜多一二」であった「鶴」のこと」
 前号掲載予定が遅れた、と。
 同じ職場にいた元アカハタ記者が、鶴彬を心配していた、という。
 三人でコーヒーを飲んだ、とかある。
 鶴彬の「しゃもの国綺譚」を読んだ感想を『川柳界』に書いてほしい、と鶴彬自身に頼まれたと。
 秋山自身も、警察ににらまれていたと。
 事実と違うことが、鶴彬について書かれるのはたまらない、とも。

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投稿者:木村哲也2005/6/9 14:42
◇『川柳東』十八号収録分

 一九七三年。ガリ版。一叩人の編集か。
 三十五回忌での文章。
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の句が、一字ずつ、ページ下に入っている。

 渡辺尺蠖「鶴彬の思出」。
 出会いのことを思い出している。
 出会った人は皆、鶴彬にたたかれたのに、自分はそうではなかったと。確かに。

 山本浄平「母上の声」
 川柳人の鶏牛子が、鶴彬の足を引っ張ったのが残念と。

 相沢学人「鶴彬の一生」
 鶴彬は二十九歳で短命、と。

 中山仮面坊「鶴に贈る花束を…」
 鶴彬との出会いと別れ、自分の句を批評してくれたことなどが書かれている。短冊や掛け軸を持っているとも。

 中村秀子「幼き日の喜多さんの印象」
 手紙の転載である。
 見覚えのある人の死、と。
 
 佐藤岳俊「鶴彬の作品に触れて」
 戦争と戦った鶴彬だったが、死なせた罪は現代川柳にも問われるべきと。川柳界に戦争責任は問われなかった、と秋山清が言っている、とも。

 坂井つくづく子「鶴が生きていてくれたら」
 「暁を抱いて暗にゐる蕾」(ママ)が彫られている、顕彰碑の紹介。
 「この悪政 一声聞きたい鶴の声」という自作句で終える。

 岡田一と「鶴彬三十五回忌に捧げる」
 川柳界以外の人たちが鶴彬を発掘してきたが、主観的断片的と。
 個人的には、主観的断片的なのは、川柳界の人たちも変わらないように思うが。
 ガリ版全集の紹介である。
 当時としては画期的でも、とにかくテキストがきちんと引かれていないのは、だめである。

 佐藤冬児「丸太ん棒以下」
 傷痍軍人と身障者の年金の差別の話が出てくる。
 鶴彬についていいことを書いている人だが、体が悪いとは知らず(本質論ではないが)。

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投稿者:木村哲也2005/6/5 17:15
◇『俳句研究』掲載分

 5月7日16時38分。

 壺井繁治「鶴彬と現代」
 鶴彬の作品を、「たんに「反戦的」だからいいというのでなく、そういう主題を高い芸術性にまで結晶しているという意味でもすぐれている」と言っているところを引いておこう。

 佐藤冬児「鶴彬はいまも生きている」
 「転向」が話題となり、それが含まれる句は二句だけ、とはそのとおりであるが、次の句も思い出しておきたい。

 目かくしされて/書かされてしまふ/  書

 「転向書」である、というのが定説の、九年一月の句である。
 末尾に、川柳約三〇〇句、詩二篇、評論約一五章、と言っているが、全集刊行前の昭和四十年では、そういうものだったかもしれぬ。

 横山林二「川柳リアリズム宣言 ある日の鶴彬」
 無季俳句が出現し、川柳との関係が問題となる。 橋本夢道も出てくるが、鶴彬と同時人だった横山は俳人である。川柳を摂取することが、俳句の近代化につながる、と書き、俳人からはやや批判されたが、鶴彬からは、好意的であったという。
 同時代人らしい、鶴彬の生の姿が書かれているが、あえて略す。

 石原青竜刀「鶴彬作品の不滅の光」
 初期の作品は手に入らぬと言いながら、その後の作品を、田中五呂八ふうのものと、鶴彬を主張するもの(プロレタリア川柳開眼以前)に、分けている。
 いずれにしても先覚者、と。
 ガリ版全集以前の、「県民の友」掲載分の句を引いてくる。
 連作でも、単独でも読め、また定型から脱し、短詩文芸の口語表現になっている、とほめあげている。

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投稿者:木村哲也2005/6/5 15:47
◇宮本又久「大正期の仏教と民衆文学――暁烏敏と喜多一二」

 5月7日16時25分に書き込み。
 なぜ、鶴彬に「なる」前に絞って、こういう視点で扱うかは、正直言ってよくわからない。
 旧版全集も出ていないころだけに、なお、特に初期のことは知られていなかっただろう。

 さて、むしろ気になったのは、鶴彬の作品とされているが、初見(?)のものだ。
 
 有りあまる力は空(くう)を抜けて行き (大十三?)
 眼へうつる堕落の渕の美しさ (大十四?)

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投稿者:木村哲也2005/6/5 13:50
◇新聞記事

 有用な記事もあるが、これもややきりがない。
 一九九九年十月二十一日『北陸中日新聞』には、深井一郎が『反戦川柳作家 鶴彬』で泉鏡花記念市民文学賞を受賞したという記事が載っている。

 石川県で、九月の命日に「鶴彬をたたえる集い」があると、新聞記事になるようだ。
 その前に、案内記事が出ることもあるらしい。

 一九七七年九月六日には、たいまつ社版『鶴彬全集』が出たことが、朝日新聞に掲載されている。

 その程度に理解しておく。 

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投稿者:木村哲也2005/6/5 13:34
◇奥美爪露(みかろ)『石川近代川柳史』

 川柳甘茶くらぶ、一九九二年。
 もう少しは有効な資料か。

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投稿者:木村哲也2005/6/5 13:31
◇『軌跡・石川の近代文学』

 石川近代文学全集別巻。一九九八年。
 これも同様。

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投稿者:木村哲也2005/6/5 13:29
◇伊東享司『川柳を楽しむ』

 葉文館出版、一九九六年。
 多くの川柳人に混じっての収録。

 しかし、一級の資料ではないし、こういうのまで集めだすときりがない。

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2005/05/31〜17

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投稿者:木村哲也2005/5/31 20:39
◇佐藤岳俊「種田山頭火と鶴彬」

『川柳はつかり』、号数不明。
 鶴彬の句。

 万才とあげていった手を大陸において来た

 山頭火の句。

 足は手は支那に残してふたたび日本に

 銃後の作品における、川柳の優越性を、岳俊さんは説いている。
 山頭火や放哉の後に、栗林一石路(誤植あり)や橋本夢道、と言っている。
 鶴彬のふれられかたが不当に少ないことも併せて、鶴彬は不遇だったと言っている。

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投稿者:木村哲也2005/5/31 17:51
◇『月刊川柳マガジン』

 二〇〇三年八月号に、佐藤岳俊「鶴彬 反戦平和を叫びつづけた川柳作家」が載っている。
 鶴彬だけでなく、著者の肖像も。
 晩年の様子と、盛岡の句碑と鶴彬祭の様子が書かれている。

 なお、二〇〇二年八月号には、「鶴彬川柳抄」がやはり佐藤岳俊によって載せられている。

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投稿者:木村哲也2005/5/31 17:15
◇グループ演劇工房第11回公演「手と足をもいだ丸太にしてかへし―鶴彬の生涯」

 ビデオも見た。
 台本の巻末に参考文献がある。

 ただし、渡辺尺蠼『井上剣花坊』(柳樽寺川柳会、一九七〇年)などのように、挙がっていても直接の資料とは言えないものもある。
 そのことを確認したもの(資料そのものがB級、とは言うつもりはないが)。
 田辺聖子『古川柳おちぼひろい』(講談社文庫、一九八一)
 中野重治『わが生涯と文学』(筑摩書房、一九七九)
 梨木作次郎『ある法廷から見た昭和史』(白山書店、一九八八)
 吉川英治『忘れ残りの記』(平凡社、一九八〇)

 よって、その他で、あえて入手を見合わせているものもある。
 高橋監修『風雪の群像』(こぶしの会、一九八二)
 河田禎之『城西消費組合』(労働旬報社、一九九四)
 『新井徹の全仕事』(創樹社、一九八三)
 『獄中の昭和史』(青木書店、一九八六)
 大谷敬二郎『昭和憲兵史』(みすず書房、一九八七)
 小野義彦『「昭和史」を生きて』(三一書房、一九八五)
 『石川県労働運動史』上下 (一九七八)
 『石川警察史』上下 (一九七五)
 「憲兵資料による反軍運動」、『現代史』一九七四夏季特別号

 さて雑誌『川柳東』収録分は、保存状態が悪いがコピーOKが出た。いくつもあるらしい。
 関係者へのインタビューは、個人的にはあまり関心がない。

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投稿者:木村哲也2005/5/31 16:04
◇『鶴彬研究』その後(4・終)

 三十八号、一九八九年六月。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(10)」

 三十九号、一九八九年八月。
 「原爆忌」(一叩人?)
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(11)」

四十号、一九八九年十一月。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(11)」

 四十一号、一九九〇年二月。
 一叩人「「無知なままで」のこと」――鶴彬と中野重治」(『長周新聞』3849号から転載)
 
 四十二号、一九九〇年五月。
 一叩人「敬意と、共に闘う決意を」
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(14)」
 一叩人「川柳と天皇制」
 
 四十三号、一九九〇年八月。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(15)」
 
 四十四号、一九九〇年十一月号。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(16)」
 一叩人「川柳と権力」(『長周新聞』一九九〇年一月一日の転載)
 
 四十五号、一九九一年二月。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(17)」
 一叩人「川柳文学の新針路」(『長周新聞』一九九一年一月八日の転載)

 四十六号、一九九一年五月
 西巻信行「鶴さんの嘆息」
 白眼派「川柳文学論」(『中日新聞』「大波小波」一九九〇年十二月二十五日の転載)
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(18)」

 これで終刊の様子。

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投稿者:木村哲也2005/5/31 15:00
◇『鶴彬研究』その後(3)

 三十三号、一九八八年二月。
「ある諫言 川柳文学更生の為に」
(読者の投稿。変容した『鶴彬研究』を購読中止したいとの意図を読んだ)
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(5)」

 三十四号、一九八八年五月。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(6)」
 (前号「ある諫言」に平伏する三人の意見表明掲載)

 三十五号、一九八八年八月。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(7)」
 
 三十六号、発行年月日なし。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(8)」

 三十七号、一九八九年二月。
 秋山清(?)「鶴彬さんと人・人・人」
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(9)」
 池永龍生「反戦反骨の作品をこそ(上)」(『鉄道川柳』二〇四号、一九八八年十一月から転載)
 池永典男「反戦川柳作家鶴彬と作品」(S57・6・1)
 酒井路也「反戦作家鶴彬―断片」(『川柳せめんだる』二七八号、一九八八年九月号から転載)
 立木健之「鶴彬」、(『あゆみ』三十六号から転載)
 長周新聞への『反戦川柳人鶴彬研究』三十四号、三十五号、三十六号の紹介記事

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投稿者:木村哲也2005/5/31 14:42
◇『鶴彬研究』その後(その2)

 二十三号、一九八五年八月。
 ↓の「川柳の原典は?」は、こちらの号に収録の誤り。
 他には、佐藤冬児の死がふれられている以外、直接関係の記事はない。

 二十五号、一九八六年二月。
 「未発表の直筆 49年ぶりに発見」(一叩人?)
 「鶴彬全集出版の後」(一叩人?)
 「新興川柳に就て」の当時の活版が転写されているが、読みづらく、意図不明。

 二十七号。一九八六年八月。
 関連記事は見当たらず。

 二十九号、一九八七年二月。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(2)」
 (「半島の生まれ(連作)」が横向きで転載)

 三十号、一九八七年五月。
 関連記事は見当たらず。

 三十一号、一九八七年八月。
 中西ホクセイ「闇と雪の下で(3)」

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投稿者:木村哲也2005/5/31 14:10
◇『鶴彬研究』二十一号

  一九八五年二月。
 「広がる鶴さん」
 鶴彬の肖像(「あらはん」一九八三年八月号表紙の転載)の他、以下の関連記事の転載。
 半藤一利「戦う街頭の芸術・川柳作家」、『あらはん』同上
 柏原幻四郎「丸太にしてかへし」、『番傘』一九八四年七月号
 畑晩菁「反戦川柳人の鶴彬によせて」、『赤旗』読者の広場、一九八三年十月六日
 佐竹観光「「時事川柳」強化し保守政治に一矢を」『社会新報』読者のひろば、一九八四年七月七日
 佐藤冬児「「おしん」の故郷」、『月刊ダン』一九八四年十一月
 斉藤大雄「手と足をもいだ丸太にしてかへし」、『川柳さっぽろ』一九八四年九月

 他に、佐高信「サントリーは文化企業か?」、『現代の理論』一九八四年八月、もありと言及。
 転載でなく、巻末に以下の記事。

 「川柳の原典は?」(一叩人?)

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投稿者:木村哲也2005/5/31 13:45
◇『鶴彬研究』その後

 飛び番号は未見。
 十七号、一九八四年二月。
 「「人災」を叩いた鶴さんの作品」(一叩人?)
 十九号、一九八四年八月。
 雪江武司「川柳の反戦詩」(全国商工新聞一九八四年二月十三日転載)

 さすがにこれではまずいと見たのか、二十一号は様子が違う。

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投稿者:木村哲也2005/5/31 11:11
◇『鶴彬研究』十三号

 一九八三年二月。
 前言訂正。前後して発見。
 
 一叩人「鶴彬研究会の歴史」
 これまでの同志が離反していった経緯が細かに書かれているが、はっきり言ってがっかりする。
 雑誌運営では、絶えずいろんなことがある。
 あるいは、それ以外でも、同じ作家を同じく好きなはずどうしの者でも、うまくいかないこともある。
 考えは合わなくなっても、それぞれに悪口は言わずにやるのが、その作家への、その道を志すものの使命と思うことを、むしろ痛感させられた。

 一叩人「評伝「反戦川柳人鶴彬〜一叩人著」について」
 一叩人「丸太の碑心の手足もいで建て」 
 (伴野有市郎「ローマ字運動の歴史と岩手」)

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投稿者:木村哲也2005/5/31 10:49
◇『鶴彬研究』十六号

 一九八三年十一月。
 丸岡英敬「評伝・鶴彬を読んで」
 一叩人「必死の反戦川柳作家 鶴彬から学ぶ」
 乱鬼龍「鶴彬は生きている!」
 谷口茂子「一叩人 著 反戦川柳人 鶴彬」
 「(川柳公論一九八三年九月号記事 反戦川柳人 鶴彬 書評)」
 「(川柳新聞八月十一日号記事 反戦川柳人 鶴彬 書評)」
 「人民解放に捧げた生涯」(『新生』九十六号一九八三年七月十五日)

 転載記事ばかり。著作権が心配。

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投稿者:木村哲也2005/5/31 10:42
◇『鶴彬研究』十五号

 一九八三年八月。
 「鶴さんと戦争」(一叩人?)
 「評伝・反戦川柳人鶴彬を手にして」
 (小沢信男、紀田順一郎、佐藤冬児、他、計十一人。北陸中日新聞記事)

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投稿者:木村哲也2005/5/31 10:38
◇『鶴彬研究』十四号

 一九八三年五月。
 十三号は未入手。
 以下の号は、見たことがあるものについて、鶴彬関係の記事のみの目次とする。
 見るべきものは少ない。

 喜多一二「新興川柳断片箇条書」
 一叩人「創始川柳はプロレタリア文学」
 一叩人「鶴さんとメーデー」
 一叩人「評伝〜反戦川柳人鶴彬」
 鶴彬「サムライ」(詩)

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投稿者:木村哲也2005/5/30 22:02
◇高鶴礼子「青の峻列」

 『詩人会議』二〇〇一年一月号。
 共産党の雑誌の著者である。
 短詩系文学の一つとしての川柳を誤解なく認めてもらいたいとして、鶴彬について述べ始める。
 「激しい」という形容である。
 略伝が続くが、井上剣花坊との関係が、わかりやすく述べられている。
 半文銭と五呂八と森田一二との関係も、はっきり書かれている。
 晩年の人生も、はっきり書かれている。
 鶴彬の死が、新興川柳運動の落日、という終わりは、やや大げさか。

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投稿者:木村哲也2005/5/30 21:38
◇澤地久枝「反戦川柳人 鶴彬と一叩人」

 「遠い日近いひと 7」『諸君』一九九六年八月号。
 現存する鶴彬の絶筆のハガキから始まる。
 伝記の空白期二回について。
 ただし、澤地は伝記の一人歩きを嫌っていたことを思い出したい。
 評論を時代に位置づけて、扱っている。これは意外と鶴彬に関しては珍しいことである。
 自作を引き合いに出して、他人の作を批判することを、澤地はややいさめている。

 旧版全集の編者、一叩人について書かれ始めるが、後の新版全集でとは違って、まだ好意的である。
 ガリ版で復刻をしたことはいいが、間違いだらけを活版全集まで引きずってきたことは、ほめられない、というのが小生の立場であるし、間違いが多いことは、澤地も後にこぼしている(この記事の段階では、また全集を出す必要がある、という程度であるが)。
 『鶴彬研究』などに澤地がふれないのも、その内容を知って、好意的になれない、と理解しておく。

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投稿者:木村哲也2005/5/30 20:13
◇玉井克輔「川柳を武器に天皇制軍国主義と闘った川柳人鶴彬の短い生涯」

 『まなぶ』五百四十八号、二〇〇三年十月号。
 よくある、と言っては失礼ながら、略伝である。
 特に新しい情報はない。
 筆者は、元労大専任講師、とある。

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投稿者:木村哲也2005/5/30 19:54
◇『川柳人』

 佐藤岳俊主宰の月刊川柳雑誌。
 二〇〇五年五月で八百六十一号である。

 五月号巻頭には、広田仁吉の「鶴彬論」が『川柳ジャーナル』に載っているとある。

 大塚ただしの「川柳の歴史を正しく伝えていこう」では、匿名ながら、共産党の雑誌『女性のひろば』に高鶴礼子が「川柳はないちもんめ」で、鶴彬について述べたことへの異議を唱えている。
 はたして、二〇〇四年三月号を入手した。
 「反戦川柳作家」という呼び方についての感じ方の問題であるが、まあ、高鶴のほうが旗色が悪そうな気はする。

 同じ記事の中で、昨年暮れに出た佐藤美文『川柳文学史』(新葉館出版)の批判もしている。
 はたして、現物を見てみたが、これも大塚の肩を持っておく。ただ、鶴彬についてだけ不当な扱い、というわけではなさそうだが。

 三月号は「特集 鶴彬と戦争」である。
 別掲の著作でも、小学生に鶴彬の感想を書かせていたが、どのように何を配付して教えたかが不明で、個人的には関心が持てない。
 一回の授業だったらしい、と想像できたが。
 また、大塚ただしの文に、鶴彬が出てくる。

 一月号にも、小学生の文章あり。
 また、大塚ただしが、大阪のあかつき川柳会の句集『あおぞら』についての感想を述べている。選句の仕方について述べられているが、川柳界以外から見れば、さして違和感なし。

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投稿者:木村哲也2005/5/17 10:50
◇『鶴彬全句集』校正中

 新資料もともかく、遺漏もあり。
 随時、ここに発表して、補筆する。

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2005/05/08〜02

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投稿者:木村哲也2005/5/8 22:37
◇以降は

 性格が変わってしまっている。
 十五号では、一叩人「鶴さんと戦争」以外は、一叩人『評伝反戦川柳人鶴彬』関連新聞記事の転載と、読者の声だけである。
 鶴彬の名が出てこない、政治記事の転載が多く占めるようになっている。
 それらは、またいずれ。

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投稿者:木村哲也2005/5/8 22:33
◇『鶴彬研究』第十四号(十三号は未入手)

 1983年5月。
 B5版タイプ3段組、10ページ。

 喜多一二「新興川柳断片箇条書」[旧版全集未収資料、4段組]
 (一叩人「創作川柳はプロレタリア文学」)
 (呆亭悟六(二)B)
 (創作)
 一叩人「鶴さんとメーデー」
 (坂井つくづく子「想い出のメーデー」)
 (原爆の図丸木美術館増築完成)
 (中西ホクセイ「ある仮説へのプロローグ(一)」)
 (平和男「メーデーに想う」)
 [一叩人]「評伝 反戦川柳人鶴彬」[刊行予定遅延のおわび]
 (一叩人[佐藤冬児の書評]「林晴生『いけにえ―恐怖 免罪・梅田事件』」)
 「内海繁評論集―紹介」[一叩人か。「サムライ」という鶴彬の詩を送られた南竜夫が、この内海繁だと]

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投稿者:木村哲也2005/5/8 21:53
◇『鶴彬研究』第十二号

 1982年10月。
 B5版タイプ3段組、8ページ。

 中西ホクセイ「鶴彬に学ぶ」
 長谷川規美子「鶴さんの思い出」
 苔庵とぼけ老人「鶴彬寸描」
 (「鶴彬追悼」二十句)
 (創作)
 及川徒渉「鶴彬逝去の前夜的趨勢」
 佐藤冬児「四四年目の鶴忌に」
 (「一叩人から一言」)

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投稿者:木村哲也2005/5/8 21:47
◇『鶴彬研究』第十一号

 1982年7月。
 B5版タイプ3段組、8ページ。

 一叩人「鶴さんの死について――鉄面皮な出鱈目」[『川柳はこだて』376号掲載記事の伝記的誤りの指摘]
 田中やなぎ「鶴彬の碑とローマ字」
 (沢井竜毛「詩の大衆化のために」)
 (会員作品)
 火狭正博「廉価版[圏点三文字]『鶴彬全集』のすすめ」
 (工藤飄児「国営靖国神社」)
 一叩人「鶴彬と反戦川柳 作品の今昔的意義」

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投稿者:木村哲也2005/5/8 21:17
◇『鶴彬研究』第十号

 1982年5月。
 B5版タイプ3段組、8ページ。

 (田中やなぎ「川柳と反核運動」)
 一叩人「反戦マーク」
 菅原彪「鶴彬川柳碑建立と反戦マークの是否」
 (一)「たいまつ社 不正出版」
 (会員作品)
 乱鬼龍「鶴彬川柳碑 建立の意義を考える」
 一叩人「生きていた『丸太』――鶴彬作品に学ぶ」[他誌で削除にあったものを全文掲載]

 ※ ↓は、8ページの誤り。

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投稿者:木村哲也2005/5/8 21:08
◇『鶴彬研究』第九号

 1982年1月。
 B5版タイプ3段組、10ページ。

 (鶴彬川柳碑)
 (中西ホクセイ「建碑の朗報」)
 小沢信夫「鶴彬と井伏鱒二」
 (木島始「手」[詩])
 (会員作品)
 谷村直雄「鶴彬軍事裁判の憶い出」
 (一叩人「弁護士、谷村直雄先生と」)
 及川徒渉「鶴彬の今日的特質」
 沢井竜毛「大胆に、芸術的に」
 佐藤岳俊「鶴彬の軌跡《7》」
 (工藤飄児「日本本土決戦一億全滅)

 ※ ↓は、第八号の誤り。

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投稿者:木村哲也2005/5/8 20:59
◇『鶴彬研究』第七号

 1981年10月。
 B5版タイプ3段組、10ページ。

 (第五回鶴彬祭挙行さる)
 佐藤岳俊「鶴彬墓前祭から」
 (献句)
 (鶴彬川柳碑建立敷地)
 (会員作品(1))
 毎文子「鶴彬の書かれなかった評論」[遺稿]
 (一叩人、西沢比恵呂「毎女…追悼」[川柳])
 (毎文子川柳遺作集)
 鶴彬研究会「反戦川柳人・鶴彬について」[無署名ながら、毎文子の絶筆]
 (佐藤冬児「『地団駄はふめない口惜しさ』」)
 (会員作品(2))
 (一叩人「二転→三転→」)

 ※ ↓は、1981年の誤り。

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投稿者:木村哲也2005/5/8 20:49
◇『鶴彬研究』第七号

 19801年7月。
 B5版タイプ3段組、10ページ。

 澤井竜毛「低辺の詩」
 (工藤飄児「日本の脅威」)
 佐藤比左良「鶴と大力」
 (会員作品)
 佐藤冬児「鶴彬のみた石川啄木」
 一叩人「とりあえず」[鶴彬研究会の東京への移動]
 佐藤岳俊「鶴彬の軌跡《6》」
 西澤比恵呂「鶴彬を知って」
 (一)「献句が絶筆 渡辺尺蠼氏逝く」
 田中やなぎ「鶴の手錠」
 (松井英夫「目高のこと」)

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投稿者:木村哲也2005/5/8 20:34
◇『鶴彬研究』第六号

 1980年12月。
 B5版タイプ3段組、10ページ。

一叩人「鶴さんの三つの作品」
 (会員作品)
 (乱鬼竜「川柳の右傾化と我々」)
 (佐藤岳俊「闇から歩いてくる光――人間・織田秀雄」)
 「お知らせ」[毎文子による、旧版全集未収録作品情報]
 鶴彬「繭」[旧版全集未収録川柳七句]
 一叩人「「記録」から「全集」へ――増補改訂を新書版で」
 (第四回墓前祭)
 (詩、佐藤岳俊)
 (第四回鶴彬忌墓前祭献句)

 ※ ↓の鶴彬の詩は、正しくは「人間の出来事」。

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投稿者:木村哲也2005/5/8 20:23
◇『鶴彬研究』第五号

 1980年5月。
 B5版タイプ3段組、10ページ。

 毎文子「記録文学としての川柳の役割」
 一叩人「鶴彬研究読書会創設を提唱す」
 一叩人「鶴研ノート」
 高橋竜平「鶴彬の諷刺(四)」
 喜多一児「人間の出来」[旧版全集未収録詩。なぜか新版全集になし]
 (乱鬼竜「”世界有事の時代”と川柳」)
 (会員作品集)
 勝目テル「鶴さんのこと」
 佐藤岳俊「鶴彬の軌跡《5》」
 (鶴彬「しゃもの国綺憚」)
  ※旧版全集で読める鶴彬の作品は( )とする。

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投稿者:木村哲也2005/5/8 20:09
◇『鶴彬研究』第四号

 1979年12月。
 B5版タイプ3段組、10ページ。
 
 一叩人「鶴彬研究の今後」
 吉田成一「鶴彬と長沢佑(一)」
  [長沢の長い詩の引用が主]
 (雨中墓前祭記)
 (生誕七〇年鶴彬墓前祭献句)
 佐藤岳俊「鶴彬の軌跡《4》」
 (作品 高橋竜平、佐藤岳俊)
 (こだま)
 高橋竜平「鶴彬の諷刺(三)」
 喜多一児「或るローマンス」[旧版全集未収録詩。なぜか新版全集になし]

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投稿者:木村哲也2005/5/8 19:51
◇『鶴彬研究』第三号

 1979年5月。
 A4版タイプ2段組、29ページ。
 
 関水華「鶴彬この一句」
 斉藤大雄「鶴彬と田中五呂八」
 秋山清「鶴彬のこと@」
 (鶴彬忌四〇回忌墓前祭献句)
 (作品 高橋竜平、吉田成一)
 佐藤岳俊「鶴彬の軌跡(3)」
 高橋竜平「鶴彬の諷刺(二)」
 (鶴彬作品五句)
 (鶴彬「川柳の正しい発展に就て」
   [旧版全集未収録作品増補])

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投稿者:木村哲也2005/5/8 19:38
◇『鶴彬研究』第二号

 1978年9月。創刊号は4月。
 創刊号同様、B5版のガリ版3段組。今度は10ページ。
 ( )は直接、鶴彬と関係のないもの。
 [ ]は木村の解説。

 一叩人「真の川柳創作のために」
 (創刊号のこだま)
 (作品 吉田成一、高橋竜平)
 高橋竜平「鶴彬の諷刺」
  [坂本幸四郎『雪と炎のうた』批判]
 (同人雑誌「川柳人」関係者の検挙 太平出版社の本からの転記)
 (作品 佐藤岳俊)
 佐藤岳俊「鶴彬の軌跡(2)」
 (作品 森田一二)
 (鶴彬六句)

 鶴彬でない人の創作が、二段などむしろ大きなスペースを占め、個人的には違和感あり。

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投稿者:木村哲也2005/5/8 19:28
◇『鶴彬研究』創刊号

 1978年。ガリ版刷りで6ページの小冊子。
 だからでか、国立国会図書館になし。よそで高いコピー代。
 レザックの表紙さえついていれば、納本可、というのもわかるが。

 さて、ケンカ内分裂までは、後の並みの単行本より読みであり。
 収録のタイトル一覧を掲げる。
 佐藤冬児「鶴彬とその時代」
 一叩人「九・一四の金字塔」
 高橋竜平「岩手の鶴彬」
 吉田成一「鶴彬研究はじめに」
 佐藤岳俊「鶴彬の軌跡」
 (鶴彬六句)

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投稿者:木村哲也2005/5/7 17:36
◇鶴彬の名の由来

 剣花坊の娘の鶴子から、が定説だが、そうではない、という人もいるという。
 「どうでもいい」とまでは言わないが、小生としては、検証できず、あまり関心はない。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 17:34
◇深井一郎「反戦川柳作家鶴彬にふれて」

 『神奈川大学評論』39号、2001年。
 地元での「鶴彬をたたえるつどい」の報告から始まる。
 地元長老の私製年譜が出てくるが、旧版全集の年譜に生かされているのかが気になった。
 3ページ半の、作品を織り込んだ略伝である。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 17:14
◇本康宏史「川柳で抵抗した鶴彬 国策で協調の暁烏、永井」

 『ふるさと石川歴史館』北國新聞社、2002年。
 先の紀要に出てきた記事と、連関あり。

 なお、↓の項、記事にはないが、途中で頓挫した、と深井の証言あり、と。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 17:09
◇頓挫した英訳

 北國新聞、2001年10月5日に、「反戦の川柳 米大の教材に」という記事がある。
 鶴彬の著作で地元の賞も受けた深井一郎の助言あり、という。

 だが、記事には妙なところも。
 「骨」を「ホネ」ではなく「コツ」が正しい、ということが助言の例、というが、どの句のことか。
 「骨」が出てくる句は以下のとおり。

 牛の骨、歯ブラシの柄となる因果 (大十五、12)
神をきく椅子に尾骨のうづきけり (大十五、5)
草の根の吐息にふるゝ骨の壷 (#二、3)
グラインダーの蒼い火花に徹夜続きのあばら骨 (十一、7)
骨壺と売れない貞操を抱え淫売どりの狂ふうた (#十二、9)
地主になるのぞみの果ての骨となり (十、9)
胎内の動きを知るころ骨がつき (十二、11)
鉄骨の伸びる打鋲の遠ひびき (*?)
鉄板背負ふ若い人間起重機で曲る背骨 (十一、12)
仏像の封印切れば犬の骨 (*三、4北陸。三、4氷原)
文明とは何骸骨のピラミッド (三、2)
骨を噛む小猫の牙にふと怯ゆ (大十五、4)
骨を噛む仔猫の牙にふとおびゆ (大十五、5)
をんどりみんな骨壺となり無精卵ばかり生むめんどり (#十二、9)

 残念ながら、該当作は見当たらないが。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 16:51
◇秋山清「反戦川柳人鶴彬の記録と一叩人命尾小太郎」

 『新日本文学』1975年10月号。
 以前にも鶴彬のことを書いた、秋山清による、ガリ版全集刊行を称える文章である。
 『鶴彬の記録』全3巻が、ガリ版全集の正式名称である。
 ただし、たいまつ社版全集でもあれほどの誤記があるのだから、情熱はともかく、内容は、特に今となっては、見る意味があるとは思いにくい。
 しかし、旧版全集もないころに、すでに鶴彬について書いていた秋山には貴重な資料であったことが、ひしひしと伝わる文章ではある。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 16:38
◇『俳句研究』32巻2号

 昭和40年。
 以下のように、鶴彬関連記事。
 壺井繁治「鶴彬と現代」
 佐藤冬児「鶴彬は今も生きている」
 横山林二「川柳リアリズム宣言」
 石原青竜刀「鶴彬作品の不滅の光」
 いずれ、それぞれをまた。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 16:29
◇「鶴彬への旅」木内稔

 『社会評論』10号、1996年。
 上演作品の創作ノート。
 上演台本の巻末の参考文献にしてもそうだが、幅広い資料に目を通しておられる。
 まずはとりあえず。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 16:25
◇「大正期の仏教と民衆文学」宮本又久

 副題が「暁烏敏と喜多一二」。
 金沢大教育学部紀要、1977年。
 「喜多一二」でふれられたものあり、とは驚き。
 作品にもふれているが、またいずれ。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 16:16
◇句の真偽

 『石川県高松町史 第6章』(刊行年不明)の「人物追慕」の鶴彬あり。
 6句あるが、以下の2句は新版全集にもなし。
 どう判断すべきか。
 
 黄菊白菊みづほの土を吸った色
 立ち枯れる稲穂を踏んで大演習

 なお、以下のような句もある。

 枯れ柴よ 団結をして春を待つ

 以下に、新版全集の形を掲げる。

 枯れ芝よ! 団結をして春を待つ

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投稿者:木村哲也2005/5/7 16:07
◇「鶴彬の未収録句その他について」木内稔

 1995年。
 
 パンと妻奪ふスイッチに手がとゞき

 例えば上の句が、旧版全集に未収録、との指摘。
 はたして、新版全集は「奪ふ」でなく「奪る」。
 中八でない、新版全集を信じたい。新版全集は、原典に全部当たった、ともあるし。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 15:58
◇未発表句

 1996年に、鶴彬の演劇を上演した(いずれ詳述)木内稔による未発表原稿かの「留置場の鶴彬」に、数句。

 血を吐いた同志の跡に坐らされ
 泥棒と抱き合って寝る寒さかな

 以上は初見。新版全集等にもなし。
 事情を木内はいろいろ書いているが、確かに編者の澤地に不可解なところなしとはしない。

 いずれ死ぬ身を壁に寄せかける
 鉄骨の伸び打鋲機の遠ひゞき

 この2句にも言及しているが、新版全集には「事情説明つきで」載っている。

 あわれともいうべきものは留置人冬から冬にいると思えば

 これも鶴彬作というが、真偽は別としても、まあ、扱わなくてもいいだろう。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 15:38
◇高松町 北部応援歌 作詞 鶴彬

1 松のみどりと 白砂(しらた)への
  真(ま)さごの町に 花と咲く
  波の いさみを 身に受けて
  北部選手は 今立てり

2 真夏の空は 高けれど
  我らの意気は なお高し
  空百熱(そらひゃくねつ)の 日輪(にちりん)も
  北部選手の 気にひくし
  
3 五尺の体 あかがねぞ
  かたき決意は くろがねぞ
  勝たずばやまん 足どりに
  北部選手は 意気高し

4 あゝ矢はつるを はなたれり
  とぶもかけるも とうきても
  我等におよぶ なにありや
  北部選手の 意気をみよ

5 グランド高く 優勝の
  旗やほこりに 輝やけり
  王者のほこりに 輝やけリ
  北部選手は 今勝てり

 町民対抗運動会の歌。なぜか、新版全集にも収録なし。

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投稿者:木村哲也2005/5/7 2:18
◇左利きで
 
 スポーツマンだったという鶴彬。
 こういうことは、個人的には「どうでもいい」。
 ともあれ、多くの資料をかついで、仙台を後に。

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投稿者:木村哲也2005/5/5 4:41
◇「ある諫言」

 『鶴彬研究』33号、1988年2月。
 匿名投稿。
 14〜16号は、目下手もとにないが、17号からは、昨晩述べたような切り抜き転載記事が多い。
 鶴彬研究会の内部分裂で、すっかり看板に偽りあり、となった『鶴彬研究』の購読中止の表明、が内容。
 小生の一叩人不信は、あながち的外れでもなかったな、というのが偽らざる印象。
 しかし、こういうことの調査は、もはや文学ケンキュウではない。

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投稿者:木村哲也2005/5/5 4:30
◇不正出版

 『鶴彬研究』10号、1982年5月。
 物騒な見出しである。
 旧版全集の版元、たいまつ社が、旧版全集1000部、『新興川柳選集』200部を不正出版、と。
 印税等を払うつもりなく、著者にこっそり売って、版元のもうけにしようとした、と解釈する。
 あまり知りたくない事実だ。
 少なくとも、「書誌データ」にふれなければならない内容とは思わない。

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投稿者:木村哲也2005/5/5 4:22
◇火狭正博「廉価版(圏点三文字)『鶴彬全集』のすすめ」

 『鶴彬研究』11号、1982年7月。
 旧版全集の7000円は高いので、と。
 ほぼ、わが意を得たり。
 旧版全集刊行時の1977年は、大卒初任給が8万程度だったのではないか。
 6号で一叩人が言っている、増補改訂新書分冊は、やや意味がわからないが、句をまとめ、お手ごろ価格で、というのが、今秋刊行予定の、小生の全句集の狙いである。
 書誌データなどもおまけでつくが、という感じである。
 現在は、新版全集も絶望的に入手不能、一叩人の全集は間違いだらけ、他でも、鶴彬の句をまとめて読むことはできない。
 まずは句を読もう、全集の復刻はしなくても、という考えの小生には、ほっとさせられる記事だった。
 
 さて、会報の中でも、鶴彬自身に関する評論は、存在だけでも、新刊に増補したい。

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投稿者:木村哲也2005/5/4 22:01
◇妙なところから

 『鶴彬研究』は、B5版の冊子。
 1983年2月の13号を見ると、内部分裂の様子が詳細に書かれている。
 鶴彬に失礼かは置くとして、そんなものが鶴彬の資料と呼べようか。
 『一叩人通信』というほどのものであろう。
 もちろん提供者に失礼な意味で言っているのではない。
 
 前のほうの号はもっとまっとうだが、後のほうの号は、反戦記事の転載ばかりで、鶴彬を探すのが大変なほどだ。冗談ではない。
 詳述は別途として、分裂前での、気に入ったところをまずは紹介したい。

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投稿者:木村哲也2005/5/4 21:39
◇仙台着

 マスターも市原正直さんも知り合いという、俳人の渡辺誠一郎さんの元同僚でやや年長の親友の、田中利昭さんに初めて会った。
 5/3に紹介の資料のうち、AやBの多くは明日。
 今日は、幻の(?)『鶴彬研究』の46号(最終号?)までの大部のコピーをいだだき、ざっと目を通した。それは追って別項で。
 それ以外では、木内稔という人が1996年に上演した、鶴彬の演劇の台本の最後の文献目録に恐れ入った。
 緊急手配して、増補しなくてはならない。

 だが、新著の刊行見送りの必要まではなさそうだ。
 あくまで両全集の解題を兼ねた、全句集なのだから。

 変わり者の小生があえて言えば、田中さんもかなりの変わり者だが、それ以上に、まずはとても親切な方であるのは確かだ。

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投稿者:木村哲也2005/5/3 11:23
◇宇部功『子どものこころ五七五』

 新葉館出版、2004年。
 鶴彬を小学校の授業で教えての、子どもたちの感想、ということで興味深いが、それだけに、何を教材にどのくらいどのように教えたのかが示されていないのが、残念すぎる。
 資料をたくさんコピーして、ではわからない。
 原作より、時代背景優先だったのかな、というのが率直な感想。
 こういう感想で、媚びないのが鶴彬流と愚考。
 恐々謹言。

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投稿者:木村哲也2005/5/3 11:12
◇(続き)

B 新聞記事・その他
1)高松図書館 所蔵鶴彬関連所蔵資料一覧
2)鎌倉文学館 大石鶴子(長女・小林由美子)寄贈資料一覧
3)高松町北部応援歌(作詞・鶴彬)
4)「平成16年度 第9回 鶴彬川柳大賞選考結果」
5)『手と足をもいだ丸太にしてかへしー鶴彬の生涯』演劇台本 グループ演劇工房
6)同上ビデオテープ
7)「鶴彬をたたえる集い」各回まとめ
8)「鶴彬をたたえる集い」関連新聞記事
9)「鶴彬をたたえる集い」関連テレビニュース等ビデオ
 7)〜9)は鶴彬顕彰の石川での命日ころの句会、とのこと。

 Aにわくわくし、Bはどのようなスタンスで行くか検討中。

 なおも、所在不明の資料が以下のとおり。

 「反戦川柳――鶴彬の作品と現在――」一叩人、『目黒文芸』5号、1966年6月
 「鶴彬川柳作品の今日的意義」一叩人、『どさんこ』2号、日本民主主義文学同盟室蘭支部機関紙、1969年5月
 「評論――反戦と革命の詩人――つる・あきら」牛尾絃二、松本芳味、『飛魚』5号、日本民主主義文学同盟東京港湾支部、1972年8月
 「『川柳人』に現れたる喜多一二のあしあと」(連載)渡辺尺?、『川柳人』(1973年前後、500号前後)
 「鶴彬・研究ノート」岡田一と、『和』76号、1970年5月
 「 」、(題と著者不明)、『社会評論』102号、1996年4月

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投稿者:木村哲也2005/5/3 11:11
◇新情報の資料

 仙台の方からの情報を転載し、若干コメントします。

@ 単行本の類
 1)『石川近代川柳史』 奥美瓜露・著 川柳甘茶クラブ 1989年10月
 2)『子どものこころ五七五』宇部功・著 
入荷済み。
  すぐにも後述。
 3)『縄文の土偶』 佐藤岳俊・著 青磁社 1984年11月 新葉館出版 2004年2月
  在庫確認し、発送中。
 4)『石川近代文学史』別巻20 
 5)(木村所蔵と重複の1冊略)
 6)『ふるさと石川歴史館』 北国新聞社発行 2002年6月
 7)『現代川柳ハンドブック』 尾藤三柳・編
 8)『川柳総合事典』(新装版) 尾藤三柳・編 雄山閣出版 1996年8月
  7)8)は木村も所蔵か? また、この手のは、どこまで追求するかである。
 9)『現代川柳の鑑賞』 山村祐・坂本幸四郎著 たいまつ社 1981年12月

A 雑誌・句誌類
 1)「大正期の仏教と民衆文学 −暁烏敏と喜多一二−」 宮本又七・著
               『金沢大学教育学部紀要』 第36号 1977年
 2)「鶴彬と現代」 壺井繁治・著 『俳句研究』1965年2月25日
 3)「鶴彬はいまも生きている」=鶴彬の作品と現代 佐藤冬児・著 同上
 4)「川柳リアリズム宣言=ある日の鶴彬」 横山林二・著 同上
 5)「鶴彬作品の不滅の光」 石原青竜刀・著 同上
 6)「川柳作家 鶴彬にふれて」 深井一郎・著 『神奈川大学評論』Vol39・2001年
 7)「種田山頭火と鶴彬」 佐藤岳俊・著 『川柳はつかり』
 8)『鶴彬柳集』 佐藤岳俊・著 『月刊川柳マガジン』2002年8月号
 9)『鶴彬 反戦平和を叫び続けた川柳作家』 佐藤岳俊・著 同上2003年8月号
 10)『反戦川柳人鶴彬の記録と一叩人命尾小太郎』 秋山清著 (出典不明)
 11)『鶴彬への旅 −『手と足をもいだ丸太にしてかへしー鶴彬の生涯』
           集団創作ノートから』 木内稔・著 「社会評論」1996年4月
 12)『留置所の鶴彬』 木内稔・著 「社会評論」1996年4月
 13)『鶴彬の未収録句その他について 木内稔・著 「社会評論」1996年4月
 14)『鶴彬句集』抜粋
 15)『憲兵資料に見る反軍運動』 
 16)『鶴彬研究』bP(1977.4)〜46(1991年5月)
          途中、18、同20、同22、同26、同28、同32欠

 (続く)

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投稿者:木村哲也2005/5/2 10:14
◇持っていなかったものも

 『鶴彬研究』以外で、増補しなくてはならないものは多くないようだ。
 ただ、存在自体を知らなかったものもあった。
 多くは、存在は知っていて、入手不能だったもの。強がりでなく。

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投稿者:木村哲也2005/5/2 1:21
◇意外と持っていた小生

 仙台の方とのすりあわせでは、失礼ながら意外と先方が持っていないことが判明した。
 石川県の図書館で所在も知らないものもあるのでは、という、僭越な感触も。
 もちろん、『鶴彬研究』のように、全く持っていないものもあるが、それはわくわくしながら仙台に見に行きたい。
 なお、所蔵の資料は、当ブログで紹介し、新著に収める。意義あるものであるようだ。

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2005/04/29〜/03/06

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投稿者:木村哲也2005/4/29 8:35
◇鶴彬の資料の問題

 存在を知っていたが、入手できずにいたもの以外に、存在を知らなかったものがあるのが少なからずあるというのが衝撃で、遠路出向くことにした。
 校正で、刊行予定本には少し入れられる。
 書誌データを売り物にしていたら大変に恥をかいたが、まあ索引が売り物なので。

 ただ、国会図書館には、同人誌でも納本義務がある。
 しかし、小生の想像どおり、鶴彬の資料に関しては役に立たない場所であったようだ。
 確かに、詩集でも、国会図書館になく、群馬の山奥の私設資料館で見たものが少なからずある。

 だが、せめてどこか1か所に、複写でもいいからそろえるべきだ。その計画はあるようで、石川県の図書館になるらしいが。
 伝記的なことには関心が薄い、という自分の立場から、やや探し回りを敬遠していたが、人脈作りの大切さを思い知った。

 4・5日は仙台、6日に飛行機で大阪入りして、大阪の会の総会と句会。うれしい悲鳴。
 7日にサムライに、その足で報告に来よう。

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投稿者:木村哲也2005/4/28 16:25

4、5日に仙台に行くことになりました。
当ブログにご注目を!

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投稿者:木村哲也2005/4/28 9:11
◇仙台の鶴彬研究者から

 今朝、長文のメールが来た。
 小生の所持しない資料もおありのようで、見に行きたいと思っている。関係者との面識がすごい。
 長いレスを書いているところ。
 6日には大阪の鶴彬の会にも行く。
 しばらくまた、ここも断続的に復活!

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投稿者:木村哲也2005/3/8 18:55
◇あかつき川柳会の兼題が、鶴彬の使用語彙かどうか

 「 」が使用語彙。
1月 「迫る」、ノート、起源
3月 晒す、「弁当」、バッチ
5月 疼く、志、「火花」
7月 「もくもく」、「激流」、清い
9月 「彫る」、「鎖」、「山」
11月 「雲」、「雀」、「放浪」

 夕方の電車弁当殻のシンフォニー (三、3)
 ひえ弁当の中に地主の餓鬼の白いめし (*十、3)

 3月の席題「起つ」も使用語彙。
 インテリが疲れて女土工起ち (十一、9)

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投稿者:木村哲也2005/3/6 8:29
◇大阪の「あかつき川柳会」に行ってきました

 3月4日。奇数月第1金曜の午後に開催。JR大阪駅から環状線で一つめの天満(てんま)駅そば。
 神奈川の実家から、雪で遅れた新幹線で大阪に向かう。
 席題、三つの兼題、時事吟、各3句提出。
 欠席投句を含め、選者のみの選。
 自己紹介では、あえて『鶴彬全句集』の宣伝もした。
 開始直後の、席題「起つ」の最初の披講は、小生の「あかつきの会で新たなやる気湧く」が採られ、いい思い出になった。
 ただ、兼題の「弁当」でも、「腰弁」とか出てくる世代の方が中心で、また、鶴彬顕彰ということからも、(憲法)9条がらみが何かと目立った(「バッジ」という兼題もあったが、現実に買わされた)。政治問題でなく、生きていくうえでの前提だと。
 さて、会場でPCを起動していたら、選者の一人から「見せて」の申し出があった。
 全句索引から、兼題を検索してみたら、ということになり、来てみてやはりよかった。
 当日では、「弁当」が2句、「起つ」は活用形で1句あるのがわかった。
 7月あたりからは、兼題は(偶然だろうが)、ほとんど鶴彬の使用語彙だった。『全句集』に緊急収録のつもりでいる。

 懇親会や2次会で、代表、長老、司会、事務局長などの方と、旧知のように歓談し、心地よい時間を過ごした。
 「つるべん」のまとめがまだ終わらないが、明日、北に帰ってまとめあげるつもりだ。
 辛気臭い(?)仕事だが、よくお一人で、と同情された。
 同志がたくさんいるのがわかったから、作業はともかく、もう、一人ではない。
 9月の盛岡の墓参以外でも、5月にも来ようかと思う(7月はまず無理で、11月も難しいが)。

 サムライでの勉強会が、こういう展開になるとは思わなかった。 

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2005/02/16〜01

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投稿者:二健@tengu2005/2/16 4:55
◇次なる目標

いよいよ「鶴彬全集繙閲」の終結。ご苦労様でした。筑紫磐井氏の大著二巻は、定型詩学のエンサイクロペディア的書物なので、読書の対象とされたこと事態に敬服しました。始めから終わりのない旅のようなもので、その金字塔に立ち向かうドンキホーテ伯爵に従う痩せ馬ロシナンテになれて幸甚でした。それとも本業は農夫の従僕サンチョパンサでしょうか。いずれにしても、振り向くと殆ど誰も付いて来ませんでしたが、結構な道行で十分な攻め甲斐がありました。一所に拘っていると限りある戦力を消耗しますので、次の目標に向かいましょう。新しいスレッドを起こしますか。気の効いた題も考えましょう。芭蕉と曽良に例えた方が良かったかな?
 「狂句木枯の身は竹斎に似たる哉  芭蕉」

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投稿者:木村哲也2005/2/15 14:32
◇間もなく脱稿

 磐井さんのほうは、緒についたままで、まだまだまだまだ読まねばならないが、鶴彬のほうは、脱稿寸前である。
 ブログで、連日書き続けるに及ばず、いったん休筆するm(__)m

 準備ができ次第、橋本夢道や原子公平について、ブログで書くことにしたい。

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投稿者:木村哲也2005/2/14 19:06
◇こういう詩のほうが

毛断娘(上) 【『北国新聞』昭和二年十月十三日】
……もだん[圏点三文字]、がある[圏点三文字]、と/読んで下さい……/ (この一篇を和田龍一君に贈る)
A/あなたは/二十世紀を肯定する/勇敢なる唯美主義者だとおっしゃるが/何といふ/翼の小さい/ロマンチストなんでせう/あなたは/雌鶏といふヱセ[圏点二文字]ロマンチストと/あなたと/よく似てゐることを御存じ?/あなたはその怪しげなロマンチズムの結論として/めん鶏のやうに卵でも生むでせう
B/あなたはすぐに/(あたしこれでもサラリイメンよ)/と威丈高になっておっしゃるが/あなたのサラリイは/靴下と化粧品とでつきてしまふことを/僕はよく知ってゐますぞ/もちろん/地下室で貞操を販売しての人生創造論も/二十世紀的なネオ筋肉労働者の創案した哲学でせう/けれども/あなたはそのため/あの白々とした肉体に/無数の紫色の斑点を得ましたぞ/(日曜のあなたは老人が寺院に行くやうに花柳病科の門をくぐりますね)

毛断娘(下) 【『北国新聞』十月十六日】
C/あなたは/心臓で恋をした/昔の日本娘を軽蔑されるが/あなたの『唇の恋』の哲学は/哀れなトツカピンニストの道化ぶりとして/あなたたちの先輩は冷笑してゐますぞ/(二十一世紀には心臓の恋が復活すること/予言してその先輩は死にました)
D/銀座のともしびの咲き乱れる頃/華やかにペーブメントの上に現れる/あなたは/今、貞操を売払って来た地下室の隣室の/うすくらひランプの下で/ひそやかな/コツコツコツとした/あの物音がきこえなかったでせうか/あの物音は僕らの同志が/人類のために明日の太陽を作成する物音ですぞ
『銀座小印象』
今宵の銀座のときめきは/剣げきダンスの名手Hが/十一吋のズボンをうがち/鳥打を三十五度にかたむけて現はれたかれです/銀座の書店は/『大蔵教全集』の売り出しです/(完)/(この一篇を金谷狂光君におくる)

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投稿者:木村哲也2005/2/13 17:37
◇差別的な詩(掲載に他意なし)

[詩] 【『北陸毎日新聞』昭和二年十月十六日】

朝/水道の水を含むと/しみじみ/山丘の秋を感じた
朝鮮人
働いて働いて/泥だらけの金貨握って/夜店の腐ったバナナで性慾を製造し/淫売買ひに行く/それだけです/    九・一六.東京にて

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投稿者:木村哲也2005/2/12 15:20
◇こんな詩もあります

朝刊の憂鬱 【『北陸毎日新聞』、昭和二年九月十八日】
透明な初秋の朝/上野駅におりた/朝刊は/三万の/失業者を報じた

(浅草で) 【『北国新聞』、九月二十三日】
性慾の上に/オランダの更紗の衣をつけたのが夜の浅草です
  ×
幻怪なともしびビデオ/交錯するカフエーに/辻潤が物憂い顔付きで/コクテールをなぶり/地球を西瓜のやうに/パクリとわったらと/まじめに考へている

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投稿者:木村哲也2005/2/11 18:18
◇『鶴彬句集』を読む

 初期篇は、新聞掲載のものは載っていない。
 表記上の乱れはあまりなし。
 初出形を優先掲載の感じ。
 筆名にこだわっているのは悪くはないが、作品の理解には関係ないと愚考している。

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投稿者:木村哲也2005/2/10 13:08
◇↓の5句

 最初の句は、以下のような類想句がある。

 仏像を爪(つま)んで見ると軽かった (*「北国柳壇」大正十四年四月二十八日)

 2番めの「廃兵の曰く 片足五十銭」という句は、11年9月、と自作の索引データにヒットしたが、全集になぜか見当たらず。???

 3番めの句は、「地平線」はともかく、「蛇」の出る句は、鶴彬にはない。

 後の2句は、最晩年の代表作の以下を思わせる。

 万歳とあげて行った手を大陸へおいてきた
 手と足をもいだ丸太にしてかへし

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投稿者:木村哲也2005/2/9 18:11
◇『鶴彬句集』

 岡田一と、和川柳社、1987年。
 後期作品から前に収録し、ダブりも抜いた、というもの。
 ただし、大正14年5月より前のは収録されていない。
 あとがきにある、俗説では鶴彬の句、というのがなぜか興味深い。

 仏像はつまんで見たら軽かった
 廃兵の曰く 片足五十銭
 地平線蛇はどこまで這うてゆく
 万才とあげた両手を大陸に置いてくる
 大陸は丸太ン棒にして帰し

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投稿者:木村哲也2005/2/8 19:13
◇石川近代文学館『近代川柳』

 どこの句碑か、というのが、さすが地元ならでは。

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投稿者:木村哲也2005/2/7 13:58
◇「評論ダイジェスト」作成中(^.^)

 「俳句天狗」の「つるべん暴走機関車」を、PCに取り込んでいる。
 新版全集で、確かに「異同」はあるが、今のところ、論旨にかかわるほどのものはなく、また、大きく書き直しが必要なものもないようだ。

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投稿者:木村哲也2005/2/6 14:54
◇鶴彬の詩の量

 概算で、活字にして川柳の半分。
 半分もある割に、半分も印象には残らないが、存在を知っておく必要はある。

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投稿者:木村哲也2005/2/5 10:40
◇鶴彬の反論

 木村半文銭への反論は、詩にされている。長いが、そのまま掲げる。

川柳の神様のヘド ――うやうやしく木村半文錢にさゝげる―― 【『火華』二十四号、十二年三月一日】
一九三七年!/川柳の神様がヘドをついた。/一人の不逞悪徳な背教者が/神様にとって「非合理的な」論争を吹きかけ/鼻持ちのならぬ卑俗な/「悪作」「愚作」を食べさせたために――。
この不幸な川柳の神様の名は木村半文錢!/この憎むべき背教者の名は鶴彬!/かつてより美の女神の使徒として/川柳の中につかわされた聖半文錢に/ひざまづいてゐる中の鶴彬めは/全く「頭の冴えた合理主義的」な/「尊敬」に価する「将来を嘱望」するに足る/天なる聖き川柳のしもべであったが/その後不幸にして/不信な大衆の悪魔に魅入られ/勤労するものゝ真理のために/神様の間に折ってゐた膝をのばした瞬間!/忽ち「気違ひ」の「洵に哀れむべき」/ユダのレッテルを貼られ/川柳の楽園を追放された。
笑ふべき喜劇よ!/こゝでは何よりも/神様の思召に背くことがいけないのだ/いやそれが神様の「論理」といふものだ/それで、不信なる大衆に身を売ったユダは、/川柳における人民のためを強調したゝめに/あたかも天動説をくつがへした地動説がはりつけに/あわされたやうに/手もなく/「尊敬すべき使徒」の祭壇から「軽蔑すべき悪魔」/のどん底へつきおとされてしまふのだ/あゝ多数のための「真実」よ/銀紙貼った銅貨のやうな/少数のための「真実」が/お前のかわりに横行しようといふのだ
ところで、われわれは/かの世界の造物主の智慧が/人類の創造した智慧の総和以上でない事を/不敬にも知ってゐる/然し神が人類によって創造された/人類の姿態をそなへた/人間のあらゆる知能を象徴する/一個の偶像と見るときに/それはまさしく人類最大の傑作に他ならぬ/じつに神の偉大さ気高さは/人類の偉大さ気高さに正比例するからだ

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投稿者:木村哲也2005/2/5 10:38

だからいまこゝに/川柳の神様聖半文錢の智慧が/たとへ春山行夫のポエジイ論の/透き写しであるにせよ/またその作品の文字の横たほしや/もんどりを切る芸当や/同一単語のへどもどしたくりかへしやが/かつての萩原恭次郎や高橋新吉らの/未来主義やダダイズムの詩の技術に/生き写しであったとしても/われわれは/決して神様の尊厳さや神聖さを/疑ふものではない。/こんな数々の詩の理論や技術から/はるかに立ちおくれてゐる川柳の世界へ/それを啓示するものとして/神様に感謝を捧げねばならぬ/あゝわが賢明なる川柳の神様よ!
しかしわれわれは/こゝにわが川柳の神様に対して/愚かなる懐疑の告白をためらふわけにはゆかない/といふのは/もしこゝに世界の造物主が/土をこねて/まんまんたる大洋をつくり出さうとするならば/いや川柳の神様が/質流れのポエジイ論や/長詩のふるぼけた技術をもって/新しい川柳をつくらうとするならば/結局詩でも俳句でも川柳でもない/化物短詩が/うぶごえをあげるにすぎないといふことについて――/そして川柳の神様の神聖な祭壇は/つひに化物短詩のヂャンルへ/ひっこしせねばならなくなる必然性について――。/われわれのうちの一人の同志は/いま川柳の神様にむかって/批判の矢を放つよりも/むしろその現実精神を喪失し老衰した肉体へ/ホルモン注射を試みることが/はるかに有効だと教へてくれた/まったくそのとほり/事実は放った批判の矢よりも/正確であった。

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投稿者:木村哲也2005/2/5 10:36

大衆!!/それは上げ潮にたどりついたゴミであり/また一山十銭の腐った山積みみかんにすぎない/こうも考へてゐる聖半文錢にとって/われわれが/われわれの川柳の花園の土壌について/未来について/何べんくりかえしても/耳に入らなかった/そしてかわりに/われわれの川柳の未熟さや現実の小汚さを/裏長屋のおかみのやうに口を極めてののしりまくり/それでまだたらず/ぐわっと臭いヘドを吐いた/神様の衰弱した胃袋は/レアリズムを消化しきれず/つひに敗北したのである。
然しさすがは神様のことである/とっさの間に驚嘆すべき/新式の論争の方法を創造した/たとへば/鶴彬の「愚作」「悪作」ぶりは/トルストイの作品とくらべものにならぬ故/トルストイの真理に就いて/語る資格がないとか/また鶴の時事吟が/新聞のニュースの翻訳であり/また間のぬけたほどに/おくれた報告的ニュースである故に/てんで話しにならないとか。/あゝもし鶴の作品が/トルストイを凌ぐやうならば/何を苦んでトルストイを学ぶ必要があらう/何を物好きに/半文錢ごときケチな川柳の神様を/相手にとって争ふ必要があらう/またわれわれが/すくなくとも社会的時事の真相を/新聞や雑誌によらないで知り得る/魔法を心得てゐたら/それこそ逆に新聞社へニュースを/売り込んで歩くだらう/新聞の報道が真実を穿ってゐる場合/われわれはこの真実をゆがめることは/作家として罪悪だと思ふ/川柳の神様よ/あなたの魔術をもって/われわれが「ノロノロした月刊雑誌」などで/月おくれな川柳ニュースを/発表しないですむやうな/われわれが自由にふるまひ得る/「日刊新聞」とかを/貧しいわれわれに与へたまへ!
あなたは/「過去三十年に亘って」/川柳でさまざまな苦しみをなめて来/その間を/「高い笑ひや鋭い諷刺や/寸鉄殺人的穿ちに終始」して来たと/のたまわせられる/しかも神様の名において!/そして「疑問に思ふなら/いつでも句集」を進呈してやらうとまでも。/有難い仕合せながら/あなたの芭蕉みたいな口まねや/みみずの様な卑俗な笑ひや/アナキズムやファッショの生かじりの諷刺や/穿ちのおけらレアリズムでは/もはやわれわれの/現実地盤は掘り下げられないほどに/固く凍りついてゐる。

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投稿者:木村哲也2005/2/5 10:35

われわれがもしあなたの忠実な使徒であったら/われわれが「古川柳の知識」を欠いてゐたり/「既成川柳だって満足につくれない」ことを/ほめ言葉の花環で飾られたであらうに/あゝ何たる不幸なことか/いまは「馬鹿」呼ばわりされねばならぬ/われわれは神様の御感にあづかるために/いまさら古川柳の虫喰ひ本の中に沈没し/既成川柳の卑俗な泥遊びのイロハを学ぶために/時間と精力を浪費せねばならぬのか/一句一句が辞世吟だといふ/芭蕉様にあやかって/「いつ[圏点二文字]、どこで[圏点三文字]、どんな[圏点三文字]作品を批評されても/立派に答へ得る価値ある」ごとく/作品を吟味しておけといふ神様よ/「しどろもどろシドロモドロしどろもどろシドロモドロ[横組み十二文字]」/「人間はフンドシ神様はシメ縄です」/こうしたあなたの署名にかゝる最近の作品が/その卑俗さと愚劣さにおいて/トルストイに及ばぬ鶴彬をしのぎ/既成川柳をしのぐとか/思ひつかぬおろかなわれわれを/あわれみたまえ!/だがわれわれは/あなたに不敬を働くことを止めよう/何故ならば/すでにして川柳レアリズムを消化し切れず/汚いヘドを吐いたあなたのやくざな作品は/とくに神様の威厳と光明を失ひ/烏三平ではないが/「春山学院の生徒」的にまでおちぶれ/いやときには「芦原将軍」のつぶやきに似た/「しどろもどろシドロモドロ」な/文学の遊戯にまで堕落してゐるのだから――/わが川柳の神様よ/わが川柳の芦原将軍よ/左様なら!(完)/(附記 この一篇をもって木村半文錢への反駁にかへる。けだし半文錢は、吾々にとってもはや論争的対象ではあり得ず、こうした諷刺的な対象でしかなくなってゐるのがその重要な理由である。)

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投稿者:木村哲也2005/2/4 8:11
◇「4、時事吟の本質と適用性」「5、附記」

 時事吟についての批判を、鶴彬以外に向けてもやっている。日刊紙でなくては無理、月刊誌ではのろいし、「神殿にダブルベッドとホルモン剤」などは愚作だと。
 既成派の川柳でも、諷刺、可笑しみ、穿ち、という川柳の三要素は追放していると。
 トルストイを引用して、トルストイになった錯覚をするな、と。
 芭蕉は、一生吐き捨てた句は、どれも辞世句だと。

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投稿者:木村哲也2005/2/3 7:36
◇「3市場価値」

 短い章である。
 既成派の川柳人が作品頒布でいくばくか儲けているのだから、自分も、自分主導ではなかった作品頒布でお金をもらってもよいはずとしている。しかし、キャンセルには応じると。

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投稿者:木村哲也2005/2/2 8:28
◇「2、芸術性と通俗性」
 
 トルストイを鶴彬が買っているのはいいが、鶴彬自身がその境地に達していないとして、いくつかの句が引かれる。
 また、単純平明をよしとする鶴彬の立場も批判されている。最初から、ただの単純志向だと。
 こういうプロ川柳なら、攻撃すると。

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投稿者:木村哲也2005/2/1 10:36
◇木村半文銭「答礼に対する答礼」

 昭和12年2月。
 「鶴彬君にこれを贈る」と副題がある。
 4章に分かれている。
 「1 思想第一、川柳第二」の冒頭から、非合理主義的なゴリ押しの人物とされている。
 表題の半文銭の主張を否定し、強弁したからだと。
 森田一二でも認めたその主張なのだからだ、というわけである。しかも、鶴彬の中での自家撞着もあるようだ、としている。
 まずはここまで。

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2005/01/31〜01

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投稿者:木村哲也2005/1/31 17:17
◇新資料

 鶴彬研究会『評伝 反戦川柳人・鶴彬』は、著作権の関係で、半分ほどのコピーしか読めずにいるが、たいまつ社版でのような、「句集の脚注」でなく、普通の文章である。ただし、あらためて強い印象は持たなかった。
 さて、石川近代文学館『近代川柳』に、鶴彬の句が載っていることを確認した。
 それから、和川柳社から岡田一と『鶴彬句集』が出ているが、目下は目次等のみで、本文は再度コピーを請求中である。これも、全部は入手不可であろうが。

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投稿者:木村哲也2005/1/30 3:49
◇木村半文銭「プロ川柳の思想性と芸術性」

 昭和11年12月。「鶴彬君に答ふ」という副題がある。
 昨日ふれた論に対して、森田一二と鶴彬が反論したことを喜んでいる。
 鶴彬を刺激したことに恐縮しながら、やはりまた書く、という。なぜなら半文銭が正しいからだと。
 森田は、プロレタリアにこだわれば、川柳にこだわらず、他の表現形態もよしとする、という。
 近作4編も引かれている。例えば「売春婦あぶれた夜は飢えと寝る」である。レベルが低いとされている。
 対象の価値と方法の価値との見解があいまいと言う中で、ここおろしが続いていく。

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投稿者:木村哲也2005/1/29 9:45
◇木村半文銭「川柳の大衆性に就て」

 昭和10年11月。
 「鶴彬君の説く大衆性について高見を仰ぐ」ということだが、直接は説いたものを読んでいない、と言いつつ、想像で反論が始まる。
 芸術性より思想の伝達が優先する、と、森田一二も含めて言われている。ならば、形式は何でもいいはず、とも。
 しかし、半文銭に言わせれば、大衆は愚衆であるから、まっぴらごめんだと。賛同者を得るために、呼びかけられるのも、迷惑かと。
 また、半芸術行動であると。

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投稿者:木村哲也2005/1/28 10:17
◇古屋雪村「新興柳壇第二期運動」

 大正15年12月。「喜多一二君に贈る」とある。
 一度は放置した、鶴彬の本名での評論に、二度めにはやはり反論をする、というものである。
 鶴彬による古屋の句の批評を、古屋は「表現の方向、句の思想象徴帯を知らない理智一点張りの批評」と、鶴彬の姿勢をやり返している。
 鶴彬の科学的合理詩境を認めつつ、宗教の重要性についても、やんわりながら反論している。
 創作が「鋭い」、というのはどういうことか、と最後に問題提起をしている。

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投稿者:木村哲也2005/1/27 0:29
◇入隊前で

 約3分の2の句。
 昭和9年から死亡までで、約3分の1ということになる。

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投稿者:木村哲也2005/1/26 7:01
◇『影像句集』古屋雪村編

 生前に本人編の句集を持たない鶴彬だが、唯一と言っていいか、昭和2年3月に、表題のような句集がある。26句収録。
 しかし、これまた(?)正しく句が引かれていない。
 上が鶴彬自身の発表形態、下が「影像句集」収録形態。

 芽の双葉まろき虚空を抱き上げる
 芽の双葉まろき虚空を抱き上ぐる

 流星のあとを拭へる時の手よ
 流星のあとへ拭へる時の手よ

 陽は己(おの)が錯覚の夜を追ひ続け
 陽はおのが錯覚の夜追ひ続け
 
 剃刀の刃の冷たさの上に躍れ
 剃刀の刃の冷たさの上に踊れ

 空を射む矢壺空しく成り果てし
 空は射む矢壺空しくなり果てし

 秋の海、ひとりの男――海の精か
 秋の海――一人の男――海の精か

 月、雲に失せしと人の小主観
 月雲に失せしと人の小主観 

 尺蠖(しゃくとり)のあゆみは時をさしはかる
 尺蠖のあゆみは時をさしはかり 

 眼を閉ぢて月の歩める音を聞く
 眼を閉ぢて月のあゆめる音を聞く

 宿命の軌道を汽車は煙を吐きつ
 宿命の軌道を汽車は煙吐きつ

 星空へ基督の眼と望遠鏡
 星空へキリストの眼と望遠鏡
 
 さて、以下の句は、他では見当たらない。ここに限っては妙。

 地は噛まん夜の海海の白き歯よ

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稿者:木村哲也2005/1/25 9:55
◇「『影像』の宣言書」古屋雪村

 昭和4年2月。「鶴彬君に贈る一片」と副題があり、九つの小見出しがある(以降、旧字体は断わりなく新字体にすることがあることを了解されたい)。
 「プロレタリア川柳論」では、鶴彬から送られた「決闘書」への反論を述べているが、むしろ「プロレタリア川柳なら俺のにまさるものはない」という趣旨では、との切り返しである。
 「新興川柳の生命」では、やはり鶴彬から送られた「走り書き的解決」を引用し、唯物史観によって芸術的発生条件が必ず政治的闘争の役割には発展しない、と反論している。
 「対民衆への問題」では、民衆に盛んに働きかけても、芸術の本質には寄与しないし、騒がしいのは鶴彬自身なのに、他人を騒がしい、と言っている、と述べられている。
 「芸術観と社会観」では、鶴彬の引用をしながら、社会観と芸術観を一緒くたにするのは暴挙である、と切り返している。
 「無産階級文芸とは」「文芸運動の骨子」「道歌は芸術にあらず」では、鶴彬は登場しない。
 「詩を作るより田を作れ」では、表題のように鶴彬に呼びかけ、社会活動のほうが有効、と言われている。
 「画期的作品の出現」では、鶴彬に画期的作品の出現が期待されている。「灼熱の群集鉄の門を破る」を筆頭に、九句ほど鶴彬が引かれるが、まだ甘い、と。
 最後に、決闘を申し込まれたから、やんわり反論したが、もっと言いたかったこともあるし、また、虚も突いてくれ、ともある。
 なお、古屋はその後消息不明で、そのことは果たされなかった。

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投稿者:木村哲也2005/1/24 14:52
◇「定型律批判の立脚点」中島國夫

 「鶴彬氏の時評を読みて」の副題がある。
 昭和10年3月。
 『川柳人』268号に載った、鶴彬の定型律批判を扱ったものである。
 定型を捨てた者もいれば、そうでない者もいる、自由律が飛躍しすぎたから、定型律に戻る立場はあってもよく、というような趣旨で進む。
 「定型の虐使」という鶴彬の言葉も、ややいさめられている。
 自由律作家は、定型に依存する定型作家を越えた、定型作を作れて本物、という最後あたりの趣旨は、身につまされた(?)。

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投稿者:木村哲也2005/1/23 13:09
◇川上日車「表現と闘争と思想」

 昭和11年11月。
 新興派でありながら、田中五呂八と鶴彬ははっきり違い、以下の句は川上は選ばないが、鶴彬は選ぶだろう、としている。

 許されし空気は煙と鉄ほこり
 勤続が迷惑でありクビを切り
 黒髪をむしりとらうといふベルト
 嫁入りの晴衣こさへて吐く血へど。

 最後の句だけ、鶴彬のものである。

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投稿者:木村哲也2005/1/22 18:20
◇ 中島國夫「年頭所感 弦を張り了へて」

 昭和9年12月。
 最後に、「方向に就いて」と、短い章があり、「
鶴彬は鶴彬の信條に立つ」とあるのみ。

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投稿者:木村哲也2005/1/21 8:41
◇「新生命主義への出發――既成的な新興川柳の清算と各詩派の検討」

 昨日の評論では、鶴彬の「失はれたる寫實主義の揚棄」への批判もなされていた。
 さて、昭和12年1月の上記の評論では、鶴彬が五呂八を、観念的な思索や感情を主題とした哲学的カクテルに酔ったものだと諷しながらも、対立的立場も新興川柳と認めている、とまずはある。
 しばらくして、鶴彬らは、「詩」を否定しきれず、現場主義の壁を衝いている、と批判されている。

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投稿者:木村哲也2005/1/20 8:27
◇「詩は實践にあらず――川柳マルキシズムの三大欠陥」田中五呂八

 昭和5年1月。
 発禁程度の安全地帯からの、中途半端な煽動なら川柳でなくてもできる、という流れの中で、鶴彬が4句引かれる。

 壽命だと云って手當をくれぬなり
 搾取機の煙もくもくと怒るやう
 資本家の組合法に畏まり
 ゼネストのレポ機械もサボリ出し

 順に、「なまぬるい」「むしろユーモア」「降服」「わからない」と酷評し、「萬國の労働者! それ結束せよ!」のほうがまし、と言われている。

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投稿者:木村哲也2005/1/19 15:20
◇『熱い汗』岩佐ダン吉

 あかつき川柳会の事務局の方の、川柳と散文。
 鶴彬の出てくる句を挙げよう。
 
 大阪城を訪ねて
 鶴彬に思うことありペンを取る
 ひと筋の光明じっと見た彬
 鶴彬いま慟哭の前に立つ
 鶴彬の無念を聞いた獄舎跡
 暁を信じ彬のペン不屈

 金沢の句碑を訪ねて
 九条を殺す彬を二度までも
 句碑を前に日本海は荒れている
 手と足の句碑よ彬は眠れない
 暁の碑こぼれる萩の中にある
 拳固く彬の声に耳澄ます

 朝日新聞02年8月15日「鶴彬の川柳をかみしめよう」、スポーツおおさか02年6月10日「鶴彬と大阪城」の二つの文章も収録。

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投稿者:木村哲也2005/1/18 19:39
◇鶴彬が出てくる評論

 月末ごろに新資料が揃うまで、しばらく『新興川柳選集』から、表題について扱う。
 田中五呂八の「机上論から實際論へ――新興川柳の詩的漂白(一)」昭和4年4月、を見る。
 山村浩の後に、バット買ふ金を救援袋に入れる、など5句が引かれる。プロレタリアート的という、この句以外は酷評された。
 さて、鶴彬が3月に書いた「失はれたる寫實主義の揚棄」にもふれられている。「もっと深く燃えるプロレタリアートの想華[ママ]」があってこそのプロ川柳、と言われている。

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投稿者:木村哲也2005/1/17 7:54
◇三つの時期

 全句集の区分。
 釈放後が三期めなのは当然(?)として、大正と昭和で区切るのは変更のつもり。
 分量的に大正で半分近いばかりでなく、未発表が多い時期を、初期篇としたい。
 大正15年からを収監以前とする。

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投稿者:木村哲也2005/1/16 19:49
◇有名人を斬るか無名人を持ちあげるか

 人物論の書き方について最後にまとめられているが、鶴彬の場合は本当に前者なのか。
 斬られるほどの有名人、とも思い難い気もするが。

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投稿者:木村哲也2005/1/15 13:01
◇伝記はどうでもいい

 暗殺されていようと、そうでなくても。
 鶴彬の「作品」だけを虚心に読みたい。

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投稿者:木村哲也2005/1/14 16:40
◇おもしろいエピソードだが

 あくびから追分の出る終い風呂

 川柳とは何か、と言われた鶴彬が、答えて作った句だという。学校で川柳を教わってもわからないはず、ともいう。

 嫁の屁は五臓六腑を駆けめぐり
 嫁の屁はきびすでこれをもみ殺し

 もちろん(?)、全集には出てこない句だ。
 おもしろくはもちろんあるが、川柳の説明だとしても、鶴彬が、ひねってくるとも思いにくいように、個人的には思うが。

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投稿者:木村哲也2005/1/13 18:49
◇マルキストでもプロレタリアでもない

 と、櫻井靖子は、『オール川柳』所収の文章で、センセーショナルに述べている。
 だが、流布している伝記(坂本幸四郎のなど)に問題があっても、しょせん、伝記的事実は「確証」に乏しいものがあると言いたい。
 また、鶴彬も小林多喜二も宮本百合子も、貧しくはなかったからプロレタリアートでない、というのが正しいかは、しばらく考えたい。
 51句が引かれていたが、新版全集刊行前に旧版全集の誤記を直しているのは評価したい。

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投稿者:木村哲也2005/1/13 18:33
◇その他の新資料情報

 『鶴彬句集』岡田一と。
 『石川近代川柳史』。
 『近代川柳』。
 雑誌『オール川柳』から

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投稿者:木村哲也2005/1/13 18:31
◇『評伝 反戦川柳人・鶴彬』

 一叩人が、鶴彬研究会から刊行。1983年。
 季刊で、「鶴彬研究」という瓦版ふうのものが刊行されていたことも知れる。
 文庫サイズ。
 たいまつ社版との異同は、まだ不明。

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投稿者:木村哲也2005/1/12 20:07
◇「伝説のプロレタリア文学者鶴彬」

 オール川柳96年8月号の記事入手。
 伝説の鶴彬像への挑戦ふうの記事が30ページ。
 伝記は関心が個人的には薄く、また、どの道、確定できない。
 しばらく、この記事を読む。

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投稿者:木村哲也2005/1/11 20:42
◇澤地久枝は

 結局、無用の註は落とし、ダブりをなくし、初出に移し、としているのは評価できる。
 だが、『評伝』の註は考慮外だった。

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投稿者:木村哲也2005/1/10 10:28
◇新版全集での註

バット (十五)
トッカピンニズム
夜刈(*)(三)
坑(しき)(四)
三月
プロ吉やアヂ太
モップル (五)
亀戸 (九)
年貢
鼠泣き
あぶれ
十月 (十)
スカップ
ヅケ (十一)
半定歩
ヨボ
トロ
ワリビキ (十二)

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投稿者:木村哲也2005/1/10 10:12
◇初出以外につけた註

 「アゴヒモ」は、昭和10年の上の句でなく、昭和5年2月の下の句にあり。

 アゴヒモをかけ増給を言へぬなり
 アゴヒモをピケに頼んで「労民党」(新労農党)

 ただし、後者では「警察官」を指さないなら、これでよいわけだが。
 
 また、「シキ」は、「坑」を「しき」と読ませるなら、昭和12年より前でも、4年や10年にあり。
 そして、前にふれた「ダラ幹」が最後なのは、皮肉。

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投稿者:二健@tengu2005/1/10 4:21
◇ちょっと一服

儲け話があります。「オリックスマネー川柳」に応募すると1句で10万円ゲットできる可能性が十分あります。1回に3句まで無料で応募できます。締め切りは2005年1月31日(月)で、2月下旬入選発表予定。選考はオリックス40周年マネー川柳実行委員会です。私は3句応募しました。入選したら奢り合いましょう。詳細はURLクリック。ご健闘を祈ります。
http://40th.orix.co.jp/senryu/index.html

http://40th.orix.co.jp/

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投稿者:木村哲也2005/1/9 21:54
◇評伝で落ちた註

立ン坊 (四、1)
モップル (五、8)
あぶれ (九、2)
シャッポ (九、6)
シケ (九、6)
二八の春 (九、6)

 いつもながら意図不明。

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投稿者:木村哲也2005/1/9 21:43
◇『評伝』での註

バット (十五)
雪女郎
都腰巻
三界
カフェ
トッカピンニズム
てふ
干鰯
宇宙論
マルクス
無常
矢壺
解脱 (二)
ペシミスト
(カフェー)
立禁(三)
軍神の像
坑(しき) (四)
プロ吉やアジ太
マクドナルド
待合
深川 (五)
特高
亀戸 (九)
年貢
鼠泣き
玉の井
浚てふ
小名木川
二等車
魔窟 (十)
大福帳
アゴヒモ
スカップ
年期
身代金
ペンチ[ベンチ] (十一)
阿魔
ヅケ
新居格
内地人
半定歩
トロ
ヨボ
鮮人
シキ (十二)
エノケン
ワリビキ
花魁
メーデーのない
総検
ダラ幹

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投稿者:木村哲也2005/1/9 21:05
◇一叩人の註

 まずは旧版全集から。川柳自体にのみのとし、詩などのは除く。

都腰巻 (大十五、5)
トッカピンニズム (大十五、8)
立ン坊 (四、1)
バット (四、3)
プロ吉やアジ太 (四、7)
マクドナルド (四、9)
モップル (五、8)
亀戸 (九、2)
年貢 (九、2)
鼠泣き (九、2)
あぶれ (九、2)
シャッポ (九、6)
シケ (九、6)
亀戸 (九、6)
二八の春 (九、6)
玉の井 (九、6)
浚てう船 (九、8)
小名木川 (九、8)
シキ (九、9)
スカップ (十、6)
玉の井 (十、11)
スカップ (十一、5)
ヅケ (十一、5)
半定歩 (十一、12)
ヨボ (十一、12)
トロ (十一、12)
シキ (十二、2)
エノケン (十二、5)
ワリビキ (十二、5)
花魁 (十二、5)

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投稿者:木村哲也2005/1/9 20:12
◇ダラ幹

 以下の句にあり。

 捷(か)つことを恐れ裏切らせるダラ幹 (四、1)
 搾取した金を貰ふてゐるダラ幹 (四、4)
 ダラ幹が争議を売れば騰がる株 (四、7)
 ダラ幹になってスパイに敬まわれ (四、10)
 総検[総検挙]にダラ幹だけがのこされる (#十二、6)
 ダラ幹が争議を売ればあがる株 (十二、6)

 12年6月に至り、「ダラ幹」の説明を一叩人はしているが、4年のうちに、もちろん初出でやってほしかった。註の価値が半減する。

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投稿者:木村哲也2005/1/9 17:22
◇大正で約45%!

 校訂全句集打ち込み中。
 上記のとおり。

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投稿者:木村哲也2005/1/8 3:21
◇気まぐれ(?)一叩人

 大正15年の北国新聞投稿作品の一部は、旧版全集の参考資料編に載っている。
 そのうち以下の作品(あえてそのまま)は、※をつけて『氷原』(しかも「永原」と誤植)にも掲載とある。

 フイルムが尽れば白き幕に成
 枯枝に昼の月が死んでる風景 (以上2月14日)
 寒竹の春には枯木ばかりなる
 猫の眼は遂に闇をば知ず果つ
 ふれもせで別れし恋を忍ぶ春 (以上3月2日)
 バットの煙と幻想の魚およぐ (3月15日)
 棒杭と水さようなら左様なら (3月17日)
 菩提樹の蔭に釈尊糞たるる
 宿命の軌道に汽車は煙り吐き
 何物の二に割り出せし雄と雌
 ニッケルの主観ゆがんだ風景 (以上4月20日)

 しかし、3月2、15日分では、3月5日の『氷原』の、以下の句が見落としか。

 仏像を木にして噛る鼠なり
 便所から出て来た孔雀のよな女
バットのけむりに幻想の魚が泳ぐ

 4月20日分では、5月5日の『氷原』の、以下の句を見落としている。

 掌にまり[圏点2文字]の空虚に握りしめ 

 別にやらなくていいサービスは、中途半端にやるものではあるまい。

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投稿者:木村哲也2005/1/7 18:02
◇『あおぞら』

 ↑の鶴彬顕彰全国誌上川柳大会入選句集を入手。
 あかつき川柳会。2004年9月刊。創設3年と。
 本ブログでも名前を挙げた、佐藤岳俊ら、選者は5人。
 ここではあえて、大賞や準賞よりも、「鶴彬」が出てくる句を掲げる。

 鶴彬ごめん戦火がまだ消えず 表洋子
 鶴彬 鋼の意志は今も生き 井伊東吉
 鶴二世 反核平和ペン磨く 北岡文三郎
 鶴彬 切歯扼腕する派兵 田中文時
 この国に今こそ欲しい鶴彬 吉川卓
 鶴二世五百四十六人誕生す 塩満敏
 鶴彬と向き合う日本人として 和泉あかり
 自称鵼 鶴の丸太句懐に 石黒徹
 鶴彬あなたを生涯称えます 玉置英子
 つるあきら思想を胸に生き抜かん 中西すゝむ
 清純な鶴の太刀筋活きている ばもととしお
 多喜二ほど知られて欲しい鶴彬 北野哲男
  
 他に、以下の句が印象に残った。

 手と足や丸太も失せる核時代 井伊東吉

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投稿者:木村哲也2005/1/7 13:33
◇「仏像」の句

 仏像に供米が絶える小作争議 (*三、12)
 仏像の虚栄は人の虚栄なる (*大十四、11)
 仏像の封印切れば犬の骨 (*三、4北陸。三、4氷原)
 仏像はあはれ虚栄を強いられて (大十五、2)
 仏像を木切と思って食った鼠 (*大十五、3)
 仏像を木にして嚙る鼠なり (大十五、3)
 仏像を爪(つま)んでみると軽かった (*大十四、4)
 工場のひびきに仏像ゆらぐ (三、3)
 工賃へらされた金箔で/仏像のおめかし (#九、9)
 工賃/へらされた金箔で/仏像のおめかし (九、9補)

 最後の2句はいずれかでいいわけだが、4句めも、5句めがあればそれでいいのではないか。
 一叩人は、評伝に両方収録しているが。

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投稿者:木村哲也2005/1/7 11:32
◇やっぱりなぞの一叩人

 フイルムの尽くれば白き幕となり
 セコンドの刻み数ふる声ありき
 枯枝に昼の月が死んでる風景

 大正15年2月〜3月を打ち込み中。
 一叩人による評伝のほうも併せて目を通している。
 最初の句は、2月には以下の形だった。

 フイルムが尽れば白き幕と成

 これを採らないのはわかるが、5月の「決定稿」のほうを2月の位置に載せるのが、はたして妥当か。
 それから、3月2日の二つめの句は、3月5日には以下の形だった。

 セコンドの刻みを数ふ声ありき

 こちらを採らないのは、やや不可解。
 で、三つめの句は、3月にも同一で発表されている。ならばこそ、2月の位置を決定稿としたい。しかし3月の位置に載っている。
 わからない。

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投稿者:木村哲也2005/1/6 6:14
◇旧版全集未収録句

 校訂しつつ、全句集を打ち込みながら感じたこと。
 旧版全集で収録開始の大正14年5月5日より前で200句はあり、「総数」の7分の1はあるようだ。
 また、大正時代は未収録が多いのと、旧版全集収録の句は推敲による重複が多く、それぞれで分母が一つずつ減る印象だ。
 語られてきた鶴彬像が根本的に変わるわけでもないが、見過ごせない部分、とは言えるだろう。

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投稿者:木村哲也2005/1/5 12:38
◇「雀」「孔雀」の句

 裸木に雀ふくれ細く鳴き (*大十三、12)
 哲学の本読む窓の雀の恋 (*二、7)

 便所から出て来た孔雀のよな女 (大十五、3)
 孔雀!けんらんと尾をひろげれば生殖器 (#十一、8)
 王様のやうに働かぬ孔雀で美しい (十一、8)
 遊び飽き食ひ飽きさかり[圏点]飽く孔雀 (十一、8)
 蟻の卵のうまさを孔雀盗りおぼえ (十一、8)
 踏み殺し切れぬ蟻に孔雀は気が狂ひ (十一、8)
 生き残る蟻の凱歌に孔雀の死 (十一、8)

 最後6句は、「孔雀」題で一括。最後から2番めは以下の句であった。

 着飾った羽毛のあひへもぐる蟻

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投稿者:木村哲也2005/1/5 9:39
◇「鶏」「鳥」の句

 案外ある。初期と晩年。

争ひを夫(それ)と思はぬ鶏を見る (*大十三、11)
鶏よ猫よ痛ましい事実なり (*大十三、12)
鶏を飼(か)ひ恩給に日を送り (*大十四、1)
若夫婦飼ふ鶏の一夫多妻 (*大十五、7)

小春日を鳥が肥(こえ)をつついている (*大十三、12)
鳥が枝に止まるが如き人の命 (*大十三、11)
籠の鳥歌って女工帰るなり (*大十三、11)
人が居ないと籠の鳥は唄ふ (*大十四、4)
止(とま)り木をシカと掴んで鳴く小鳥 (*大十四、4)
ちょこちょこと大地を歩く鳥を見よ (*大十四、6)
ひょこひょこと大地を歩るく鳥を見よ (#大十四、7)
鳥籠の空間と蒼空の奥の奥 (大十五、2)
本投げ出す/網窓の外の/鳥影 (九、2)
金の卵を産む鳥で可愛がられる (十二、4)
奴隷となる子鳥を残すはかない交尾である (十二、4)

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投稿者:木村哲也2005/1/5 0:28
◇高得点句

 一叩人のダイジェスト、プロレタリア川柳集、京都犬学、小沢信男のEDI叢書、以上にすべて挙がっている句を掲げる。

ふるさとは病ひと一しょに帰るとこ (昭和10年)
奪はれた田をとりかへしに来て射殺され (同)
銃剣で奪った美田の移民村 (同)
空家がありあまるといふのにベンチベンチの野宿 (昭和11年)
もう売るものがなく組合旗だけ残り (同)
待合で徹夜会議で眠るなり (同)

 12年はダイジェストがないが、他の3冊に挙がっているうちから、特に以下の、最後の3句を挙げるべきだろう。

万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た
手と足をもいだ丸太にしてかへし
胎内の動き知るころ骨がつき

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投稿者:木村哲也2005/1/4 20:49
◇しゃもの国綺譚

 トリ年なのでと、マスターから注文。昭和12年。
 しかし、一叩人の校訂をしながら。

昂奮剤射された羽叩(はばた)きでしゃもは決闘におくられる
一叩人は「射たれた」としたうえに、「う」とルビを振っている。これはひどい。
 「羽叩き」にも「はばた」とルビがあるが、これも無用。
稼ぎ手のをんどりを死なしてならぬめんどりの守り札
 一叩人は「おんどり」としている。
賭けられた銀貨を知らぬしゃもの眼に格闘の相手ばかり
決闘の血しぶきにまみれ賭けふやされた銀貨うづ高い
遂にねをあげて斃れるしゃもにつづく妻どり子どりのくらし
 一叩人は「斃れる」に「たお」とルビを勝手につけている。まあ親切かもしれないが。
勝鬨あげるしゃもののど笛へすかさず新手の蹴(け)爪飛ぶ
 一叩人は「勝鬨」に「かちどき」と勝手にルビをつけているが、これは無用。
最後の一羽がたほれて平和にかへる決闘場
しゃもの国万才とたほれた屍を蠅がむしっている
をんどりみんな骨壺となり無精卵ばかり生むめんどり
 一叩人は前同様「おんどり」としている。
をんどりのいない街へ貞操捨て売りに出てあぶれる
 ここも同じ。
骨壺と売れない貞操を抱え淫売どりの狂ふうた
 一叩人はなぜか「抱へ」「狂う」としている。

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投稿者:木村哲也2005/1/4 17:39
◇一叩人によるダイジェスト(昭和11年)

@空家がありあまるといふのにペンチペンチの野宿
 本文とダイジェストでは、一叩人はなぜか「ペンチペンチ」。解説文では当然、「ベンチベンチ」だが。
 また、本文からずっと、「いふ」でなく勝手に「いう」としている。
Aもう売るものがなく組合旗だけ残り
B恋すればクビになる掟で搾りつくされる若さ
 一叩人は「おきて」とルビを勝手につけているが、これは自明で不要。意図不明。
C仲間を殺す弾丸をこさへる徹夜、徹夜
 ここも一叩人は「たま」と勝手にルビをつけているが、そう断言できるのか。
D泥棒を選べと推せん状が来る
E神代から連綿として飢ゑてゐる
F働かぬ獣どもさかり[圏点]に来て銀座の夜ひらく
Gこんなでっかいダイヤ掘ってアフリカの仲間達
H待合で徹夜会議で眠るなり
Iヨボと辱しめられて怒りこみ上げる朝鮮語となる

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投稿者:木村哲也2005/1/3 5:31
◇一叩人によるダイジェスト(昭和10年の続き)

H奪はれた田をとりかへしに来て射殺され
 一叩人は「奪われた」としている。
I銃剣で奪(と)った美田の移民村
J地主になるのぞみ果ての骨となり
K次ぎ次ぎ標的になる移民の募集札
L花嫁の写真を抱いて移民の死

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投稿者:木村哲也2005/1/2 3:37
◇一叩人によるダイジェスト(昭和10年)

@首を縊るさへ/地主の/持山である
 原句は三行書き。一叩人は小生の「/」でなく一字開けで対応しているが、もともと一字開けの句も
あるから、適切な処置とは思えない。
 また、「縊」に勝手に「つ」とルビをつけているが、異議あり。「くく」だろう、これは、いくら何
でも。
A鼠泣きおぼえて/ありつく/飯よ、白い飯!
 原句が三行書きなのの処理の問題は、@と同じ。感嘆符を一叩人は削除。
B一粒もとれぬに年貢五割引!
 2月には「穫れぬ」と漢字で、しかも「と」とルビがついていたのを、一叩人は勝手に落とした。
 また「年貢の」の形で、感嘆符はなかった。
 本文では何と、「穫れぬのに」としている。これはまずい。
 ここでは、3月の、「穫」をかなにし、感嘆符をつけた形を採った。
 次句の存在を知っていれば、この形を採るかは別にして、知っていたはずである。
Cひえ弁当の中に地主の餓鬼の白いめし
D売物になる娘のきれいさを羨(うら)やまれ
 一叩人はルビを落としていたが、意図不明。
 逆に本文では、「娘」に「こ」と、ルビが勝手についている。まあそうか、と思いつつ、なぜ解説で
はつけなかったのか。
Eふるさとは飢饉年期がまたかさみ
 3月には「ふるさとの」であったが、11月の形を採った。
 本文では11月の形を採り、解説では3月の形で収録とは、ややあきれる。
Fふるさとは病ひと一しょに帰るとこ
 本文ではなぜか2度出し、2度めにだけ「病ひ」に「やま」のルビがあるが、解説にあるルビなしが
最初の発表形。このルビは、なくてもわかるし、ない形で採った。
G冬越しが出来ぬ吐息にくもる鎌

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投稿者:木村哲也2005/1/1 11:53
◇一叩人によるダイジェスト(昭和4年)

@つるはしが掘らせて奪うやつに向き
Aどてっ腹割れば俺いらのものばかり
 一叩人は、「俺いら」を「俺ら」として「おい」とルビをつけたが、こういうことを勝手にやるものではない。
B十五日経ったら死ねと言ふ手当
 本文では「言ふ」としていたのに、解説では「言う」だった。
C血を咯(は)いて坑(しき)をあがれば首を馘(き)り
D絞め殺すたびに仲間の手がくまれ
Eみんな馘(くび)切れば機械のサボタアジュ
F今にとりかへすビルディングに追はれ
G俺達のこしらへた物ばかり
H虐使した挙句に病めば首を馘(き)り
 一叩人は「病めば」にルビを勝手につけているが、全く意図不明。
Iたこのある手と手が握る闇の中
J飢えさせておいて盗みの陥し穴
K三月のうらみに涸れた乳をのみ
 一叩人は「涸れた」にルビを勝手につけているが、意図不明。
 また、昭和10年3月の「三・一五の恨に涸れた乳を呑み」まで、いろいろに変わっていくことは指摘しておく。
L搾取した金を貰ふてゐるダラ幹
M待合で大衆を売る奴は無事
N大衆の手が打ち鳴らす暁の鐘
 一叩人は「暁」に「あけ」とルビを勝手につけているが、興ざめだ。五七五を踏まえ、少し知識があれば読めよう。
O団結の果てに俺いらの春の花
 別に一叩人の「誤記」はないが、だからこそAでの処理が場当たり的で、鶴彬に失礼。
Pダラ幹が争議を売ればあがる株
 一叩人は「騰がる」と4年版の表記で説明するのは当然だが、12年6月には「あがる」で再発表されているのを、ここであえて指摘しておく。
Qマクドナルドになっても失業が増へる
 一叩人は「増へる」にルビを勝手につけているが、興ざめだ。

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投稿者:二健@tengu2005/1/1 1:40
◇迎春 2005年元旦

キムテツさんのつるべん独走を、沿道から応援してます。バチバチパチ。

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2004/12/31〜16

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投稿者:木村哲也2004/12/31 10:58
◇一叩人のあとがき

 カバーの引用の続き。
 「編著者・一叩人は、執念の歳月15年をかけて『鶴彬全集』を編纂(へんさん)した川柳人。本書には、同全集刊行後に集められた未発表作品も収録した。」
 このことは評価はしたい。
 だが、あとがきの最後の以下のところはまずかろう。
 「なお、読者の便をはかるために、句(作品)の原文にルビをほどこし、下段の評論の引用は一部用字用語を改めたことをお断わりしておく。」
 お断わりされようとも、「読者の便」も何もあったものではない、とう部分は、これまでも見てきたし、まだまだ指摘せざるを得ない。
 一叩人の功績を本当のものにするためなので、誤解のなきよう。

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投稿者:木村哲也2004/12/31 10:44
◇『反戦川柳人・鶴彬』カバー

 「川柳は民衆の生活をおもしろおかしく皮肉った言葉の遊びだと考えられてきた。鶴彬(つるあきら)はそうした通俗的な笑いや、芸術至上主義の呪縛から川柳を解き放ち、最も鋭く国家権力にいどむ武器として反戦を叫び、自由を求める闘いのなかに夭折した詩人である。清治と文学の闇にむけて、今なにをなすべきかを提示する「いのちの復権」の書。」
 「鶴彬の痛烈な諷刺、透徹したリアリズムの川柳は、荒れ狂う天皇制ファシズムの時代状況とを重ねあわせるとき、生きることの誇りと感動を、読む人に与えずにはおかない。人民のための栄養ある書物。」
 『鶴彬全集』の宣伝文句。
 「国家権力に対峙する思想方法と、プロレタリア川柳の社会化の全身を賭した鶴彬の不滅の川柳と評論を集めた人民の遺産」
投稿者:木村哲也2004/12/31 2:28◇一叩人によるダイジェスト(昭和3年)

@めかくしをされて阿片を与へられ
A灼熱の群衆――鉄の門を破る
B重税に追はれ漁村に魚尽きる
Cロボットを殖やし全部を馘首する
D大砲をくわへ肥った資本主義
E餌さ少しくれて卵を山と積み
 冒頭にあった「口」を、新版全集にならって落とした。
F退けば飢えるばかりなり前へ出る
G血税に昇る兵工廠の煙む
H海こえて世界の仲間手をつなぎ
 本文ともども「海を」となっていたが、一叩人の写し違い。
Iプロレタリア生む陣痛に気が狂ひ
J学校へ社会へ別れていけというみちだ
 出典不明で、新旧全集にないことは、12/27 14:05で述べた。

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投稿者:木村哲也2004/12/30 8:49
◇一叩人によるダイジェスト(昭和2年)

 何年かは、特にいくつかの句に絞って、解説している。
 ここでは、挙げている句だけ見ていく。併せて校訂もする。
 最初に昭和2年。丸番号は一叩人。
@音楽ききすますブルジョアの犬
 さて、なぜか、この書では、本文も解説ででも「ききます」になっている。旧版全集ででも「ききすます」だったのに(もちろん新版全集でもそう)。
 なお、解説は、むしろ「ききすます」の内容である。
A賃金どれい鞭もつ人のあくびかな
B瞑想の聖者の膝を飢えた蟻
 一叩人は「ひざ」としていたが、新版全集で増補の翌月発表バージョンに直した。
C監獄の壁にどれい史書きあまり
D蟻つひに象牙の塔をくつがへし
Eあな尊ふと聖書を売れば明日のパン
F明日の世の古典とならん鞭鎖
 一叩人は「鞭、鎖」としていたが、新版全集で増補の翌月発表バージョンに直した。
G鞭うてど不死身のどれいばかりなり
H溺死者の続く思想の激流よ
I飢と言ふ影に追れて反旗を伏す
 「飢と言ふ影に追はれて反旗伏す」などと、なぜか解説でだけ書いている。ここでは本文や新旧全集の形に直した。この誤りは、率直に言って鶴彬に失礼だ。
J王子おのが王者になるを疑はず
K高く積む資本に迫る蟻となれ
 「資金に迫る蟻となる」が本文や解説での形。
L貧乏ふえて王様万歳!
 「貧民ふえて王様万歳」が本文や解説での形。しかもこちらでは、解説で「貧民」という語を出していて、収拾がつかない。
M君よ見ろ、兵器工場の職工募集
N夜業の時間、舞踏会の時間――
 解説では「会」が落ちたまま。
O米つくる人人、粟、ひえ[圏点]、食べて
 本文と解説では、「ひえ」の後に点がなく、最後にダッシュあり。また、解説では「食へて」で進む。意図不明。

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投稿者:木村哲也2004/12/29 8:12
◇なぞ(その21)

 昭和12年。
 5月1日。

 空白の頁がつゞくメーデー史

 旧版全集での脱落のままの脱落。
 以上で、終了。
 まあ、「表記いじり」の問題もなおなしとしないが、参考になる場合もある。注しかり。

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投稿者:木村哲也2004/12/29 8:06
◇なぞ(その20)

 昭和11年5月15日。

 血に飢えた闘犬へ飼主肥り切りてゐる

 5月12日には、以下のとおり。

 血に飢ゑた番犬飼主ふとってゐる

 こちらをあえて採る一叩人が、ややわからない。
 この年はこれだけ。

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投稿者:木村哲也2004/12/29 7:58
◇なぞ(その19)

 昭和10年5月1日。

 食ひ込んだ捕縄にそむく力こぶ
 みのらぬ稲を自転車で見にきやがる

 いずれも、旧版全集での脱落のままの脱落。
 他は、この年は問題なし。

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投稿者:木村哲也2004/12/29 6:58
◇なぞ(その18)

 昭和9年。
 1月1日。

 目かくしされて
 書かされてしまふ
 ○○書

 伏せ字は「転向書」、というこの作が、なぜか「削除」。

 9月。

 借金證文
 握りしめて
 地主の溺死よ

 旧版全集で脱落し、ここにもなし。

 あと、あえて言えば、8月1日の以下の句も、同様と言えば同様。

 姉妹つぎつぎに売られ飢餓日本!

 他は、この年は問題なし。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 23:22◇なぞ(その17)

 昭和5年は問題ない。
 明日、昭和9年から。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 23:07
◇なぞ(その16)

 昭和4年。
 1月1日。

 平台(ひらだい)を輪転機にして束に馘(き)り 重役の賞与になった深夜業

 以上が脱落。
 後者は、旧版全集での脱落。前者は不明。

 7月1日。

 検束をしても亦組む腕と腕

 旧版全集にあるので、脱落原因不明。

 9月1日。

 緊張をうらむ土木課の人夫

 同様。

 10月1日。

 大衆の怒濤死刑をのりこえる

 9月1日には、「乗り」だった。一叩人はそちらを採った。言及のみ。
 この年も、以上。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 22:46
◇なぞ(その15)

 昭和3年4月10日。

 奴隷ども集め兵器をこさへさせ

 旧版全集に脱落のを「継承」。
 でも、この年は、これ以外は問題なし。
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投稿者:木村哲也2004/12/28 21:33◇なぞ(その14)

 昭和になると、だいぶ、処理は安心(?)して見ていられる。
 しかし、3月31日。

 不妊症の妻のかたへの卵かな

 旧版全集で脱落し、そのままの状態ゆえ、ここでも脱落した。
 6月23日。

 明日の世の古典とならん鞭鎖

 5月5日の「鞭、鎖」を採っている、とのみ、ここでは言及する。

 7月1日。

 恋ピエロ機械! 奴隷の地獄絵ぞ

 5月5日は以下のとおり。

 恋! ピエロ! 機械! どれい! 地獄絵ぞ!

 一叩人はこちらを採ったが、判断に迷うところ。
 昭和2年は、以上で特に問題なし。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 20:49
◇なぞ(その13)

 9月14日の処理は問題なし。
 9月17日の処理。

 人生の一部を街に酔ひくずれ

 この句がなぜか落ちた。
 11月3日の処理は問題なし。
 12月5日も同様。
 以上で、大正時代は終わり。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 20:33
◇なぞ(その12)

 9月5日。
 なぞの不掲載が、以下の2句。

 父母のない女、父母なき我と恋!
 若葉の圧力の下で女と語る

 例によって(?)、ここのほうを採るべきと主張したい句。

 神の手のランプと人の宇宙説
 海の青、空の蒼さと相映じ

 以下が、一叩人の採用した、以前に発表したほう。

 神の手のランプに人の宇宙論
 海の蒼、空の青さと相映じ

 前者は、結果的に昭和2年3月に、「宇宙説」の句を発表しているので、鶴彬もそのほうがよいと思い直したのだろう。
 後者は、「蒼天」も「蒼海」も、どちらも言えるが、だからこそ、後に発表した句を優先したい。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 20:00
◇なぞ(その11)

 その10での、菩提樹の句は8月25日。
 
 性慾の仮面ぞろぞろ二十世紀の街

 なぜか未収録。
 で、「慾」の字が鶴彬の好み。考えてみれば、澤地久枝は、旧かなにこだわりながら、新字体にしている。問題かもしれぬ。
 さて。
 
 尿すれば、我が夜くまなくひびきけり
 人肉と、血の酒、卅世紀のカフエー
 哲学の本伏せて見る窓の青葉だ

 ここに掲載された、後の形のほうが、以下の初出よりよいはずだが。最後の1句は異論もあろうが。

 尿すれば我夜(わがよ)くまなく尿の音
 人肉血の酒卅世紀 カフエー
 哲学の本伏せて見る窓の若葉

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投稿者:木村哲也2004/12/28 19:11
◇なぞ(その10)

 菩提樹の蔭に釈尊糞たるる
 菩提樹の影に釈尊糞を垂れ

 前者が大正15年4月、後者が8月。後者のほうがよくなった。
 しかし、なぜかいずれも収録されず。
 他の、「糞」の出てくる句はどうか。 

 糞(くそ)の上に陽(ひ)の七色や蠅の羽根 (*大十五、6)
 蟻食ひの糞殺された蟻ばかり (十二、7)

 二健さんの類想句もある前者を含め、上の2句は収録されているから、別に糞嫌いの一叩人ではないようだ。

 「職工入ルベカラズ!」重役の糞たれるところ (*十、7)

 は、掲載号を未入手で収録しなかっただけ。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 17:07
◇あかつき川柳会

 要項着。
 鶴彬顕彰全国誌上川柳大会『あおぞら』を申し込んだ。
 会報は20号。句会は年明けで11回め。会則は昨年7月から。
 大阪城内への顕彰碑の設置を、大阪市に申し入れている、と。
 はたまた金沢への旅では、鶴彬を知らないタクシー運転手とか、反戦の鶴彬より、地元の偉い人で行きたい、という動きを知った。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 16:53
◇なぞ(その9)

 8月5日。
 
 みゝずもぐれど知らぬ地の深み

 見当たらない。
 11月に以下の句はある。

 みゝずのた打てどコンクリ固い

 だからと言って、こちらを落としていいわけではあるまい。
 
 恋ざめて過去の背中に夢を彫る

 6月27日には以下のようであった。

 恋覚(さめ)て過去の背中に夢を彫る

 昭和2年3月も、8月のほうと同じで、???である。6月のほうで一叩人が採ったのは、うなずける。

 太陽の注射、街、朝の蘇生

 6月発表は以下のとおり。

 太陽の注射! 街(まち)、朝の蘇生

 前者のほうがいいとも思えないが、前者を収録。

 十字架を磨き疲れた果てに死す

 これは6月も同じなので、そちらへの収録を了解。
 同様のものとしては、以下の句があり。

 文明の私生児トッピンカンニズム

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投稿者:木村哲也2004/12/28 14:53
◇訂正

 尺蠼(しゃくとり)の歩みは時をさしはかる

 上の形で、大正15年の6月22日に発表のを一叩人は収録していた。おわびする。
 しかし、俳句でないので、連用形より終止形で終わるほうがよいのでは。

 さて、6月26日、27日収録分は特に問題はなし。
 7月21日分は、未入手か収録なし。
 29日分は問題なし。
 8月1日分も問題なし。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 14:26
◇なぞ(その8)

 6月5日。
 
 尺蠼[しゃくとり]のあゆみは時をさしはかり

 新版全集では、昭和2年3月にも再録されているが、この時点では一叩人は未入手のようで、その発表誌の他の作品も、いっさい落ちている。
 だが、こちらでも、落としてしまった。不可解。

 落葉の一転二転無我空無

 ルビが最後の4文字についたのは6月22日発表分だが、特殊な読みは要求していない。ここの初出を優先したい。

 猫遂に家族主義者の群れに入る

 6月22日に同じ形で再発表なら、ここを優先すべき。
 「レッテル」で始まる句は、22日の改稿を優先でいいだろうが。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 14:01
◇なぞ(その7)――鶴彬自身も

 5月5日の続き。先に4月20日に発表した形で掲げる。

 虚無時代、恋、心底に冬眠す
 光明の一線の先闇をさす
 絃切れた響き未来へ続きけり
 敵対す猫の瞳に映る我れ

 虚無時代恋心底に冬眠す
 光明の一線の先闇を指す
 絃切れた響未来へ続きけり
 敵対す猫の瞳に映るわれ

 2句めと4句めはよくなっているが、1句めと3句めはそうとは言いがたい。
 鶴彬の意図も不明である。
 また、一叩人によれば、「絃」は「いと」だが、そう割り切ってよいものか。
 はてさて、以下の句が落とされては困る。

 神をきく椅子に尾骨のうづきけり

 ここで、コピーで読んでいて、原本を探求していたのが、入手との連絡。もちろん、ありがたいことだが。
 つき合うのが大変な(?)本。

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投稿者:木村哲也2004/12/28 11:37
◇まとめて――なぞ(その6)

 大正15年5月5日の『氷原』掲載の冒頭の3篇。

 何物の二に割り出せし雄と雌
 ニッケルの主観ゆがんだ風景
 フイルムの尽くれば白き幕となり

 2句めは4月20日の北国新聞と同じで、そちらを優先するのは当然だ。
 しかし、1句めは、その日の以下の句、3句めは2月の以下の句が採られている。

 何物の2に割出せし雄と雌
 フイルムが尽れば白き幕に成

 こちらのほうがいい、という人は、普通はいないだろう。
 また、最後の句。

 棒杭と水、さやうなら、さようなら

 を採らず、3月の、

 棒杭と水さようなら左様なら

 を採るのも、わからない。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 23:01
◇改悪――なぞ(その5)

 バットのけむりに幻想の魚が泳ぐ (大十五、3/5)
 バットの煙と幻想の魚およぐ (大十五、3/12)

 発表日が創作順とは限らないかもしれないが、ともあれ、後者のほうがいいなどとは思いがたい。前者を採る一叩人に賛成。

 しかし、表記をいじり、順番を変え、しかも以下のような句を結果的に発表してはいけないだろう。

 宿舎の軌道を汽車は煙り吐き

 「宿舎」とは奇異。実は「宿命」だった。

 宿命の軌道に汽車は煙り吐き (大十五、4)
 宿命の軌道を汽車は煙吐きつ (大十五、5)
 宿命の軌道を汽車は煙を吐きつ (大十五、8)

 いろいろ手を入れたが、最終的には昭和2年3月には、大正15年5月のに戻したことが、新版全集で知れる。
 そして、残酷な言い方だが、「宿舎」を「宿命」にしてみたところで、一叩人バージョンは、どれにも該当しないのである。
 手書きとコンピューターの時代の違いはあれど、指摘していけないわけではあるまい。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 22:03
◇なぞ(その4)

 便所から出てきた孔雀の女 (大十五、3)

 数日前の初出では、「孔雀のよな女」であったのを、そのまま収録し、こちらを落としている。

 セコンドの刻みを数ふ声ありき

 同様の例。数日前は、「刻み数ふる」だった。
 前のほうをわざわざ収録することもないだろう。
 しかし、以下のような場合もある。

 去勢してさあ革命を言ひたまへ (大十五、3/5)
 去勢してサア革命を云ひ玉へ (大十五、3/12)
 去勢してさア革命を云ひ玉へ (大十五、3/20)

 一番最初の表記が自然で、一叩人もそれを採用している。ここはうなずけた。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 20:52
◇猫嫌い?――なぞ(その3)

 猫の眼は遂に闇をば知らず果つ (大十五、3)
 猫の眼はつひに闇をば知らで果て (大十五、3)
 
 どちらも収録されていない。
 ただし、別に猫嫌いではないようで、以下のような「猫」の句は収録されている。

 鶏よ猫よ痛ましい事実なり (*大十三、12)
 琴の音をかたへの猫も聞如し (大十五、4補)
 敵対す猫の瞳に映るわれ (大十五、5)
 骨を噛む仔猫の牙にふとおびゆ (大十五、5)
 猫遂に家族主義者の群れに入る (大十五、6)
 がくぜんと相見しこの世の猫鼠 (二、2)
 農村予算が/軍艦に化けて/飼猫までたべる冬籠り (九、5)
 食う口をへらすに飼猫から食べはじめ (十、2)

 猫を食べる、というのは、二健さんでなくても、嫌なことだが。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 19:06
◇なぞ(その2)

 表記への手入れなどでも変更がある場合は、初出を削り、変更後を優先、というのはわかる。
 逆に、同一作の再掲は、先を優先し、後を削っているのもわかる。
 しかし、後者の場合で、後を優先している場合もある。単なる勘違いだろうが。

 寒竹の春には枯木ばかりなる (大十五、5)

 3月にもあったとは、旧版全集でも補足されていた。

 さらには、改訂版があるのに、前者のみの掲出もある。これはいただけない。

 むなしやな音の行方を見失ひ (*大十五、2)

 半月前の「行衛」のほう収録とは。

 旅人へ吹雪に消えた里程標 (大十五、1)

 が残り、

 旅人と吹雪と里程標の先 (*大十五、2)

 が残らないのは、よくはわからない。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 17:26
◇一叩人のなぞの校訂

 大正15年からだが、重複を除いて、ほぼ全句が収録されている。
 それだけに、新版全集と併せての復刊が望まれる。
 
 しかし、表記の乱れ、勝手なルビは、旧版全集同様だ。注は全集より多く、参考にはなる。
 しばらく収録状況を見ていく。
 
 唖と話せば原始的になる

 大正15年の作だ。差別語使用だからか、旧版全集にあったのに、収録されていない。
 しかし、それ以前に、「唖」を含む句が、以下のようにあった。

 着物が一番華やかな唖の子よ (*大十三、12)
 子供等の表情を唖の子は追ひ (*大十三、12)
 飯事(ままごと)に唖の子つくねんとして立ち (*大十三、12)

 とりあえず、指摘のみとする。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 15:42
◇小沢信男のEDI叢書での採録

 大正13年から少しずつとられている。新版全集に依拠していよう。
 ほぼ編年体だが、4句のみの大正14年に始まり、昭和3年の10句は「アトランダム」だ。次年1月にすべきかのものも含まれている。
 昭和10年も、18句がアトランダム。また、表記やルビをいじっているが、注がないのは、むしろすっきりしたか。
 昭和11年もアトランダムだが、意図がわからぬ。12年に至り、ほぼ整然とするから。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 14:59
◇『プロレタリア短歌・俳句・川柳集』

 大正15年は2句、昭和2年も2句。
 昭和3年からはまとまって出てくる。勝手に新字新かなにされているのは、気になるが。
 さて、1句ずつ出典つきで、編年体だが、やや乱れたのが2か所。
 1934年6月号の『川柳人』が8月号の『詩精神』よりあとになった。
 1935年の『黎明』は3月だが、年末に置かれている。
 ルビや注は、編者の独断かに見えるが、目に余るほどの分量ではない。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 14:49
◇京都犬学HPの誤り

 今は、鶴彬のコーナーはなぜか見当たらない。
 さて、昭和3年からしかUPされていなかったから、旧版全集とでも、出だしが違う印象だ。
 表記がいじられているが、一叩人ほどではない、と、あえて申しておく。
 昭和9年の最後に、「労働街風景」6句が載っている。旧版全集では9年2月であったが、新版では10年2月扱いになっていた。この位置にあるのはそのことと無縁ではあるまい。
 9年には、先にも掲げたとおり、主として3行の行分け作品ばかりであった。行を分けていない6句がこの位置にあるのは、残念ながら旧版全集の誤りであると断言できよう。
 さて、10年の最後の3句(「空家が」「けふのよき」「ゴミ箱」)は、翌年年頭の誤りである。
 11年の中に、「首を縊る」「温泉へ」の2句の行分け作品があるが、10年1月の誤りであり、「救済を」「ひえ弁当」「凶作の」の3句も、10年3月の誤りである。
 特に大きな罪はないが、気づいたのでまとめてみた。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 14:32
◇続き

 殺された同志になびく組合旗

 川柳人1929年5月号、と出典が『プロレタリア短歌・俳句・川柳集』に載っており、京都犬学のHP(つるべん当日までにダウンロード分が配付)にも載っている。
 ちなみにこの句とともに、前者のみに載っている句は以下のとおりである。

 感激にのたれ死に行く神秘主義

 後者のみに載っている句は、以下のとおりである。

 絞首台動かし誓ふ革命家

 前者は川柳の神秘主義への勝利宣言ととれるからともかく、後者は鶴彬の句か断言はできない。

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投稿者:木村哲也2004/12/27 14:05
◇なぞの出典

 学校へ社会へ別れていけというみちだ

 旧版全集刊行の翌年に同じ出版社から一叩人が出した『反戦川柳人・鶴彬』の、昭和3年の最後に、全集未収録作品として、紹介されている。
 だが、新版全集には見当たらない。
 ただし、以下の句は、旧版全集では最後の「だ」こそ落ちていたが、昭和9年3月に収録されている。

 工場へ! 学校へ!
 わかれて行けといふ
 道だ!

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投稿者:木村哲也2004/12/26 15:44
◇「生活」の句

 鉄鎖(てつくさり)の解(とけ)る日生活の恵(めぐみ)を見せ (*大十三、11)
 生活へ真剣になれぬある生活 (*大十三、11)
 搾られた生活白痴の子が殖える (三、4)
 腕組みをといて生活へぶつかり (十、5)
 明日に待つ生活しなびた腕をなで (十、5)
 生活苦しなびた腕にのしかゝり (十、5)

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投稿者:木村哲也2004/12/25 9:48
◇「運命」の句

 運命は目をつぶった侭流し (*大十三、12)
 運命を怨んで見るも浅猿(あさま)しさ (*大十三、10)
 運命は四十八手を使ひ分け (大十五、2)
 過去の背中に運命が笑った (大十五、3)
 涸[から?]むべき運命に張切バラソル (大十五、3補)

 以降、年号は漢数字(大正のみ「大」を付す)、月は算用数字。「補」は、ガリ版刷り全集になく、旧版全集で補われた作品。

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投稿者:木村哲也2004/12/24 0:02
◇「いのち」の句

 鶴彬は「生命」に「いのち」とルビをつけることが多かった。

 燐寸(マッチ)の棒の燃焼にも似た生命(いのち) (*大正13年10月)
 滅びゆく生命(いのち)へ滅ぶ可(べ)きが泣(なき) (*大正13年11月)
 失恋は生命(いのち)へシカとしがみ付 (*大正13年12月)
 柵の中に枷あり枷に生命あり (*昭和3年2月)
 職を与へろとデモになる生命を賭けたアヂビラ (昭和5年3月)
 団結へ賭けろどうせ食へない生命じゃねえか (昭和5年6月)
 張り替えが利かぬ生命の絃が鳴り (昭和10年3月)
 
 (*は、新版全集に初出。+は新版全集で削除)
 ただし、「命」1字で「いのち」と読ませていることもある。

 いい夜先(まず) 幾つかの命ゆがめられ (*大正13年11月)
 鳥が枝に止まるが如き人の命 (*大正13年11月)
 儚[はか]ないと捨られもせぬ命なり (*大正13年11月)
 命つぐ呼吸に命刻まるる (大正15年3月)
 仇に着す縮緬織って散る命 (昭和4年3月)

 さて、以下の句でも、「生命」は「いのち」と読むのだろう。

 生命捨て売りに出て今日もあぶれ (+昭和9年2月。*昭和10年2月)

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投稿者:木村哲也2004/12/23 21:19
◇こういうものも

 半球の闇を地球は持ち続け

 大正15年6月。旧版全集にあり。

 半球の真昼、半球の真闇(まっくら)

 大正15年9月。新版全集に初出。
 まあ、関連作ではあるだろう。

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投稿者:木村哲也2004/12/22 8:53
◇昨日に似て

 「フジヤマとサクラの国の失業者」(昭和10年11月)という句で、翌年5月には、「失業者」が「餓死ニュース」に変わっている。
 こういう場合、前者は注でふれるが、「格下」扱いでいいだろう。

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投稿者:木村哲也2004/12/21 13:24
◇校訂しながら

 表記がやや違う程度の類似作は、後のものを決定稿としたいが、必ずしもそうも行かない場合もあり。
 また、「足をもぐ機械だ手当もきめてある」(昭和10年3月)という句が、数か月後に「足」だけ「腕」に変わっているのは、どう扱うか考え中。
投稿者:木村哲也2004/12/20 16:01◇続「糞」の出てくる鶴彬の川柳

「職工入ルベカラズ!」重役の糞たれるところ

 昭和10年7月。新版全集に収録。
 これ以上はないようで(^.^)
さて、ようやく鶴彬全句打ち込み終了。
 本格(?)校訂作業の年末年始。
 新版全集に新収録作品を、本ブログで随時紹介。

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投稿者:木村哲也2004/12/19 10:51
◇『川柳人』187号、昭和3年5月から

社長に逢へど帽ぬがなかった失業の秋
支那出兵兵工廠に働らく支那人
バナナ食べる釈尊の性慾
ストライキ夕陽血走っている

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投稿者:木村哲也2004/12/18 12:47
◇澤地久枝の言

 「復刻にあたって」から。
 「井上剣花坊への追悼詩が示しているように、鶴彬は基本的にやさしい心をもつ礼儀正しい青年である。しかしこと川柳に関する主張では容赦なく、激しい。だが彼が依拠した唯物弁証法は直接、革命の武器としての川柳の母胎にはなり得ない。教条主義理論に縛られたジレンマのもとで、あるべき川柳の役割を説きつづけた鶴彬の評論は、時代の制約下にある。鶴彬自身は信奉し主張する自説の帰結として、自らの妥協、変心、転向の選択をいっさい封印することとなった。歴史の時間をへだてて読み返すと痛々しく無残な「たたかう川柳」の提唱に誰よりも忠実にしたがい、いのちを賭けることになる川柳人鶴彬、一つの時代の証人というべき青年がこの「全集」のなかき息づいている」
 「鶴彬の生きた時間は短く、自由に文学活動のできた時間はもっと短い。そして時間だけが問題なのではなく、思うままに作品を発表できる時代ではなかった。彼はその生涯、みずから一冊の句集もまとめる機会のないまま死んだ。作品をのこす権利を奪われた人生といってもいい。評論は一篇の生原稿さえ残っていない。特高警察の押収と処分の他、所持していた人たちによる焼却がおこなわれている。それは、彼の仕事が完全な形であとにのこされることを不可能にした」
 鶴彬の評論についてふれる際に、心しなければならないことが、述べられていよう。

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投稿者:木村哲也2004/12/17 13:52
◇最後

 『川柳でんでん太鼓』田辺聖子、講談社、1995年 (12/5 18:46 19:57)
 川柳の卑下に苦言を呈し、2章を鶴彬にささげている。
 『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』田辺聖子、中央公論社、1998年 (12/1 19:34 12/4 10:10)
 下巻第6章に約90ページ登場。独立した伝記として読める。
 『昭和遠い日・近いひと』澤地久枝、文藝春秋社、1997年 (12/5 20:28)
 一叩人にも言及。「ケンカ鶴」とも。
 「鶴彬全仕事」澤地久枝、1998年 (11/21 23:53)
 新版全集刊行の経緯と、宣伝。
 「『鶴彬全集』を復刻刊行 澤地久枝さんに聞く」『赤旗』1998年10月10日
 編集の苦労話と、全集の紹介。
 「忘れ得ぬ人 鶴彬」澤地久枝、1999年冬 (12/6 20:09)
 「鶴彬研究」には、全集をよく読んでほしいとも。
 『蒼空の人・井上信子』谷口絹枝、葉文館書店、1998年 (11/28 1:25 12/5 21:14)
 秋山清による鶴彬への言及を紹介。女性著者が、他の川柳人にもふれる中で、鶴彬にふれているのが、一般に読みであり。
 『現代川柳の荒野』佐藤岳俊、新葉館書店、2001年 (11/29 8:45 12/5 14:32)
 鶴彬情報がたくさんわかる。
  『没法子北京』東野大八、蝸牛社、1994年 「醜虜の群れと紅い花」で、「手と足を」の句に言及。 (12/5 13:31)
  『昭和特高弾圧史1 知識人に対する弾圧 上』明石博隆、他、太平出版社、1975年 雑誌『川柳人』に関する記述で、鶴彬も登場。
  『月刊川柳大学』1996年7月号に北川弘子が「研究資料ノート 鶴彬」を掲載。 (12/9 13:08)
  『東北の歴史100問100答』歴史教育社協会編、新興出版社、1992年 「娘の身売りは本当にあったか」で、「つけこんで小作の娘買いにくる」の句などを紹介。 (12/4 17:43)
 『ミリアリア 石川の近代文学』金沢近代文芸研究会編、能登印刷出版部、2001年
 川柳人では鶴彬のみ。5句。
 『松倉米吉 富田木歩 鶴彬』小沢信男編、EDI叢書、2002年 (12/4 19:30)
 作家紹介はさわやかだが、参考文献目録はおざなりだ。
 『国家に抗した人びと』新藤謙、子どもの未来社、2004年
 家永三郎他、5人。
 他に未確認情報あり。

 以上が「鶴彬研究序説」概要。

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投稿者:木村哲也2004/12/17 13:50
◇また続き

 「2−2 新たな文献情報」
 『反戦川柳人・鶴彬 作品と時代』一叩人、たいまつ社、1978年 (12/9 20:50 12/10 12:01 21:03 12/11 10:07)
 作品の脚注の形で、解説をしているが、時に長文過ぎて、読みづらい。
 また、新版全集では、一叩人のこういう評論を取り込むべきだったかと思う。
 『鶴彬の軌跡』岡田一と、文芸集団、1981年 (11/22 9:28 11/23 13:56)
 雑誌連載22回の総集編。長い作品の引用だけだったり、全集刊行後としては不満である。
 『蕾よ、暁を抱け』島正富、北国出版社、1988年 (12/9 20:37 12/10 19:57 20:58 12/11 10:29 12/12 13:04 12/13 9:32)
 「無断転載、上演歓迎」の変わった戯曲。よく調べて、筆致も絶妙である。
 『川柳人鬼才鶴彬の生涯』山田文子、他、日本機関紙出版センター、1997年
 実妹が著者の一人。地元の写真が多いのはいいが、特に従来の雑誌記事の域を越えていない。
 『反戦川柳作家鶴彬』深井一郎、日本機関紙出版協会、1998年
 新版全集での略年譜削除を受けてか、こちらに収録だが、内容は↑よりも薄い。
 『新興川柳選集』一叩人編、たいまつ社、1978年 (12/6 22:02 12/7 10:10)
 鶴彬にささげられたり、言及されている評論も読める。
 『新興川柳運動の光芒』坂本幸四郎、朝日イブニングニュース社、1986年 (12/6 20:47)
 鶴彬言及分の2章はまずはまとまっているが、むしろ田辺聖子の序文のほうが読ませる。
 『井上剣花坊・鶴彬』坂本幸四郎、リブロポート、1990年 (11/23 10:55)
 サイズに比して、詩の引用が長すぎ、狙いが果たせていないよう。
 『プロレタリア短歌・俳句・川柳集』新日本出版社、1988年
 鶴彬の川柳だけまとめて読める。

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投稿者:木村哲也2004/12/16 22:48
◇続き

 「2−1 旧版全集での文献情報」
 『近代の漂白』秋山清、現代思潮社、1970年、で収録の「鶴彬」は、『思想の科学』1960年9月に初秋の記事を収録したものである。『日本の名随筆別巻53川柳』作品社、1995年、にも、該当箇所が収録されている。 (11/23 22:53 11/24 0:04)
 『現代川柳への理解』河野春三、天馬発行所、1962年、での鶴彬の収録は、わずかであった。
 『雪と炎のうた 田中五呂八と鶴彬』坂本幸四郎、たいまつ社、1977年、では、一叩人の名の由来が述べられている。
 「反抗の生涯――反戦の川柳家鶴彬」佐藤冬児、1961〜1964年、では、手際よく川柳が引用されている。 (11/25 17:14)
 「鶴彬――その人と作品」岡田一吐、1963年、では、作品集刊行の必要性について述べられている。
 「鶴彬の二つの詩と半文銭」佐藤冬児、1966年、では、資料不足ゆえ、遺作品に語らせる紹介でよい、と述べられている。 (11/25 17:02)
「反戦川柳――鶴彬の作品と現在」一叩人、1966年、も、「鶴彬川柳作品の今日的意義」一叩人、1969年も、入手不能であった。
 「鶴彬評論抄」佐藤冬児、1970〜1971年、では、十分な紙幅で述べられていながら、旧版全集よりも少ない作品入手状況だったとわかる。
 「評論――反戦と革命の詩人――鶴彬」牛尾絃二、他、1972年、は、入手できなかった。
 「反戦川柳作家――鶴彬の肖像」前田慶穂、他、1972年、は、やや伝記の一人歩きかの評伝である。
 「『川柳人』に現れたる喜多一二のあしあと」渡辺尺蠼、1973年、は、全容が判明していない。
 「鶴彬・研究ノート」岡田一と、1970年、は、未入手である。
 「戦争とたたかった川柳 ”鶴彬の業績をしのんで”」岡田一と、1963年12月6日、は、9月14日の命日に鶴彬祭が行なわれているのが知れる。

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投稿者:木村哲也2004/12/16 22:05
◇鶴彬研究序説

 拙稿のあらましを述べつつ、ここまでのブログの整理とする。( )内の日付は、当ブログでの投稿日である。
 「はじめに」では、2冊の全集のいきさつと、2冊めでの断わりのない増補と削除について述べた。
(11/22 9:28)
 「1−1 作品の追加」では、まずは評論の追加が以下のとおりである。
「新興川柳断片箇條書」大十五、5 (12/6 11:00)
 「新興川柳詩野に就て」大十五、8 (12/8 18:20 21:37)
 「明日の川柳詩壇私観」大十五、8 (12/9 9:51)
 「「一握の砂」その他」大十五、12 (12/9 15:39)
 「地底の呻き(上)」昭三、3 (12/9 15:55)
 「地底の呻き(下)」昭三、3 (12/9 16:04)
 「川柳の正しい発展に就て」昭九、11 (12/9 17:19)
収監中の新聞記事もである。 (12/9 16:17 )
井上信子の日記には、生稿もあった。 (12/9 21:04)
 「思い出の鶴彬」に烏三平が加わった。 (12/9 21:17)
 川柳作品については、大正時代には多くが追加され、昭和になると徐々に減った。 (11/21 23:10 23:20 23:37 11/23 0:13 15:18 18:44 11/24 14:47 11/25 17:24 17:54 22:04 11/26 11:14 )(11/27 14:34 11/29 19:06 11/30 1:01 12/4 17:56 18:01 18:03)
 異文の整理をし、使用語彙の分析のほうが、これ以上の伝記研究よりは有効と思う。
 詩の追加は以下のとおりである。
 「衰弱した四月の思想」昭二、5 (11/23 18:40)
 「落ちる枯葉を見た私」昭二、12 (11/23 15:39)
 「文明が押し寄せてきた(上)」昭三、1
 「文明が押し寄せてきた(下)」昭三、1
 「因習の殻を破れ」昭三、2 (11/23 17:36)
 追加された書簡もある。
 「1−2 一叩人筆写の問題点」では、間違いの多さのことをあえて指摘した。 (11/24 0:51)
 「1−3 評論の分類」では、全評論の見取り図への手がかりを示した。

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投稿者:木村哲也2004/12/16 19:37
◇『君は反戦詩を知っているか』井之川巨

 皓星社、1999年。
 緊急入荷。帯を引く。

 こんな日本人たちがいた
 時流に乗って、声高に威勢のいい掛け声をかけるのがカッコよく見える現在(いま)。
 ほんものの強さ、ほんものの優しさとは何かを
 低い声で語りかける、詩と川柳。
 与謝野晶子、竹久夢二、から金子光晴、鶴彬らの作品を読む。
 
 鶴彬は、第二部の川柳のトップである。「反戦川柳のはげしさとやさしさ」とある。
 同世代人、秋山清とのことからふれている。
 秋山の鶴彬評が述べられている。
 「鶴の川柳は作句も技巧もだが、今日なお読むにたえるものがありとすれば、それは作品をつらぬいている意欲の、あるはげしさのためである」
 「他の気の利いた反戦作品にくらべて、並たいていではなく強力ななんかがある」
 さて、著者は田辺聖子の『道頓堀』での鶴彬の描写に異を唱えている。ただ、個人的には、「史実」にはあまり関心がない。
 1996年から、鶴彬賞が地元で設定され、川柳が公募されている、というのを初めて知った。
 50句ほどの句の紹介が、最後になされている。

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2006年05月20日

2004/12/15〜01

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投稿者:木村哲也2004/12/15 19:21
◇これまでの整理をします

 「反戦川柳人鶴彬研究序説」を、大学の雑誌に投稿した。4月には刊行。
 ブログの成果も生かしている。
 それと併せて、これまでのブログを整理したい。

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投稿者:木村哲也2004/12/14 14:21
◇訂正

 平林たい子の小説の引用は、新版どころか旧版全集に、もっと長く収録されていた。見落とし。

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投稿者:木村哲也2004/12/13 9:32
◇『蕾よ』ハイライト場面

喜多 だが私の田舎では、百姓の子は昔のままなのです。教育はおろか空に事欠く日常を送らさせられているのです。これはなにによるものか。言うまでもなく軍備拡張のための重い税金のしわ寄せが原因です。
 育ち盛りの子どもが十分に食えぬ、こんな残酷な話ってありますか。
川上 ふ−ん、そりァ君のようにヒューマニズムを真っ向かに振りかざしてこられると、我々として返す言葉はないがねえ。
 しかし社会というものは、決して一色だけの価値観で成り立っているものでもないからねえ。
 (揶揄するように)どうかね、この辺で一つ革命でも起してみては。
喜多 (真面目に)いや、革命はいけません、たとえそれが成功した所で、権力を握った人間のやることは皆同一です。

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投稿者:木村哲也2004/12/12 13:04
◇『蕾よ』名シーン

喜多 鶴ちゃん。
鶴子 かっちゃん、逢いたかった。(泣く)
喜多 鶴ちゃん、達者やったのか、宜かったねえ、本当によかった。
 わしは軍隊に入る前に、鶴ちゃんに逢いとうて尼崎の紡績工場へ尋ねていったことがある。
 ほやけど鶴ちゃんは、もう辞めていて姿がなかった、寂しかったなァ。子どもの頃母親と別れて身内がささくれだつような悲しさで泣いたが、あのときと同じ思いを抱いて空しく帰ったものだ。

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投稿者:木村哲也2004/12/11 10:28
◇『蕾よ』名場面

川上[三太郎] 今日、井上先生にお逢いしたくて参りましたが、生憎とご他出ということで。
 先生からあなたのことを少々伺っていましたが、いや、お若いですな。実に意外に思います。
 失礼ですが、お幾つでしょうか。
喜多 はあ、満で十八になります。
川上 ほう、まだ十代ですか。そうですか。[中略]
 つい先日発行の「川柳人」に載っていたあなたの論文と一連の作品を読ませて頂きましたが、いや、実に堂々たる論旨で、私は感服の念を禁じ得ませんでした。それで相当のお年の方と、実は勝手に想像していたような次第です。

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投稿者:木村哲也2004/12/11 10:07
◇一叩人の「悪文」

 ちょっと厳しい言い方だが、読点ばかりでなかなか句点が来ない、以下の引用。
 「胃袋で直感した鶴彬は、この瞬間において労働者鶴彬の自己を確立したといえるが、その後の彼は、ひたすら教えを森田一二に求めその示唆による学習に励んだが、中でも、河上肇の『社会問題研究』誌とレーニンの『なにをなすべきか?』を精読するに及んで、更に階級意識を強固に裏づけし、理論と実践を結びつけ、其の後の川柳生活にはいうまでもなく、労働者としての生活にも、反支配階級意識を実践実行に移し、酬わるることを期待しない人民への奉仕に生涯を賭けたのだが、大阪での敗け犬は、一度帰郷後、職を求めて単身上京(九月十三日)『川柳人』では初の評論「僕らは何を為すべきや」を発表し(一二月)芸術至上主義、ロマンチシズムを排し、生命派との訣別を宣し、新たな人生観、世界観に立つ文学川柳と実生活を実践行動に移し始めた。」

 さて、昨日の『蕾よ』で、「抗議録」→「講義録」に訂正します。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 21:03
◇一叩人の川柳評

 年ごとに10数句挙げて、詳述している。
 あとは、全集に思いつき(?)のようにつけていた注を、充実(?)させた感じだ。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 20:58
◇『蕾よ』ハイライトシーン

 何箇所か、抜粋していく。
 鶴子は、井上剣花坊の娘、喜多が鶴彬。

鶴子 かっちゃんは、なんで師範学校へ行かなんだがや。ずっと級長を続けておって、いつも師範へゆきたい、と言うておったのに。
喜多 うん、わしァ本当にゆきたかったけど叔父さんが家の手伝いをしておりァ宜いちうもんで。
 ま、学校へ行かんでも勉強ァできる。抗議録を取り寄せるちう手もあるし。
鶴子 あたし、かっちゃんが本当に可哀そうやと思う。かっちゃんのお父うが、かっちゃんの小さいときに亡くなって、お母ァが直ぐ東京へお嫁に行って仕舞うて。師範学校にも行けんで、辛いことやろねえ。
喜多 うん、貧乏人ちうもんは、いつもこんなもんや。何に一つ思うようにならん。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 20:47
◇T氏情報

 平林たい子の小説「砂漠の花」の第2部、と、一叩人の評論で判明。第1部にはなかったというのは正しかった。
 その部分を孫引きする。
 「も一人、T氏といって、新興川柳派の若い人がいた。T氏は、川柳中興の祖といわれる井上剣花坊に師事して、同氏がなくなってからも、夫人信子を助けて雑誌を出していた。T氏がここ[留置場]に入れられる動機となったのは、その雑誌に、「万歳と挙げた手を大陸に置いてきた」といった反戦川柳をのせたことからだ。私は、外にいたときから、両氏[T氏とH氏=橋浦時雄]ともよく知っていたので、話相手には事欠かなかった。T氏はその川柳を特高室ではじめて見せられたときには、思はず自分の憂鬱を吹きとばして大笑いした。この人心の逼迫の戦時に、そんな大胆な川柳を雑誌にのせる人間がいたとは、およそめずらしくのんびりしたことであった。(中略)金にも着るものにも事欠いて、いつもよごれたふうをしているT氏の姿は、さながら中野暑にいる自分の夫の姿だった。(中略)若いT氏も私も、特高係に受けのよい従順な留置人ではない。私たちは、小さいことでよく反抗して、何日も留置場に置きぱなしにされた。」
 確かにT氏は、鶴彬そのままだ。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 19:59
◇『蕾よ、暁を抱け』には

 「無断転載、上演を歓迎します」とある(爆)
 変わった本だ。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 12:01
◇一叩人の「評論」

 どんな書き出しか、見てみよう。
 「”革新川柳の始祖”である鶴彬も[中略]北国柳壇[中略]に発表した作品は、[中略]その「革新」は無思想に近い伝承派、文学的自覚を持たない伝承派に対する詩性派的革新であって、ロマンの中に夢を追い、ニヒリズムの中に孤独な創始を希求し文芸至上主義の域を脱してはいなかった」
 新版全集で、何とか収録できなかったのか、せめて言及ぐらいあってもよさそうだ、あるいはこちらだけ復刻するほうが、むしろ大衆にはよかったのではないか、とまで思う。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 21:17
◇思い出の鶴彬

 中島國夫(烏三平)のが、新版全集に追加された。

 食堂を閉じて爆弾抱かせる
 
 同時代人から見ても、こういう句が出てくるように、鶴彬の食生活は悲惨だったらしい。
 色白だったが、女性のようではなかった、として、以下の句を引いている。

 どてっ腹割ればおいらのもの計り

 句碑の句は、以下のものだという。

 暁を抱いて闇にゐる蕾

 戯曲の題の下敷きだ。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 21:04
◇井上信子の日記

 新版全集には、書き直す前の原稿が併載されている。
 例えば、鶴彬の臨終のシーンでも、旧版収録の清書(?)のより、臨場感のある分、好きだが。
 旧版。
 「昨晩○○[霊安]室へ移したといふ。道を聞いて○○室へ趣き[ママ]待つ事一時間、母に附き添ひ三人の兄妹がやって来た。中で長兄は昨夜わざわざ盛岡から出京したとの事、お互ひの挨拶は至極簡単ではあったが言葉に出せぬものが通じ合ってゐるやうに思へた」
 新版。
 「一同○○室に入り永久の別れの合掌である。彼の意思と同じに頑強であった肉体は傷ましいほどスリ減らされ、出す丈のヱネルギーを発散し尽くし、然る後君はいとも安らかに闘士の影さへも皆無に見える」

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投稿者:木村哲也2004/12/9 20:50
◇『反戦川柳人・鶴彬 作品と時代』

 一叩人、たいまつ社、1978年。
 一叩人は、前年の旧版全集では、鶴彬について論評していないが、川柳と詩の作品集の脚注の形で、時代背景、評論の引用、固有名詞などへの注ばかりでなく、多少、鶴彬について述べている。
 ↓も含め、古書業界に出回らないのは、その優秀性のためか。
 しかし、こちらの本は、澤地久枝が言及していないのも奇妙だ。
 いずれ、詳述する。
 大学図書館ネットワークに感謝する。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 20:37
◇『蕾よ、暁を抱(いだ)け――鶴彬の生涯』

 島正富、北国出版社、1988年。
 戯曲である。五幕六場。加賀の一向一揆「清き、夜明け目ざして」が併載。
 例えば、こんな感じ。

川上 [中略]「手と足をもいだ丸太にしてかへし」[中略]等々、すべて彼の作品には本来川柳になくてはならぬ風格が、これっぽっちもないじゃありませんか。[中略]
信子 いえ、鶴さんについちゃ、亡くなったおとうさんも高く評価していた人ですし、今の生き方は少しも間違っちゃいないと妾も固く信じています。

 鶴彬の理解は、かなりであるようだ。
 で、出演者が多くて、上演は難しい。
 また、小説でないので、朗読ともいかないし。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 17:19
◇「川柳の正しい発展に就て」

 意外にも(?)新版全集に初出。
 昭和9年11月25日『川柳倶楽部』
 新興派と伝統派の対立の問題である。
 古川柳は、武士階級の没落を描いているという。
 その出現自体は、新興川柳と似ている、というのである。
 伝統派の、明治新川柳も、事情は同じ、という。
 敵と戦おうというのに、相手を知らなすぎるという。
 さて、「真実の現実」を描かず、上皮だけ描いているのが、従来の川柳だ。「現実の内容にまでメスをさしこみ、えぐりだす」ことが必要という。確かに。
 新興川柳も、神秘主義から現実主義になったという。膿を破って出すだけでなく、その根をえぐり出す手術を知らないようだが、と。
 内的リアリズムの要求で、定型律を自由律に高めて行く、ということで終えている。
 自由律への志向が出てきた。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 16:17
◇新版全集に初出

 昭和52年の新聞記事(『北陸中日新聞』)。
 「死後にわかった"人間の真価"」
 兵隊時代に、出獄してきた鶴彬を見知っていた、ということを今になって気づいたという、65歳の人の投稿。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 16:04
◇「地底の呻き(下)」

 前回の続き。3月31日。
 金と人との関係が書かれる。
 金のない者は夢を見る、という。
 安サラリーマンの夢。
 半羨半呪の夢。
 刹那の呪いの夢。
 最も目覚めた労働者の夢。
 ここまでは、具体的に描写されている。
 淫売婦の夢、殺人犯の夢、狂人の夢、は例示のみである。
 しかし、これらは「空虚な一時的な満悦」であるともいう。かえって憂鬱になると。
 この悩みを忘れるために、三つのことが挙げられているが、非現実的で、やや破滅的なのが気になる。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 15:55
◇「地底の呻き(上)」

 新版全集に初出。昭和3年3月20日『北国新聞』朝刊文芸欄
 短編小説ふうの評論である。
 文明の発達が、人間を幸せにするとは限らない、ということである。
 ブルジョアは幸せになっても、無産者はそうでない、という論調である。金がなくては、何ともならないと。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 15:39
◇「「一握の砂」その他」

 新版全集に初出。大正15年12月22日『北国新聞』朝刊
 なぜか冒頭は芭蕉の句。

 麦の穂をたよりにつかむ別れかな

 新興俳句がダメでも、新興川柳までダメではない、とあり、しかも、『北国新聞』以外の発表作も見よ、と意気軒昂(笑)だ。

 そして、田中五呂八の句が続く。

 土のある限りつづけと生みはなし

 産児制限問題に対する句、というが、時代背景は個人的には詳らかでない。
 俳人にはわからないだろうなあ、この川柳は、という論調の、短い記事である。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 13:08
◇『川柳大学』96年7月号

 時実新子の雑誌で、郵送のみである。
 川柳研究資料ノートとして、見開きに、編集部の北川弘子が、38句とともに「抄出と報告」を書いている。
 戒名が、釈明澄位、と初めて知った。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 9:51
◇「明日の新興柳檀私観」

 新版全集に初出。大正15年8月25日『氷原』。
 新興川柳に対して、大島濤明と坂井久良妓のみの反応は、まだまっとうかと、というものである。
 それでも、後者には「伝統主義者の迷妄」という非難をしている。前者には「コンクリート式の伝統主義者の頭脳」と言っている。
 新興川柳も、必ずしも「合理的な神全的[ママ]な存在」ではないが、既成川柳を「不甲斐なき先輩盲従主義」とこきおろしている。
 しかし、「先人達の持つ、深遠な哲学的思索や、崇高な詩操[ママ]など、大いに学ばなければならないと思ってゐる」という部分もある。
 最後に、「厳密なる個の対立」による自己創造、を強調している。

 さて、今回、「ママ」をつけた、鶴彬の造語癖にあらためて気づいた。

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投稿者:木村哲也2004/12/8 21:37
◇続き

 表題は、「ついて」→「就て」でした。
 さて、後半は、『氷原』からの川柳の抜粋である。

 水がめに水の枯れたる日とてなき 亮鳴
 
 という冒頭の句が代表的か。
 「川柳は今や通俗趣味の巷流の中に、芸妓や娼妓の喝采を得て、得意としてゐる時ではない。床の間の敷島をねらふ余技でもない」と、最後に述べているのも引いておこう。

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投稿者:木村哲也2004/12/8 18:20
◇「新興川柳詩野について」

 新版全集での収録である。大正15年8月6日、7日。
 金沢の『百萬石』から最近、批判を受けていると始まる。数年前の既成柳檀からの、新興川柳批判と同じだと。
 それを、田中五呂八の『新興川柳詩集』を読んでくれ、と言って反論が始まる。
 「詩とは生命の声」であって、「訳のわからぬ寝言」でも「変態短詩」でもない、と言っている。
 そして、『百萬石』にも新興川柳ふうのがある、と言って、以下の句を掲げ、前半が終わる。
 
 米櫃の鳴る悲哀から薬びん 服隠子
 凧糸に小さい力すがるなり 維呂波
 蟇口の一つ家計のすべてです 同

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投稿者:木村哲也2004/12/7 10:10
◇鶴彬について論じられたもの

 まずは、副題に出てくるもの。
 中島國夫「定型律批判の立脚点――鶴彬氏の時評を読みて」
 古屋夢村「新興川柳第二期運動――喜多一二君に贈る」「『影像』の宣言書――鶴彬君に贈る一片」
 木村半文銭「プロ川柳の思想性と芸術性――鶴彬君に答ふ」「答礼に対する答礼――鶴彬君にこれを贈る」
 ついで、言及されているもの。
 井上剣花坊「プロレタリア文学とブルジョア文学」「川柳王道論」
 田中五呂八「机上論から実際論へ」「詩は実践にあらず」「新生命への出発」
 森田一二「創作態度の問題と若干の反駁」
 中島國夫「弦を張り了へて」「自由律セクト主義批判の批判」
 木村半文銭「川柳の大衆性について」
 川上日車「表現と闘争と思想」
 じっくり読まねば。
←|21|22|23|24|25|→

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投稿者:木村哲也2004/12/6 22:02
◇『新興川柳選集』

 たいまつ社から、旧版全集の翌年(1978)に、やはり一叩人の編集で出ている。雰囲気は似た本である。
 井上剣花坊、田中五呂八、森田一二、鶴彬、中島國夫、古屋雪村、木村半文銭、川上日車、渡辺尺蠼、島田雅楽王(うたおう)、高木夢二郎、井上信子、白石維思樓が収録されている。評論と作品である。
 鶴彬の場合は、「僕らは何を為すべきや」「生命派の陣営に与ふ」「プロレタリア川柳批評への批評的走り書」「全国新興川柳詩人に与ふ」「木村半文銭論」「川柳の大衆性と芸術性」「二つのデマに対する答礼」と、100超の句である。
 さて、索引を見ると、全体にわたって鶴彬が出てくる。これだけで、ブログを立ててもいいか、と思うほどである(笑)
 特に、木村半文銭には、副題で鶴彬にあてているものもある。
 こういう、鶴彬を他の人が何と言っているかも調べたかったが、本書でまとまって知ることができる。
 単なるアンソロジーでなかったことに、感激している。

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投稿者:木村哲也2004/12/6 20:47
◇『新興川柳運動の光芒』坂本幸四郎、朝日イブニングニュース社、1986

 函館の坂本の、必ずしも印象はよくなかったが、この本だけはやや違う。
 10章のうち、第七章「反戦柳人・鶴彬」、第八章「新興川柳派の終息」に、鶴彬が出てくる。
 だが、冒頭の、田辺聖子の跋文を、むしろ引いておきたい。

 「田中五呂八の新興川柳、その実作品と、それを裏打ちする理論武装は、川柳を完全に近代文学に脱皮させる主動力となった。五呂八に呼応し、鶴彬が登場する。鶴はプロレタリア詩人ではあるが、決して教条的な動脈硬化したイデオロギー御用詩人ではなかった。血の熱い、魂の鼓動のたしかな、美しい川柳を作り、返す力で犀利な理論闘争を展開する。
 [中略]
 日本文学史、などというものも、このへんでもう一度すっくりとやり直して、従来の歪みを訂正しなくてはいけないのではないだろうか。[中略]
 私は[中略]古川柳から読みはじめ、そこから一挙に現代川柳へ飛んで、それがすべてだと思っていた。
 これは私だけでなく、一般の社会人も、そして文芸評論家も、あるいは近代文学専攻の大学の先生、学者の方々もそうではなかろうか。
 そうでなければ、申し合わせたように、日本の近代文学から、田中五呂八や鶴彬の名が落ちているはずはない。」

 小生は大学人ながら、日文の教員ではないので、多少気楽だ(?)。
 また、脚韻だって、なぜか日本の文学史に欠けているという思いも共通して、鶴彬にのめりこむのかもしれない。

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投稿者:木村哲也2004/12/6 20:09
◇『北國文華』復刊2号、1999年冬

 澤地久枝の「忘れ得ぬ人 鶴彬」が収録されている。
 後半は、おざなりな(?)鶴彬伝だが、前半の新版全集への経緯がらみでは、引きたいところがある。

 「鶴彬について書かれた多くの文章のほとんどは、一叩人氏の「全集」および文章に依拠している。あとから歩む者は、先人がなし得なかった空白を埋める努力をするべきなのだが、出典さえ示さず、一叩人が健在か否かも確認しないものがある。論証の不十分な記述や談話からいつか伝説といいたい「鶴彬」が一人歩きをはじめてもいた。一叩人は沈黙をもって答とした。
 [中略]
 鶴彬に関心をもつ人は、彼の全作品(十五歳から二十九歳まで)を読んでほしい。「伝説」ではなく、鶴彬本人による思想的変遷や境遇が、川柳や詩、もしくは評論の文中にはっきり顔をのぞかせていることに気づくはずである。それが「鶴彬研究」の土台となることを願わずにはいられない。」

 最後では、「鶴彬研究」と、はからずもある。全部は、旧版では読んだ。適任であるかはわからないが、面識のない澤地久枝にエールをもらった気分だ。

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投稿者:木村哲也2004/12/6 11:00
◇「新興川柳断片箇條書」

 新版全集で加わった、鶴彬の評論である。大正15年、5月27、28日。
 心の感情の直唱の一般詩歌より、川柳のみが理智のひらめきを、が趣旨だ。
 言わんとすることはわかるが、昨日引いた、秋山清の言でもないものの、「直唱」だけなら、むしろ鶴彬自身ではないか(笑)。秋山は、鶴彬の言う理智を、むしろ鶴彬自身に求めていたようにも思うが。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 21:14
◇『蒼空の人 井上信子』

 鶴彬については、他のこととついでに(?)書いている女性のもののほうが、読みがいがある。
 「四章 戦時下をいきる」は、鶴彬が頻出する。
 前述の平林たい子が司会のパーティーのことに始まり、詩人の永瀬清子による反論のこともふれている。
 向いていないとされる、川柳での連作についてふれられた後、同時代人であった秋山清による鶴彬への言及がある。
 「比喩が手っとりばやすぎる。[中略]「これでは検閲の目が光る、検閲の目をくぐりぬけて民衆の胸にとびこむものでなければ川柳の値うちがないじゃないか」といいたいものがあった。」
 しかし、ストレートな物言いが、鶴の鶴たるゆえん、という、著者の谷口絹枝に同感だ。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 20:44
◇一叩人への言及

 澤地のこの本は、新版全集刊行寸前である。
 さて、句碑建立に合わせてまとめらた『県民の友』をもとに、旧版全集の元となったガリ版刷り全集ができた、という。
 そして、改訂版全集に向けての資料が渡された、と好意的に書かれている。
 しかし、新版全集では、すでに示したように、一叩人に、必ずしもよいことばかりを書いていない。

 小生も一叩人のこと思うと、胸が痛む。
 一叩人なくしては、「つるべん暴走機関車」もなかった。
 しかし、新発見資料はともかく、ミスの多い書き写しは、鶴彬に、読者に失礼な部分もやはりあろう。
 小生にとっては、読み直しである、鶴彬の評論の文体は、少なくとも、とやはり言わざるを得ない。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 20:28
◇『昭和・遠い日 近いひと』

 澤地久枝、文藝春秋、1997(後に文庫化)
 やや、従来の男性軍の、ありきたりな伝記ふうで進む。
 旧版全集の一叩人についても言及している。

 さて、以下のところが興味深い。長くなるのを承知で。
 「鶴彬には、向きあっている権力のもつ強権について、おそれを知らないところがあった。学校で学ぶのでなく実地で、頭ではなく胃袋で自らをきたえたつよさと、世間を知るには経験の足りない若さとをもっていた。
 「ケンカ鶴」とよびたいほど強気な論陣を張る一方、鶴彬は先輩の川柳人とくにその死に対してはまことにゆきとどいた文章を書く青年だった。その人品について、色白の物静かな人だったという回想は多い。
 彼は多くの川柳批評をしていて、歯に衣きせぬ手きびしい論評を加えているが、比較例として自作の川柳をかかげることになんのためらいもない。それ以上にすぐれた川柳がないからやむを得ないと本人は考えたかも知れないが、たいへんな自信家でもあった。そうの傲慢を叩かれてはいるが、鶴彬を非難しながら彼を愛した人は多い。」
 小生がなぜ鶴彬が好きかの理由が、はからずも垣間見えた。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 19:57
◇『でんでん太鼓』に戻る

 2章めに行く。
 伏せ字は「ごうもん」であるという。
 自身ばかりでなく、同時代人も。
 自由律への移行についても言及されている。

 『道頓堀』へのウォーミングアップの役割を十分にしたのではないだろうか。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 19:12
◇平林たい子のこと

 『道頓堀』でも、「井上信子(剣花坊夫人)を励ます会」で、平林たい子が司会をしたことをふれている。
 小説「砂漠の花」のT氏が鶴彬がモデルらしいが、小生が見るかぎりでは、第1部後半で林芙美子と同棲する俳優がT氏である。第2部に出てくるのか?

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投稿者:木村哲也2004/12/5 18:46
◇『川柳でんでん太鼓』田辺聖子

 考えてみれば、つるべんの資料に挙がっていながら、これ自体を詳しく述べたことはない。
 講談社、1985(後に文庫化)
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」と「働けばうづいてならぬ○○○○のあと」の2章が、鶴彬である。
 前者は、「戦後に復員兵や傷痍兵がよんだのではない」と、出だしにある。「日中戦争のまっただなかで、川柳作家が堂々と発表している」と。
 先だって、「俳句」にも「プロレタリア」が形容するのかと小生は述べたが、田辺は小林多喜二と比較し、川柳にもプロレタリアがつくのか、という読者が多いことを言う。
 また、俳句をやっている人が、卑下して「自分のは川柳」と言ったり、川柳をやっている人が、卑下して「昔は俳句をやっていた」と言ったりしていることに、苦言を呈している。
 以降は、表題の句や関連作を、当時の時代背景に置き直し、特高のこわさを述べている。
 そして、田中五呂八、阪井久良妓、井上剣花坊らとの関係が述べられる。
 昭和12年に逮捕された時は、平林たい子もいっしょだったという。
 そこまでで、1章めは終わっている。 

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投稿者:木村哲也2004/12/5 14:32
◇迸(ほとばし)れ諷刺レアリズム

 ↓の典拠は『現代川柳の荒野』だが、読み返しているうちに、鶴彬が初めて出るのは、11月29日の午前の書き込みより前の、上記の章だとわかった。
 しかも、『道頓堀』が刊行されたころには、川柳雑誌でも特集を組んでいることがわかり、さっそく手配した。
 さて、上記の章では、鶴彬が剣花坊について述べている部分も引かれている。
 古川柳の穿ちと同様のものが現代に、という趣旨で、この章は進んでいく。
 鶴彬の評論のタイトルが次々紹介され、「鶴彬が現代に問いかけるもの」という小見出しもある。
 鶴彬の生涯を演劇として、1996年に上演したともある。
 木内稔、北川弘子の、出典不明の鶴彬に関する文章があることも知れた。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 13:31
◇醜虜の群と紅い花

 『没法子北京』の最初のほうの、上記の章の最後あたりに出てきた。

 「(戦争は終わった。それも屈辱きわまる無条件降伏だ)
 唇を噛みうつろな目で、良助は傍らを見回した。そこには松葉杖や、ふらりと空っぽの片袖や、軍衣跨(ぐんいこ)をぶら下げた足切断の一群の人たちがまったくの放心状態でたたずんでいた。
 [中略]拳で地を叩き続ける者、なかには横転して砂まみれの男もいた。彼は立ち上がろうにも両手がないのだ。[中略]
  ○手と足をもいだ丸太にしてかえし
 反戦川柳作家鶴彬(つるあきら)の句だ。彼はきっとこの醜虜の群を頭に思い描いたに相違ない。」

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投稿者:木村哲也2004/12/4 19:30
◇『松倉米吉 富田木歩 鶴彬』

 小沢信男編、EDI叢書、2002
 夭折した三人の短詩系作家の作を、108ずつ。
 作家紹介は「さわやか」だが、「参考文献目録」は、率直に言って貧弱だ。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 18:03
◇「小作」の語がある鶴彬の作品

納米にされる小作の子と生まれ (昭十一、3)

 どれも、もっとあるかと思ったが、こんところであった。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 18:01
◇「淫売」の語がある鶴彬の作品

淫売婦共同便所、死、戯場 (大十五、5)
淫売も出来ず馘(き)られた老女工 (昭四、2)
淫売を失業とストライキより記事が無い (昭五、8)
淫売をふやして淫売検挙だってさ (昭五、8)
骨壺と売れない貞操を抱へ淫売どりの狂ううた (昭十二、9)

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投稿者:木村哲也2004/12/4 17:56◇「娘」の語がある鶴彬の作品

花の東京の亀戸よ/娘っこは/年貢うらめしの/鼠泣きよ (昭九、2)
売り値のよい娘のきれいさを羨まれてる (昭十、11)

 後者は3月に発表した作に手を入れたものである。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 17:43
◇娘の身売りは本当にあったか

 『東北の歴史100問100答』新興出版社、1992
 歴史教育者協議会が編者。
 74番めの問いが、上記。回答は、伊田稔・山形。
 事実だとして、最後あたりに、以下の部分がある。
 「新聞も「身売り」防止のキャンペーンをした。石川県に生まれた川柳作家鶴彬(つるあきら)は「修身にない孝行で淫売婦」/「つけこんで小作の娘買いにくる」の作品を残し、人びとの胸をうった。」
 後者はともかく、前者の背景は、なるほど、と今さらながら納得。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 10:13
◇『没法子北京』

 ざっと見た感じでは、鶴彬を見かけない。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 10:10
◇田辺聖子の岸本水府伝、鶴彬の分は読了

 『道頓堀』の中の、鶴彬の部分だけ独立させても、十分に価値ありと思う。
 小説家ならではの人物描写のうまさに、評論等もきちんと折り込んでいる。
 日本機関紙出版センターからの、『反戦川柳作家鶴彬』『川柳人鬼才鶴彬の生涯』は、評論について無関心だし、後者は内容も残念ながら薄い。
 評論などのまとめには、田辺の文章を置きながら読むのがいいと確信した。

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投稿者:木村哲也2004/12/3 16:29
◇『ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義』

 大貫恵美子、岩波書店、2003。
 鶴彬参考文献に挙がっていたので、取り寄せてみたが、索引にも出ず、直接の言及はないようだ。

 さて、息切れぎみながら、15日締め切りの大学の雑誌(400字30枚)には、予定していた脚韻論をやめて、「鶴彬研究序説」とし、鋭意、ブログでの記述も取り込む。

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投稿者:木村哲也2004/12/2 16:52
◇小説「砂漠の花」には

 鶴彬は、ざっと見た感じでは登場しない。
 平林たい子の自伝的小説か。

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投稿者:二健@tengu2004/12/2 2:54
◇プロレタリア俳句の名句

  川へ虹プロレタリアの捨て水は  原子公平 『浚渫船』(1955)

「無産階級の人の捨て水は、川へ虹を作るではないか」といった意味に取れる。省略と倒置で描かれたささやかな虹の象徴は、すこぶるアイロニカルだ。この手の俳句は、スローガンや観念的になるのが関の山だが、みごと詩となり、俳となりえている。中七の子音の七色が煌びやかな微光を発しているのが印象的だ。
投稿者:木村哲也2004/12/1 20:16◇ ↓は

 新日本出版社、1988年。

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投稿者:木村哲也2004/12/1 20:07
◇『日本プロレタリア文学集40 プロレタリア短歌・俳句・川柳』

 約300の、鶴彬の句を収録。全句集を編集するヒントになった。

 そして、プロレタリア「短歌」もともかく、俳句もプロレタリアで修飾されるのを知った。

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投稿者:木村哲也2004/12/1 19:34
◇『道頓堀の雨に別れて以来なり』田辺聖子

 第6章に中公文庫版でも100ページ以上、鶴彬の登場。中巻だけで600ページ。川柳作家・岸本水府とその時代、というのが、本全体の副題。1998年中央公論社刊、文庫は2000年。

 他に、『国家に抗した人々』新藤謙、子どもの未来社、2004年。水野広徳、北御門二郎、中井英夫、家永三郎と並んで、30数ページ。
 『昭和特高弾圧史1、知識人に対する弾圧 上』明石博隆他編、太平出版社、1975年。178ページに登場。
 『ミリアリア 石川の近代文学』金沢近代文芸研究会編、能登出版印刷部、2001年。川柳で唯一人5句収録。生家地図あり。

 以上、本日入荷、鶴彬情報。
 該当箇所のコピーは、サムライに郵送しました。
 
 ↓の二健さんのご指摘に感謝。
 小生の不適切さを深謝。

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2006年05月19日

2004/11/30〜21(開始)

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投稿者:二健@tengu2004/11/30 1:39
◇念のため

キムテツさんの言う「俳句ライブ」とは、先達の五島瑛巳氏の「俳句ライブ」ではなく、もののふの会の「独演!俳句ライブ」(略称「俳ラ」)のことです。誤解なきよう。そういえば、「俳ラ」のギネマ、三亀、二健の自由律俳句と似てますね。

  涸れた乳房から飢饉を吸ふてゐる   鶴彬
  葡萄吸ふ弟のやうな睫毛して   櫂未知子

何か共通してますね。悲愴の程度は雲泥の差ですが実感がこもります。母体というキャンバスで戦争と平和が描かれたようです。「葡萄吸ふ 未知子」をGoogleで検索したら、たった一つ、自分のHPの頁だけが引っかかりました。

http://www.ne.jp/asahi/hai/ten/

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投稿者:木村哲也2004/11/30 1:01
◇続・俳句ライブふう川柳

人、街にうごめく蟻となる哀れ
干鰯の如く民衆眼を貫かれ
多角形農業/多角形で貧乏になる
涸れた乳房から飢饉を吸ふてゐる
一粒もとれぬに年貢五割引!
みのらぬ稲を自転車で見にきやがる
もう売るものがなく組合旗だけ残り
サナトリウムなど知らぬ長屋の結核菌
死なないといふだけの餌でつぶされる日が迫り
産み疲れて死んでやれ飼主めひぼしにならう
をんどりのゐない街へ貞操捨て売りに出てあぶれる

 昭和時代編。大正時代編同様、新版全集新収録以外からも採った。

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投稿者:木村哲也2004/11/29 19:06
◇俳句ライブふう川柳

赤とんぼにも生命(いのち)があります
この大地この人の群この太陽
便所から出て来た孔雀のよな女
波、波、波、女、獣めく
海の蒼さは太陽の認識不足だ
みゝずのた打てどコンクリ固い

 以上、あまり根拠なく、大正時代編から。

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投稿者:木村哲也2004/11/29 18:34
◇小説「砂漠の花」平林たい子

 に、モデルが鶴彬という登場人物あり、という情報が、新版全集から得られた。さっそく手配。

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投稿者:木村哲也2004/11/29 8:45
◇『現代川柳の荒野』

 佐藤岳俊が新葉館から、2001年に刊行している。
 「鶴彬とその時代」「鶴彬と田中五呂八の墓碑銘」「鶴彬のリアリズムとその世界」の3章が見えるが、その前の、本の名と同じ章から、鶴彬が出始める。
 田辺聖子の小説『道頓堀の雨に別れて』や、東野大八『没法子北京』に、鶴彬が登場するという。
 (ちなみに「没法子」は中国語でメイファーズと読まれ、「仕方ない」という意味である)
 『昭和特高弾圧史』の中でも、鶴彬が採り上げられていると知ったのも、収穫だった。

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投稿者:木村哲也2004/11/28 1:25
◇『蒼空の人 井上信子』

 谷口絹枝が葉文館から、1998年に刊行している。
 井上剣花坊の夫人で、娘は鶴子。鶴彬のペンネームの由来とされる人である。
 五章あるうちの四章めが、「戦時下を生きる」で、鶴彬が頻出する。
 伝記なら、こういうサイドからのほうが、むしろ有益と痛感した。

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投稿者:木村哲也2004/11/27 14:34
◇ 類想句(笑)

糞(くそ)の上に陽(ひ)の七色や蠅の羽根

 大正15年6月22日「北国柳檀」。
 本年10月7日に「サムライブルース」で、二健さんが16年前の自作を引いていたのを、すぐに思い出した(^.^)

金銀の蠅が集まる野糞かな

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投稿者:木村哲也2004/11/26 11:14
◇句の変化

 昨日22時の紹介の句は、12月25日には、

 思ひ切り笑ったあとの空(むな)しさ

 となっている。
 そして、

足許を忘れて星を憧がれる (12/20)
足許を二人見詰めてあるく也(なり) (14、1/14)

 なども、同じ語で始まるだけで、事情は違うのかもしれないが、いろいろ想像するだけで、楽しい。

 さて、二健さん、UPに本当に感謝します。
 懐かしい。

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投稿者:二健2004/11/26 4:57
◇七両編成の「つるべん暴走機関車」完成!

お取り込み中失礼します。前代未聞の連続投稿魔の足跡を当HP「俳句天狗」にアップしました。二ヶ月間に渡った投稿を整理して、7頁物にまとめました。どなた様も無料ですから、どうぞご乗車下さい。運転士はキムテツさんで、車掌は二健です。途中で地震や台風や乗客の苦情などあり、大変な運行でした。 628

http://www.ne.jp/asahi/hai/ten/

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投稿者:木村哲也2004/11/25 22:04
◇全句索引作成中

思ひ切り笑ひたくなった我 (10/29)
思切り笑へなく成(なっ)た悲しい喜び (11/7)

 いずれも昭和3年の「北国柳壇」。
 この1週間ほどで何があったんでしょうね?

裏切りをしろと病気の子の寝顔  (昭11、3)
裏切りをしろと病気の妻の顔   (昭12、6)
裏切りの甲斐なく病気の妻が死に (同)

 句としてはいずれも平凡かもしれないが、何だか気になる。
 どうせ伝記にこだわるなら、こういうところも追求してほしい。
 しかし、澤地が言うように、「鶴彬その人の人生には空白部分が多く、しかも伝聞その他による事実無根の事柄が一人歩きをはじめている」らしい。
 個人的には、20歳代のころに比べれば、文学者の伝記にはこだわらず、書かれたものだけ追求するようになった。

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投稿者:木村哲也2004/11/25 17:54
◇昭和2年12月16日夕刊「北国柳壇」

社会面見入る大臣と泥棒と
解剖を契約された人の呼吸(いき)
投稿者:木村哲也2004/11/25 17:24◇「高松川柳研究会」記事より(昭和3年3月23日『北国新聞』夕刊)

搾られる生活白痴の子が殖る
灼熱の群衆、鉄の門を破り
干鰯の如く民衆眼を貫かれ

 最後の句は、多少手を入れた形で、翌月に『氷原』の載っている。
 類似句の取りまとめに、目下苦闘中。 

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投稿者:木村哲也2004/11/25 17:14
◇「反抗の生涯」――反戦の川柳家鶴彬

 『川柳こなゆき』に1961年8月から64年8月まで、12回にわたって断続的に連載された。
 1回が2ページ平均である。
 紙数のせいもあってか、川柳を創作年代に沿って、手際よく引用し、うまくまとまっている。
 たいまつ社版全集もなかったころだけに、なかなか読ませるものがある。

 さて、『川柳ジャーナル』1970年2月号から毎月12回連載の、佐藤による「鶴彬評論抄」は4〜10ページの、十分な紙幅での連載だ。

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投稿者:木村哲也2004/11/25 17:02
◇佐藤冬児

 「鶴彬の二つの詩と木村半文銭」が、『川柳しなの』1966年6月号に、表題の佐藤によって発表されている。
 「阪井久良岐」「川柳の神様のヘド」の2編がまるまる引用されている。
 後者は4ページ半に及び、9ページ弱の記事の半分以上だ。
 よくあることだから(?)、そのこと自体はかまわないが、記事の最後の部分がむしろ印象に残った。

 「私はこの資料不足の段階では、この二つの詩についても、またその他の諸作品についても、これ以上の自己の拙い推測や解釈を加えることに、何か危惧を感じないわけにはいかないので、いまは遺作品それ自他に語らせる紹介的なところで止めたいと思っている。」

 他で、長い作品引用をしている人の意図は不明だが、佐藤は鶴彬について述べている人たちの中では、優れて印象がよい。

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投稿者:木村哲也2004/11/25 14:47
◇昭和2年11月25日「北国柳壇」

都会から帰る女工と見れば病む
高く積む資本に迫る蟻となれ
マルクスの銅像の立つ日は何時(いつ)ぞ

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投稿者:木村哲也2004/11/24 0:51
◇多くの誤謬

 鶴彬の「俳句性と川柳性」を皮切りに、新旧の全集の校訂を始めてみた。
 11月21日の、本ブログ初回での、澤地が言う「異同」を、興味深く見た。
 仮名遣い、記号類の処理は大目に見るとしても、やはり文意にかかわる書き写し違いが目につく。
 たいまつ社版では、ガリ版との合わせだけで、初出誌との照合までは手が回らなかったのだろうか。
 あえて、例示する。

 「川柳が低級下劣な詩をしかもっていないのは、[読点省略]きたない通俗の長屋[→長屋属]に住んでゐるためである[住んでいたのである]」

 これはやや極端な例だが、読点に関しては、うっかりというより、適宜、意図的に手を入れたかと見られる感じもするのが残念である。

 また、一叩人による註は、なくなっている。申しわけないが、場当たり的でもあり、仕方がないだろう。
 ガリ版での限界性も感じつつ、意欲は買うが、基本的には読み直しとなる。
 かえって理解を深められる、と、嫌みではないつもりで、あえて申し上げよう。

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投稿者:木村哲也2004/11/24 0:04
◇秋山の続き

 俳句性と川柳性について、秋山が先の引用で述べている後の部分から、ピックアップする。

 「反戦的な作品ばかりでなく、農民生活にかかわるもの、働く女工についてなど、川柳でのみ成立し得るものであろうことを鶴の作品は示している」
 「摑む対象もだが、摑み方におけるもっとも大きな相違が、俳句との間によこたわる」
 「これらの作品の底をつらぬきはしっているくろぐろとした怒りは、俳句の上では到底見ることができない。川柳でなければやれない仕事だ、と鶴の作品が語っているように思われる。リアリズムとか諷刺とかいうよりも、これが川柳だ、という言葉のほうが、これらの作品を前にしては、はるかに適切に響くようだ」
 「それ[=川柳と俳句]を截断するものは、俳句が文学芸術の方に傾斜しつづけ、川柳は文学であることを、そのはげしさとその俗っぽさをひっくるめて、生活に身をすりよせたところからわれわれに忘れさせる、この二つの行きちがう性格にある。この二つのものには歴史の歩みの中でそれぞれに獲得した伝統が秘められているはずだ。非芸術の文学、であることこそ川柳の誇りであり、侵されることのない特徴、性格の強靭さという気がしてくる」

 賛否も当然あろうが、一番、個人的には読みでがあるところだ。

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投稿者:木村哲也2004/11/23 22:53
◇『近代の漂白』秋山清、現代思潮社、1970年

 詩人で、鶴彬より少し年長の秋山の著作で、鶴彬の章が20ページほどある。
 面識もあったとか、だが、小生には関心がない。
 単なる伝記でなく、時代背景をうまく交えた記述が続くが、後半に至り、わが意を得た。
 つるべん当日に小生が配付した資料にもあるが、「俳句性と川柳性」についてふれている。少しずつ引用する。

 「川柳には、戦前戦後を通じて二つの解決すべき問題のまえに佇立することが、しばしばあるようだ。
 川柳は文学であり得るか?
 川柳と俳句の違いは?
という質問である。
 今日反戦平和をうたい、その敵を刺殺せんとする意欲を示す川柳作家たちもこの問題には容易に答えきっていないかにみえる。若くして死んだ鶴彬も、またこの問題をしばしば扱って苦闘した一人であった。ただ、彼は「俳句性と川柳性」のなかでこのようにいうことができた。

 [鶴彬の引用略]

 しかし、これでは何も、具体的に問題を解決したことにならない。あるいは、彼はこういいたかったのではあるまいか。
 「つくって見ればわかるじゃないか。そのちがいは――」
 新興俳句が社会的現実的な問題までをとりあげるようになり、人事諷刺詩としての川柳とその区別がわかりにくくなること、自由形の作品が双方に多くなったことを重ねると、もともと十七音によって立つ二つの詩形の区別はいっそうわかりにくくなるという懸念はあった。だが鶴彬の反戦川柳のようなものが、俳句でつくれるか、ということを、二つのジャンルの近寄りを否定する彼としてはふかく自負していたのではないか。説明不十分の彼の論文から私はそう推量する。」

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投稿者:木村哲也2004/11/23 18:44
◇やっぱり川柳(^.^)

 昭和2年5月6日夕刊「北国柳壇」
 川柳も、当ブログ掲載は、新版全集から。

働けど食へず盗んで縛られる
文明の地下室「貞操売買所」
夜の底鎮(しづみ)のはしに三味を弾く

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投稿者:木村哲也2004/11/23 18:40
◇「衰弱した四月の思想」

 昭和2年5月6日『北国新聞』朝刊

墓場のようにいんさんな
病(やまい)の床(とこ)をぬけて
らんまんたる太陽の希望を孕(はら)む
白砂(はくさ)の丘にねてゐると
ひさしく監禁されてゐた情慾が
一斉に瞳(ひとみ)をひらき
丘をのぼって来(く)る
まっしろな
らたいの女を
蒼い海の背影の前に
発見するのです
  ×
あゝ
四月の宇宙は紺碧にすみわたり
燕の黒点(こくてん)がほとばしり
人々は立体をくずして
街(まち)に
野に
海に
人生の火花をちらしてゐるのに
僕は人類の「明日」の問題を失念し
たた屍(しかばね)のように
くだらぬ夢精に
おびやかされる
あわれな痴呆症なんです
  ×
(ともすれば
一人のクロポトキンのかわりに
一人のナナを
崇拝しようとするのです)

※ 鶴彬の好きな人で、詩も好き、とはなかなかいかないだろうが、新版全集の詩は、なかなか佳作ぞろいと思う。

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投稿者:木村哲也2004/11/23 17:36
◇詩「因習の殻を破れ」

 昭和3年2月28日『北国新聞』朝刊。
 ちなみに、昭和2年3月に、「因習の殻を破る」という評論を書いていた。
 当ブログに掲げる詩は、新版全集新収録のみ。

貧しき同胞よ
虐げられる同胞よ
製糸所の繭の如く蒸留されてゐる
同胞よ
能く聞いて呉れ
共に煮られる一個のさなぎの叫びを
  ◇
君達よ
彼等は何故虐げるのか
君達を□用し、其の上×らんとするのか
俺達が同胞である如く、彼等も又
俺達と同じ動物ではないか
同胞ではないのか
それに何故?――
  ◇
解答は簡単だ
曰く、資力、資力に由って獲得したる
権利、地位、等々
人間の内的人格を除外したこれらの
有害無益な寄生虫に多寡、又は有無に
於ての差異から起るのだ
  ◇
封建制時代の因習打破を叫ぶ彼等は
一面に於て
彼等の唯一の武器たる因習を保続する事に
腐心狂奔してゐる
彼等は君達に服従を強ひ
君達は彼等に対して、常に悲痛なる
叛逆を持ちつつ
飢えるが為に屈従を余儀なくされる
決裂、闘争、飢餓、屈従
戦慄すべき不合理だ
痛々しい忍従だ
  ◇
彼等が獣類視してゐる
君達を創造して呉れた親
この人達も君達より以上に
虐げられ、×取され
苦しみ、悶えつ
堅牢無比なる彼等の城壁に対する
肉弾戦に疲れ果て
傷き、倒れ
最後の頼みなる
己が創造した第二の己に戦闘を譲り
無限の憤怒に血を吐き、死んで行った
人人よ
君達よ
思ひ出さないか
あの貴い人身御供の血を
君達が汗と脂で塗られた仕事着に
あの痛ましい霊魂をおくった通夜の夜を
  ◇
この貴い犠牲によって
与へられたる仕事に忠実な君達を
彼等は何といふか
罪悪の結晶の表象よ
浮浪者の子よ
主義者の子よ
前科者の子よ
馬鹿ものよ
が君達よ
親を恨むな
親は君達闘士の雄々しい争闘を
草葉の陰で見てゐるぞ
『親は我に不合理を訓へなかった』
ここ迄漕ぎつけて呉れ
戦闘は□は
彼等紙一枚の裏表にあるのだ


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投稿者:木村哲也2004/11/23 15:39
◇新収録自由詩

 「前期」には多少、未収録の自由詩があり、興味深い。
 昭和2年12月15日『北国新聞』朝刊。

 落ちる存葉を見た私

此の頃の私は 憂鬱のとりこだ
笑ふ時――それは僅かに
彼の女の顔を見る時だ。
それは淋しい――
彼の女の冷笑ではあったが――
  ××
去年の秋――私は
私の彼の女と知りました
彼の女は私を絶対な
不可抗力で引きつけた
凡ゆる媚態を餌に女は私を
歓喜の頂上迄引き上げた
盲目の私は貪るやうに
彼の女の唇に酔ひしれてゐた
  ××
けれども賽の目は意地悪でした
絶頂の塔の楽園の扉に達した時
ああ――それは余りに皮肉な
「開かずの扉」――でした
焦燥 怨こん 憤怒 呪叫――
――絶望した一個のむくろは
扉の中から 彼の女の
心地よげな 嘲笑を聞いた
  ××
せつな的な悦び 瞬間的な
幸福より次のせつ那に起り来る
焦慮――執着――憤怒――
苦悩――尽きる果なき
凡ゆる悩みは斯くして
私の生命を支配して行く
  ××
与へられたる
生命の連鎖 私は何処迄
引きづられて行く?
虚無――涅槃――おーそれらは
到底今の私には
信ずる能はぬ遼遠の境地だ
    一九二七・一二・四――

※ 「彼の女」で「彼女」と読むんでしょうね?

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投稿者:木村哲也2004/11/23 15:18
◇新収録川柳

 大正15年6月27日夕刊「北国柳壇」

恋(こい)覚めて過去の背中に夢を彫る
太陽の注射! 街(まち)、朝の蘇生
十字架を磨き疲れた果に死す

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投稿者:木村哲也2004/11/23 13:56
◇『鶴彬の軌跡』

 11月22日9時台にふれた本である。
 目次を引く。

 序
 一、生いたち
 二、成長期
 三、プロレタリア文学
 四、空白時代
 五、背を低くして
 六、しゃもの国
 七、終章
 ○鶴彬の自由詩
 附記
 あとがき

 以上のとおりである。
 序には、以下のようなくだりがある。

 「鶴彬に関しての資料をくまなく、この誌上で発表することは頁数の上からも無理だと思うので、やはり要領よく評論よりも「句」を中心に語って行かねばと思う」

 基本的に反対ではない。
 また、伝記を述べながら、句は太字にしているのも、別に反対ではない。
 しかし、第2章の途中で「僕らは何を為すべきや」が、3ページ以上にわたってまるまる引かれるのは、重要な評論ではあるが、100ページの本としては、それだけでやはりバランスが悪いと言わざるを得ないだろう。
 第3章でも、まるまるではないが、よく読めば、田中五呂八について鶴彬が述べているのをそのまま引いている部分が、まる1ページは続く。
 要点をピックアップしながら、にはなっているが、この章はほとんどこの調子で進んでいく。
 旧版全集が出た後だけに、旧版全集を読んでいれば、いささか物足りない、くらいには申していいだろう。
 第6章からは、句の引用が増えるからまあよいとも言える。
 「鶴彬の自由詩」の章は、作品の抄録と言うほうが、むしろふさわしい。

 こういう現状を見ればこそ、むしろ作品目録だけでも完備させるとか、むやみに引用するのではなく、「単なる作品集」を独自に編集するほうが、むしろ愛好者の義務ではないのかと、あえて苦言を呈したい。

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投稿者:木村哲也2004/11/23 12:57
◇『雪と炎のうた』

 たいまつ社から、旧版全集の前に出されている。
 全集が出る前にしては、よく資料に目配りされている。前述と同じ著者がそれ以前に書いたとは思いにくいほどだ。
 旧版全集の編者、一叩人(いっこうじん)の名前の由来が示されている。「命」という字を分解したものだと。
 「聡」という方を、サムライのマスターは「耳公心」(じこうしん)と呼んでいたのを、図らずも思い出した。
 ガリ版全集を出した際の苦労話も読んだ。
 それがあったから、今へとつながっているわけだが、きちんと批評もしなくてはなるまい。
←|26|27
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投稿者:木村哲也2004/11/23 10:55
◇『井上剣花坊・鶴彬――川柳革新の旗手たち』坂本幸四郎、リブロポート、1990年

 『雪と炎のうた 田中五郎八と鶴彬』が同じ著者によって1977年に刊行されている。
 函館出身で、大学は青函連絡船の船員という。生きておられると80歳だ。函館市内の住所が見え、函館の国立大学に寄贈されている。

 さて、表題の作、時代背景や、伝記的事実はよく押さえてはある。小生には学ぶべきことがたくさんある。
 しかし、サイズに比べて、詩の引用が長く、それではむしろあとがきにある、「肉声を伝えたいと思う」気持ちが十分には伝わっていないようにも思う。誤解のないように申せば、詩がおもしろくない、と言っているのではないつもりだが。
 川柳作品、評論の子細を、省かれては困るのだ。 新版の全集のない時代でも、もっとできたことがあるはず、と、失礼なことを思わず思ってしまう。

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投稿者:木村哲也2004/11/23 10:39
◇詩「健全なる哀愁」

 大正15年1月7日『北国新聞』朝刊投稿。
 たいまつ社版では、参考資料扱い。
 以前の投稿しに比べて、洗練されてきた。

白々と
肺病患者の頭の如くひややかに
さへたる
まんまるな月の凝視に
今 安静に くるまれて息をつく
骸骨のあばら骨にも似たる

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投稿者:木村哲也2004/11/23 0:13
◇たいまつ社版未収録川柳から

昭和10年7月 もがれた片腕

腕をもぐ機械だ! 手当も決めてある
血みどろのうらみをつかむ、もがれた腕の指
スカップがふえた工場のすすけむり
裏切りの甲斐なく病気の妻が死に
血へど喀くまでの模範女工であった
はねられた献金だけを飢えてゐる
「職工入ルベカラズ!」重役の糞たれるとこ
息づまる煙りの下の結核デー
ヨロケが待ってる勤続の表彰状

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投稿者:木村哲也2004/11/22 9:28
◇全集以外

 にも資料があり、最近出た、サムライにもある単行本以外でも、たいまつ社版全集でふれているもののほとんどは、つるべん終了以降にコピーを入手した。
 これらの情報を新版では落としているが、なぜだろう。略年譜を落としたのは、むしろ見識を感じるが。しかし、索引のなくなっているのには、言及がなかった。
 なお言えば、例えば、『鶴彬の軌跡』岡田一と(文藝集団、1981)という、100ページ弱の冊子を、最近、金沢の古本屋から購入したが、長い評論等のまるまるの引用、というのには目をむいた。
 著作権云々でなく、そんなスペースと労力があったら、交通整理や分析をしていただきたい、と申すのは、おかしなことではあるまい。
 おかげで(?)小生の出番、というところである。
 『川柳ジャーナル』連載の、佐藤冬児「鶴彬評論抄」は、先の冊子よりはよい。
 今回のつるべんでは、そういうものにも言及することにする。

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投稿者:木村哲也2004/11/21 23:53
◇↓は

 二健さんが「俳の細道」紹介してくれている、『文芸春秋』平成10年10月号、澤地久枝「鶴彬全仕事」にも収録されていて、そこで二健さんがふれていた(2003年2月10日)。

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投稿者:木村哲也2004/11/21 23:37
◇初投稿作品

静な夜口笛の消え去る淋しさ
燐寸(マッチ)の棒の燃焼にも似た生命(いのち)
皺に宿る淋しい影よ母よ

 大正13年10月25日『北国新聞』夕刊「北国俳壇」(高松)喜多一児

 当時15歳。
 さて、たいまつ社版では、参考資料収録分でも大正15年からである。
 後に雑誌発表するものもあるが、ともあれ、約2年分、若き日の習作がある。適宜紹介したい。

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投稿者:木村哲也2004/11/21 23:20
◇「サムライ」

 昭和12年3月29日発行『短歌評論』第5巻第4号所収の詩。たいまつ社版でも、挿入の補遺にあったが、つるべんでは未紹介。あえて全編を掲げる。

――西龍夫におくる――

食ふか食はれるか
やけ半分の大安売りのビラ
旗鳴物入りで
まきあるく

二年もかかって
ラッパを吹くことをおぼえてきて
いまは紙芝居屋となり
軍事劇のラッパ吹きならす。

サムライに転向すれば
きっと食ひはぐれはないとは
失業にあえぐ
年若いともよ!

「軍事予算がぼう大すぎる」――
昂奮する代議士の背後
機関銃のやうに
ふてぶてしく黙殺する
大臣。

昔から
細々とつづく
労働者農民の血
最後の一滴まで
[伏字]まふといふ。

註・「サムライ」とはここでは兵士の意。「二年」は当時の兵役義務年限。

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投稿者:木村哲也2004/11/21 23:10
◇獄中作新発見

復活のつもりで入れる火消壺
解剖の胡蝶の翅に散る花粉
いずれ死ぬ身を壁に寄せかける
鉄骨の伸びる打鋲の遠ひびき
恩給のつく頃部長の粉煙草

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投稿者:木村哲也2004/11/21 9:32
◇再び「つるべん」!

 当ブログで読み漁り中の、筑紫磐井さんの本を入手すべく、ネットで検索中に、『鶴彬全集』1998年の増補改訂復刻版を入手。澤地久枝の自費出版。
 うれしかったのは確かだが、心境複雑。
 目次を見るや、レイアウトの違いばかりでなく、分量が違う。
 それは、澤地の、率直な(?)感想を引くのがいいだろう。

 「たいまつ社版全集を土台にして編集をすすめていた日、わたしは原本の正確さについて疑いをもたなかった。
 校正作業がはじまり、『氷原』の紙面とのつきあわせをしたとき、愕然とした。多少の活字の組み落しや誤植はまぬかれがたいものとしてある。しかし、「自信」が「自身」に「理性」が「思想」になっているのはまだいい方だった。文意が伝わらず、鶴彬の悪文とさえ思った文章では、たとえば「愚者」が「患者」に変えられ、二百字以上の文章の脱落があるなど、逆の文意を生んでもいた。それは、舌足らずな若い評論、本来の文章とは似て非なるものを後世にのこす結果を招いている。真っ赤になったゲラを前に、鶴彬を痛ましく思う思いが身をつらぬいていた。」

 前の編者である一叩人(いっこうじん)が、あつめた原典をガリ版で写した功績を否定するものではないし、それをそのまま(?)活字にしたたいまつ社の功績もまた否定するものではない。
 しかし、つるべんを一冊にまとめようとして、全句索引がさしあたり完成した小生には、全面的な見直しを迫られることになった。
 新版を入手できないままに、旧版だけでまとめないでよかった、と胸をなでおろしながら、評論も新たに加わっているので、ひとまず(?)読書日記を再開したい。

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posted by Jiken at 05:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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