2006年05月23日

2006/04/06〜05/06/05(更新終了)

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投稿者:木村哲也2006/4/6 21:15
↓を、補足します。

 『鶴彬研究』10号については、当ブログ、昨年5月8日21時17分のところで言及しています。実態は以下のとおり。
 「一」というペンネームで、一叩人と思われる人が、たいまつ社は許可なく増刷販売し、一叩人にはしかるべきお金を回さなかった、という抗議をしています。
 その文章の見出しに、「不正出版」という語が使われているのを、そのままここに紹介しました。
 誤植の多い全集への木村の判断などでは、みじんもありませんので、どうか誤解なく。
 現物を見ていただくのが一番です。
 どなたさまにも、コピーはお送りします。
 以上、念のため。

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投稿者:木村哲也2006/4/6 18:29
ご投稿ありがとうございます。

 記事としては確かに載っています。
 コピーをお送りしてよければ、メールで住所をお知らせください。
 遅れている小生の刊行物、今年は何とか出るでしょう^^;

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投稿者:高鶴礼子2006/4/6 10:07
木村哲也様

ついさきほど、このプログを知りましたもので、すご〜く遅いタイミングのコメント&お問い合わせになってしまったことをお許しください。2003年に鶴彬勉強会なるものが新宿で開催されていたとは知りませんでした。ぜひ参加したかった、と残念でなりません。また、木村さんの、エネルギッシュなお調べには本当に頭の下がる思いがいたしました。ところで、『鶴彬研究』10号のところでご紹介くださった「たいまつ社不正出版」という記事ですが、これは、ほんとにあったことなのでしょうか?(とてもビックリしています。)現在、たいまつ社のことを書いておりまして、すでに入稿してしまった原稿もあるのですが、もしこれが本当だったとしたら、次号以下で触れる必要を感じます。くわしく知りたいのですが、教えていただけないでしょうか。当方、川柳を心から愛する者です。

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投稿者:二健2005/9/19 3:39
◇驚き

ここでは久しぶりの書き込みですね。
盛岡まで足を伸ばされたとは驚きました。
なんとフットワークのよろしいこと。
恐れ入りました。
机上の空論ではない貴重なレポートです。

http://www.ne.jp/asahi/hai/ten/hl12poster.htm

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投稿者:木村哲也2005/9/19 3:30
◇盛岡から

 盛岡の鶴彬の集いに来た。
 昨日、盛岡駅12時半に集合だった。
 佐藤岳俊さんに初めてお目にかかった。
 大阪のあかつき川柳会の方々にも再会した。
 お墓参りをしてから、句碑に集合ということだったらしいが、お墓と句碑の場所は全然違うとか知らされておらず、またタクシーの運転手も不案内で、小生が乗ったタクシーは墓に行けなかった。
 句碑の前での会は、小雨になり、先に献花をして、講演会場に入った。
 40人ほどの参加者だったが、大阪から(小生を入れて)12人、石川の鶴彬ご親族関係が10人弱、他の都道府県からも来ていて、地元が半分以下だった。
 行事開始約30年以来のことだったという。
 深井一郎さんの講演があった。憲法9条がらみを、歴史的に説明するものだった。
 作品が前面に出てこないのが不満だった。
 連作と言うべきを、連句と言っていたのも気になった。
 それが詩を目指していた、というので、大阪放浪詩抄などの詩もあったが、の前置きがないと、誤解されるのでは、と小生は発言しておいた。
 石川のマスコミまで同行していたが、全体的には、主宰者の段取りが悪いように思った。
 ただ、悪意が感じられるとかいう意味ではない。
 懇親会前に墓に寄った。
 懇親会も、ぎゅう詰めで暑かった。
 来年は石川にも行く。
 宙に浮いた著作も、格上の出版社が引き取る形で進行中である。
 おおぜいの関係者と面識ができたのをよしとしている。
 まずは報告まで。

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投稿者:木村哲也2005/6/10 10:30
◇佐藤岳俊『縄文の土偶』

 青磁社、一九八四年。
 いくつかの章に、鶴彬が見える。

 「鶴彬の作品と今日の時代」
 以下の三句を扱っている。
 「凶作を救へぬ仏を売り残してゐる」
 自作と並べて、渡辺順三、栗林一石路の作を論じた句である。
 「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」
 義手、義足を見たことが、岳俊にとって川柳の出発だった、と。
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
 この句を岩手で碑にした、とある。
 
 「川柳の詩について」
 岳俊の自作がたくさん並んだ後で、鶴彬の評論「川柳の詩の贋造について」にもふれている。
 詩人の黒田三郎も出てくる。

 「反戦柳人・鶴彬の墓前にて」
 『川柳東』十八号に、岳俊自身が書いたことと、ほぼ重なる。

 「川柳史の確立による復権」
 十九歳で川柳に志して以来、今でも川柳の歴史性を追求したものがないという。
 その後、鶴彬に出会い、感動した、とある。
 川上三太郎が時事川柳を「消えゆく文芸」としたのに対抗して、末期の鶴彬の反戦川柳を掲げている。

 「鶴彬と井上剣花坊」
 鶴彬が井上剣花坊と出会ったことを、詩に書いていることを紹介し、川柳も引いて、意義あるものだったとしている。

 「鶴彬の軌跡」
 秋山清の『近代の漂泊』で、鶴彬と出会った、という。
 鶴彬の墓が盛岡にあると知って、出かけたことも書かれている。
 鶴彬の「古川柳から何を学ぶか」が紹介される。
 次いで、「井上剣花坊と石川啄木」「井上剣花坊についての覚え書」も出てくる。
 「大阪放浪詩抄」という詩も、小野十三郎の詩集『大阪』の先駆ではないか、と。
 その後は、川柳の大衆的、芸術的表現を鶴彬は論じた、とある。
 木村半文銭とのやり取りについてもふれられている。
 晩年の作の後、前後して、「釈放」後の三行書きの句が引かれている。
 渡辺尺蠖への手紙にふれながら、鶴彬の今日性についてふれて終わる。

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投稿者:木村哲也2005/6/9 18:15
◇山村祐、楠本憲吉『新・川柳への招待』

 日貿出版社、一九八〇年。
 第一部「現代川柳論」の、第三章「川柳小史」の「3 新興川柳とプロレタリア川柳」に登場する。

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投稿者:木村哲也2005/6/9 15:09
◇佐高信「サントリーは文化企業か?」

 『現代の理論』一九八四年八月号。
 鶴彬とは無縁の話の、最後だけは位置づけて。
 一叩人が書いているのを引用している。
 川柳遊戯者や賭博者がいて、鶴彬の存在が徒労か、と見える反面、若い労働者、学生、学者が学ぶ機運がある、と。

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投稿者:木村哲也2005/6/9 14:50
◇『川柳東』十九号

 一九七三年。
 秋山清「「喜多一二」であった「鶴」のこと」
 前号掲載予定が遅れた、と。
 同じ職場にいた元アカハタ記者が、鶴彬を心配していた、という。
 三人でコーヒーを飲んだ、とかある。
 鶴彬の「しゃもの国綺譚」を読んだ感想を『川柳界』に書いてほしい、と鶴彬自身に頼まれたと。
 秋山自身も、警察ににらまれていたと。
 事実と違うことが、鶴彬について書かれるのはたまらない、とも。

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投稿者:木村哲也2005/6/9 14:42
◇『川柳東』十八号収録分

 一九七三年。ガリ版。一叩人の編集か。
 三十五回忌での文章。
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の句が、一字ずつ、ページ下に入っている。

 渡辺尺蠖「鶴彬の思出」。
 出会いのことを思い出している。
 出会った人は皆、鶴彬にたたかれたのに、自分はそうではなかったと。確かに。

 山本浄平「母上の声」
 川柳人の鶏牛子が、鶴彬の足を引っ張ったのが残念と。

 相沢学人「鶴彬の一生」
 鶴彬は二十九歳で短命、と。

 中山仮面坊「鶴に贈る花束を…」
 鶴彬との出会いと別れ、自分の句を批評してくれたことなどが書かれている。短冊や掛け軸を持っているとも。

 中村秀子「幼き日の喜多さんの印象」
 手紙の転載である。
 見覚えのある人の死、と。
 
 佐藤岳俊「鶴彬の作品に触れて」
 戦争と戦った鶴彬だったが、死なせた罪は現代川柳にも問われるべきと。川柳界に戦争責任は問われなかった、と秋山清が言っている、とも。

 坂井つくづく子「鶴が生きていてくれたら」
 「暁を抱いて暗にゐる蕾」(ママ)が彫られている、顕彰碑の紹介。
 「この悪政 一声聞きたい鶴の声」という自作句で終える。

 岡田一と「鶴彬三十五回忌に捧げる」
 川柳界以外の人たちが鶴彬を発掘してきたが、主観的断片的と。
 個人的には、主観的断片的なのは、川柳界の人たちも変わらないように思うが。
 ガリ版全集の紹介である。
 当時としては画期的でも、とにかくテキストがきちんと引かれていないのは、だめである。

 佐藤冬児「丸太ん棒以下」
 傷痍軍人と身障者の年金の差別の話が出てくる。
 鶴彬についていいことを書いている人だが、体が悪いとは知らず(本質論ではないが)。

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投稿者:木村哲也2005/6/5 17:15
◇『俳句研究』掲載分

 5月7日16時38分。

 壺井繁治「鶴彬と現代」
 鶴彬の作品を、「たんに「反戦的」だからいいというのでなく、そういう主題を高い芸術性にまで結晶しているという意味でもすぐれている」と言っているところを引いておこう。

 佐藤冬児「鶴彬はいまも生きている」
 「転向」が話題となり、それが含まれる句は二句だけ、とはそのとおりであるが、次の句も思い出しておきたい。

 目かくしされて/書かされてしまふ/  書

 「転向書」である、というのが定説の、九年一月の句である。
 末尾に、川柳約三〇〇句、詩二篇、評論約一五章、と言っているが、全集刊行前の昭和四十年では、そういうものだったかもしれぬ。

 横山林二「川柳リアリズム宣言 ある日の鶴彬」
 無季俳句が出現し、川柳との関係が問題となる。 橋本夢道も出てくるが、鶴彬と同時人だった横山は俳人である。川柳を摂取することが、俳句の近代化につながる、と書き、俳人からはやや批判されたが、鶴彬からは、好意的であったという。
 同時代人らしい、鶴彬の生の姿が書かれているが、あえて略す。

 石原青竜刀「鶴彬作品の不滅の光」
 初期の作品は手に入らぬと言いながら、その後の作品を、田中五呂八ふうのものと、鶴彬を主張するもの(プロレタリア川柳開眼以前)に、分けている。
 いずれにしても先覚者、と。
 ガリ版全集以前の、「県民の友」掲載分の句を引いてくる。
 連作でも、単独でも読め、また定型から脱し、短詩文芸の口語表現になっている、とほめあげている。

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投稿者:木村哲也2005/6/5 15:47
◇宮本又久「大正期の仏教と民衆文学――暁烏敏と喜多一二」

 5月7日16時25分に書き込み。
 なぜ、鶴彬に「なる」前に絞って、こういう視点で扱うかは、正直言ってよくわからない。
 旧版全集も出ていないころだけに、なお、特に初期のことは知られていなかっただろう。

 さて、むしろ気になったのは、鶴彬の作品とされているが、初見(?)のものだ。
 
 有りあまる力は空(くう)を抜けて行き (大十三?)
 眼へうつる堕落の渕の美しさ (大十四?)

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投稿者:木村哲也2005/6/5 13:50
◇新聞記事

 有用な記事もあるが、これもややきりがない。
 一九九九年十月二十一日『北陸中日新聞』には、深井一郎が『反戦川柳作家 鶴彬』で泉鏡花記念市民文学賞を受賞したという記事が載っている。

 石川県で、九月の命日に「鶴彬をたたえる集い」があると、新聞記事になるようだ。
 その前に、案内記事が出ることもあるらしい。

 一九七七年九月六日には、たいまつ社版『鶴彬全集』が出たことが、朝日新聞に掲載されている。

 その程度に理解しておく。 

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投稿者:木村哲也2005/6/5 13:34
◇奥美爪露(みかろ)『石川近代川柳史』

 川柳甘茶くらぶ、一九九二年。
 もう少しは有効な資料か。

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投稿者:木村哲也2005/6/5 13:31
◇『軌跡・石川の近代文学』

 石川近代文学全集別巻。一九九八年。
 これも同様。

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投稿者:木村哲也2005/6/5 13:29
◇伊東享司『川柳を楽しむ』

 葉文館出版、一九九六年。
 多くの川柳人に混じっての収録。

 しかし、一級の資料ではないし、こういうのまで集めだすときりがない。

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posted by Jiken at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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