2006年05月23日

2004/12/31〜16

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/31 10:58
◇一叩人のあとがき

 カバーの引用の続き。
 「編著者・一叩人は、執念の歳月15年をかけて『鶴彬全集』を編纂(へんさん)した川柳人。本書には、同全集刊行後に集められた未発表作品も収録した。」
 このことは評価はしたい。
 だが、あとがきの最後の以下のところはまずかろう。
 「なお、読者の便をはかるために、句(作品)の原文にルビをほどこし、下段の評論の引用は一部用字用語を改めたことをお断わりしておく。」
 お断わりされようとも、「読者の便」も何もあったものではない、とう部分は、これまでも見てきたし、まだまだ指摘せざるを得ない。
 一叩人の功績を本当のものにするためなので、誤解のなきよう。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/31 10:44
◇『反戦川柳人・鶴彬』カバー

 「川柳は民衆の生活をおもしろおかしく皮肉った言葉の遊びだと考えられてきた。鶴彬(つるあきら)はそうした通俗的な笑いや、芸術至上主義の呪縛から川柳を解き放ち、最も鋭く国家権力にいどむ武器として反戦を叫び、自由を求める闘いのなかに夭折した詩人である。清治と文学の闇にむけて、今なにをなすべきかを提示する「いのちの復権」の書。」
 「鶴彬の痛烈な諷刺、透徹したリアリズムの川柳は、荒れ狂う天皇制ファシズムの時代状況とを重ねあわせるとき、生きることの誇りと感動を、読む人に与えずにはおかない。人民のための栄養ある書物。」
 『鶴彬全集』の宣伝文句。
 「国家権力に対峙する思想方法と、プロレタリア川柳の社会化の全身を賭した鶴彬の不滅の川柳と評論を集めた人民の遺産」
投稿者:木村哲也2004/12/31 2:28◇一叩人によるダイジェスト(昭和3年)

@めかくしをされて阿片を与へられ
A灼熱の群衆――鉄の門を破る
B重税に追はれ漁村に魚尽きる
Cロボットを殖やし全部を馘首する
D大砲をくわへ肥った資本主義
E餌さ少しくれて卵を山と積み
 冒頭にあった「口」を、新版全集にならって落とした。
F退けば飢えるばかりなり前へ出る
G血税に昇る兵工廠の煙む
H海こえて世界の仲間手をつなぎ
 本文ともども「海を」となっていたが、一叩人の写し違い。
Iプロレタリア生む陣痛に気が狂ひ
J学校へ社会へ別れていけというみちだ
 出典不明で、新旧全集にないことは、12/27 14:05で述べた。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/30 8:49
◇一叩人によるダイジェスト(昭和2年)

 何年かは、特にいくつかの句に絞って、解説している。
 ここでは、挙げている句だけ見ていく。併せて校訂もする。
 最初に昭和2年。丸番号は一叩人。
@音楽ききすますブルジョアの犬
 さて、なぜか、この書では、本文も解説ででも「ききます」になっている。旧版全集ででも「ききすます」だったのに(もちろん新版全集でもそう)。
 なお、解説は、むしろ「ききすます」の内容である。
A賃金どれい鞭もつ人のあくびかな
B瞑想の聖者の膝を飢えた蟻
 一叩人は「ひざ」としていたが、新版全集で増補の翌月発表バージョンに直した。
C監獄の壁にどれい史書きあまり
D蟻つひに象牙の塔をくつがへし
Eあな尊ふと聖書を売れば明日のパン
F明日の世の古典とならん鞭鎖
 一叩人は「鞭、鎖」としていたが、新版全集で増補の翌月発表バージョンに直した。
G鞭うてど不死身のどれいばかりなり
H溺死者の続く思想の激流よ
I飢と言ふ影に追れて反旗を伏す
 「飢と言ふ影に追はれて反旗伏す」などと、なぜか解説でだけ書いている。ここでは本文や新旧全集の形に直した。この誤りは、率直に言って鶴彬に失礼だ。
J王子おのが王者になるを疑はず
K高く積む資本に迫る蟻となれ
 「資金に迫る蟻となる」が本文や解説での形。
L貧乏ふえて王様万歳!
 「貧民ふえて王様万歳」が本文や解説での形。しかもこちらでは、解説で「貧民」という語を出していて、収拾がつかない。
M君よ見ろ、兵器工場の職工募集
N夜業の時間、舞踏会の時間――
 解説では「会」が落ちたまま。
O米つくる人人、粟、ひえ[圏点]、食べて
 本文と解説では、「ひえ」の後に点がなく、最後にダッシュあり。また、解説では「食へて」で進む。意図不明。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/29 8:12
◇なぞ(その21)

 昭和12年。
 5月1日。

 空白の頁がつゞくメーデー史

 旧版全集での脱落のままの脱落。
 以上で、終了。
 まあ、「表記いじり」の問題もなおなしとしないが、参考になる場合もある。注しかり。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/29 8:06
◇なぞ(その20)

 昭和11年5月15日。

 血に飢えた闘犬へ飼主肥り切りてゐる

 5月12日には、以下のとおり。

 血に飢ゑた番犬飼主ふとってゐる

 こちらをあえて採る一叩人が、ややわからない。
 この年はこれだけ。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/29 7:58
◇なぞ(その19)

 昭和10年5月1日。

 食ひ込んだ捕縄にそむく力こぶ
 みのらぬ稲を自転車で見にきやがる

 いずれも、旧版全集での脱落のままの脱落。
 他は、この年は問題なし。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/29 6:58
◇なぞ(その18)

 昭和9年。
 1月1日。

 目かくしされて
 書かされてしまふ
 ○○書

 伏せ字は「転向書」、というこの作が、なぜか「削除」。

 9月。

 借金證文
 握りしめて
 地主の溺死よ

 旧版全集で脱落し、ここにもなし。

 あと、あえて言えば、8月1日の以下の句も、同様と言えば同様。

 姉妹つぎつぎに売られ飢餓日本!

 他は、この年は問題なし。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 23:22◇なぞ(その17)

 昭和5年は問題ない。
 明日、昭和9年から。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 23:07
◇なぞ(その16)

 昭和4年。
 1月1日。

 平台(ひらだい)を輪転機にして束に馘(き)り 重役の賞与になった深夜業

 以上が脱落。
 後者は、旧版全集での脱落。前者は不明。

 7月1日。

 検束をしても亦組む腕と腕

 旧版全集にあるので、脱落原因不明。

 9月1日。

 緊張をうらむ土木課の人夫

 同様。

 10月1日。

 大衆の怒濤死刑をのりこえる

 9月1日には、「乗り」だった。一叩人はそちらを採った。言及のみ。
 この年も、以上。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 22:46
◇なぞ(その15)

 昭和3年4月10日。

 奴隷ども集め兵器をこさへさせ

 旧版全集に脱落のを「継承」。
 でも、この年は、これ以外は問題なし。
____________________________________

投稿者:木村哲也2004/12/28 21:33◇なぞ(その14)

 昭和になると、だいぶ、処理は安心(?)して見ていられる。
 しかし、3月31日。

 不妊症の妻のかたへの卵かな

 旧版全集で脱落し、そのままの状態ゆえ、ここでも脱落した。
 6月23日。

 明日の世の古典とならん鞭鎖

 5月5日の「鞭、鎖」を採っている、とのみ、ここでは言及する。

 7月1日。

 恋ピエロ機械! 奴隷の地獄絵ぞ

 5月5日は以下のとおり。

 恋! ピエロ! 機械! どれい! 地獄絵ぞ!

 一叩人はこちらを採ったが、判断に迷うところ。
 昭和2年は、以上で特に問題なし。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 20:49
◇なぞ(その13)

 9月14日の処理は問題なし。
 9月17日の処理。

 人生の一部を街に酔ひくずれ

 この句がなぜか落ちた。
 11月3日の処理は問題なし。
 12月5日も同様。
 以上で、大正時代は終わり。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 20:33
◇なぞ(その12)

 9月5日。
 なぞの不掲載が、以下の2句。

 父母のない女、父母なき我と恋!
 若葉の圧力の下で女と語る

 例によって(?)、ここのほうを採るべきと主張したい句。

 神の手のランプと人の宇宙説
 海の青、空の蒼さと相映じ

 以下が、一叩人の採用した、以前に発表したほう。

 神の手のランプに人の宇宙論
 海の蒼、空の青さと相映じ

 前者は、結果的に昭和2年3月に、「宇宙説」の句を発表しているので、鶴彬もそのほうがよいと思い直したのだろう。
 後者は、「蒼天」も「蒼海」も、どちらも言えるが、だからこそ、後に発表した句を優先したい。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 20:00
◇なぞ(その11)

 その10での、菩提樹の句は8月25日。
 
 性慾の仮面ぞろぞろ二十世紀の街

 なぜか未収録。
 で、「慾」の字が鶴彬の好み。考えてみれば、澤地久枝は、旧かなにこだわりながら、新字体にしている。問題かもしれぬ。
 さて。
 
 尿すれば、我が夜くまなくひびきけり
 人肉と、血の酒、卅世紀のカフエー
 哲学の本伏せて見る窓の青葉だ

 ここに掲載された、後の形のほうが、以下の初出よりよいはずだが。最後の1句は異論もあろうが。

 尿すれば我夜(わがよ)くまなく尿の音
 人肉血の酒卅世紀 カフエー
 哲学の本伏せて見る窓の若葉

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 19:11
◇なぞ(その10)

 菩提樹の蔭に釈尊糞たるる
 菩提樹の影に釈尊糞を垂れ

 前者が大正15年4月、後者が8月。後者のほうがよくなった。
 しかし、なぜかいずれも収録されず。
 他の、「糞」の出てくる句はどうか。 

 糞(くそ)の上に陽(ひ)の七色や蠅の羽根 (*大十五、6)
 蟻食ひの糞殺された蟻ばかり (十二、7)

 二健さんの類想句もある前者を含め、上の2句は収録されているから、別に糞嫌いの一叩人ではないようだ。

 「職工入ルベカラズ!」重役の糞たれるところ (*十、7)

 は、掲載号を未入手で収録しなかっただけ。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 17:07
◇あかつき川柳会

 要項着。
 鶴彬顕彰全国誌上川柳大会『あおぞら』を申し込んだ。
 会報は20号。句会は年明けで11回め。会則は昨年7月から。
 大阪城内への顕彰碑の設置を、大阪市に申し入れている、と。
 はたまた金沢への旅では、鶴彬を知らないタクシー運転手とか、反戦の鶴彬より、地元の偉い人で行きたい、という動きを知った。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 16:53
◇なぞ(その9)

 8月5日。
 
 みゝずもぐれど知らぬ地の深み

 見当たらない。
 11月に以下の句はある。

 みゝずのた打てどコンクリ固い

 だからと言って、こちらを落としていいわけではあるまい。
 
 恋ざめて過去の背中に夢を彫る

 6月27日には以下のようであった。

 恋覚(さめ)て過去の背中に夢を彫る

 昭和2年3月も、8月のほうと同じで、???である。6月のほうで一叩人が採ったのは、うなずける。

 太陽の注射、街、朝の蘇生

 6月発表は以下のとおり。

 太陽の注射! 街(まち)、朝の蘇生

 前者のほうがいいとも思えないが、前者を収録。

 十字架を磨き疲れた果てに死す

 これは6月も同じなので、そちらへの収録を了解。
 同様のものとしては、以下の句があり。

 文明の私生児トッピンカンニズム

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 14:53
◇訂正

 尺蠼(しゃくとり)の歩みは時をさしはかる

 上の形で、大正15年の6月22日に発表のを一叩人は収録していた。おわびする。
 しかし、俳句でないので、連用形より終止形で終わるほうがよいのでは。

 さて、6月26日、27日収録分は特に問題はなし。
 7月21日分は、未入手か収録なし。
 29日分は問題なし。
 8月1日分も問題なし。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 14:26
◇なぞ(その8)

 6月5日。
 
 尺蠼[しゃくとり]のあゆみは時をさしはかり

 新版全集では、昭和2年3月にも再録されているが、この時点では一叩人は未入手のようで、その発表誌の他の作品も、いっさい落ちている。
 だが、こちらでも、落としてしまった。不可解。

 落葉の一転二転無我空無

 ルビが最後の4文字についたのは6月22日発表分だが、特殊な読みは要求していない。ここの初出を優先したい。

 猫遂に家族主義者の群れに入る

 6月22日に同じ形で再発表なら、ここを優先すべき。
 「レッテル」で始まる句は、22日の改稿を優先でいいだろうが。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 14:01
◇なぞ(その7)――鶴彬自身も

 5月5日の続き。先に4月20日に発表した形で掲げる。

 虚無時代、恋、心底に冬眠す
 光明の一線の先闇をさす
 絃切れた響き未来へ続きけり
 敵対す猫の瞳に映る我れ

 虚無時代恋心底に冬眠す
 光明の一線の先闇を指す
 絃切れた響未来へ続きけり
 敵対す猫の瞳に映るわれ

 2句めと4句めはよくなっているが、1句めと3句めはそうとは言いがたい。
 鶴彬の意図も不明である。
 また、一叩人によれば、「絃」は「いと」だが、そう割り切ってよいものか。
 はてさて、以下の句が落とされては困る。

 神をきく椅子に尾骨のうづきけり

 ここで、コピーで読んでいて、原本を探求していたのが、入手との連絡。もちろん、ありがたいことだが。
 つき合うのが大変な(?)本。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/28 11:37
◇まとめて――なぞ(その6)

 大正15年5月5日の『氷原』掲載の冒頭の3篇。

 何物の二に割り出せし雄と雌
 ニッケルの主観ゆがんだ風景
 フイルムの尽くれば白き幕となり

 2句めは4月20日の北国新聞と同じで、そちらを優先するのは当然だ。
 しかし、1句めは、その日の以下の句、3句めは2月の以下の句が採られている。

 何物の2に割出せし雄と雌
 フイルムが尽れば白き幕に成

 こちらのほうがいい、という人は、普通はいないだろう。
 また、最後の句。

 棒杭と水、さやうなら、さようなら

 を採らず、3月の、

 棒杭と水さようなら左様なら

 を採るのも、わからない。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 23:01
◇改悪――なぞ(その5)

 バットのけむりに幻想の魚が泳ぐ (大十五、3/5)
 バットの煙と幻想の魚およぐ (大十五、3/12)

 発表日が創作順とは限らないかもしれないが、ともあれ、後者のほうがいいなどとは思いがたい。前者を採る一叩人に賛成。

 しかし、表記をいじり、順番を変え、しかも以下のような句を結果的に発表してはいけないだろう。

 宿舎の軌道を汽車は煙り吐き

 「宿舎」とは奇異。実は「宿命」だった。

 宿命の軌道に汽車は煙り吐き (大十五、4)
 宿命の軌道を汽車は煙吐きつ (大十五、5)
 宿命の軌道を汽車は煙を吐きつ (大十五、8)

 いろいろ手を入れたが、最終的には昭和2年3月には、大正15年5月のに戻したことが、新版全集で知れる。
 そして、残酷な言い方だが、「宿舎」を「宿命」にしてみたところで、一叩人バージョンは、どれにも該当しないのである。
 手書きとコンピューターの時代の違いはあれど、指摘していけないわけではあるまい。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 22:03
◇なぞ(その4)

 便所から出てきた孔雀の女 (大十五、3)

 数日前の初出では、「孔雀のよな女」であったのを、そのまま収録し、こちらを落としている。

 セコンドの刻みを数ふ声ありき

 同様の例。数日前は、「刻み数ふる」だった。
 前のほうをわざわざ収録することもないだろう。
 しかし、以下のような場合もある。

 去勢してさあ革命を言ひたまへ (大十五、3/5)
 去勢してサア革命を云ひ玉へ (大十五、3/12)
 去勢してさア革命を云ひ玉へ (大十五、3/20)

 一番最初の表記が自然で、一叩人もそれを採用している。ここはうなずけた。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 20:52
◇猫嫌い?――なぞ(その3)

 猫の眼は遂に闇をば知らず果つ (大十五、3)
 猫の眼はつひに闇をば知らで果て (大十五、3)
 
 どちらも収録されていない。
 ただし、別に猫嫌いではないようで、以下のような「猫」の句は収録されている。

 鶏よ猫よ痛ましい事実なり (*大十三、12)
 琴の音をかたへの猫も聞如し (大十五、4補)
 敵対す猫の瞳に映るわれ (大十五、5)
 骨を噛む仔猫の牙にふとおびゆ (大十五、5)
 猫遂に家族主義者の群れに入る (大十五、6)
 がくぜんと相見しこの世の猫鼠 (二、2)
 農村予算が/軍艦に化けて/飼猫までたべる冬籠り (九、5)
 食う口をへらすに飼猫から食べはじめ (十、2)

 猫を食べる、というのは、二健さんでなくても、嫌なことだが。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 19:06
◇なぞ(その2)

 表記への手入れなどでも変更がある場合は、初出を削り、変更後を優先、というのはわかる。
 逆に、同一作の再掲は、先を優先し、後を削っているのもわかる。
 しかし、後者の場合で、後を優先している場合もある。単なる勘違いだろうが。

 寒竹の春には枯木ばかりなる (大十五、5)

 3月にもあったとは、旧版全集でも補足されていた。

 さらには、改訂版があるのに、前者のみの掲出もある。これはいただけない。

 むなしやな音の行方を見失ひ (*大十五、2)

 半月前の「行衛」のほう収録とは。

 旅人へ吹雪に消えた里程標 (大十五、1)

 が残り、

 旅人と吹雪と里程標の先 (*大十五、2)

 が残らないのは、よくはわからない。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 17:26
◇一叩人のなぞの校訂

 大正15年からだが、重複を除いて、ほぼ全句が収録されている。
 それだけに、新版全集と併せての復刊が望まれる。
 
 しかし、表記の乱れ、勝手なルビは、旧版全集同様だ。注は全集より多く、参考にはなる。
 しばらく収録状況を見ていく。
 
 唖と話せば原始的になる

 大正15年の作だ。差別語使用だからか、旧版全集にあったのに、収録されていない。
 しかし、それ以前に、「唖」を含む句が、以下のようにあった。

 着物が一番華やかな唖の子よ (*大十三、12)
 子供等の表情を唖の子は追ひ (*大十三、12)
 飯事(ままごと)に唖の子つくねんとして立ち (*大十三、12)

 とりあえず、指摘のみとする。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 15:42
◇小沢信男のEDI叢書での採録

 大正13年から少しずつとられている。新版全集に依拠していよう。
 ほぼ編年体だが、4句のみの大正14年に始まり、昭和3年の10句は「アトランダム」だ。次年1月にすべきかのものも含まれている。
 昭和10年も、18句がアトランダム。また、表記やルビをいじっているが、注がないのは、むしろすっきりしたか。
 昭和11年もアトランダムだが、意図がわからぬ。12年に至り、ほぼ整然とするから。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 14:59
◇『プロレタリア短歌・俳句・川柳集』

 大正15年は2句、昭和2年も2句。
 昭和3年からはまとまって出てくる。勝手に新字新かなにされているのは、気になるが。
 さて、1句ずつ出典つきで、編年体だが、やや乱れたのが2か所。
 1934年6月号の『川柳人』が8月号の『詩精神』よりあとになった。
 1935年の『黎明』は3月だが、年末に置かれている。
 ルビや注は、編者の独断かに見えるが、目に余るほどの分量ではない。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 14:49
◇京都犬学HPの誤り

 今は、鶴彬のコーナーはなぜか見当たらない。
 さて、昭和3年からしかUPされていなかったから、旧版全集とでも、出だしが違う印象だ。
 表記がいじられているが、一叩人ほどではない、と、あえて申しておく。
 昭和9年の最後に、「労働街風景」6句が載っている。旧版全集では9年2月であったが、新版では10年2月扱いになっていた。この位置にあるのはそのことと無縁ではあるまい。
 9年には、先にも掲げたとおり、主として3行の行分け作品ばかりであった。行を分けていない6句がこの位置にあるのは、残念ながら旧版全集の誤りであると断言できよう。
 さて、10年の最後の3句(「空家が」「けふのよき」「ゴミ箱」)は、翌年年頭の誤りである。
 11年の中に、「首を縊る」「温泉へ」の2句の行分け作品があるが、10年1月の誤りであり、「救済を」「ひえ弁当」「凶作の」の3句も、10年3月の誤りである。
 特に大きな罪はないが、気づいたのでまとめてみた。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 14:32
◇続き

 殺された同志になびく組合旗

 川柳人1929年5月号、と出典が『プロレタリア短歌・俳句・川柳集』に載っており、京都犬学のHP(つるべん当日までにダウンロード分が配付)にも載っている。
 ちなみにこの句とともに、前者のみに載っている句は以下のとおりである。

 感激にのたれ死に行く神秘主義

 後者のみに載っている句は、以下のとおりである。

 絞首台動かし誓ふ革命家

 前者は川柳の神秘主義への勝利宣言ととれるからともかく、後者は鶴彬の句か断言はできない。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/27 14:05
◇なぞの出典

 学校へ社会へ別れていけというみちだ

 旧版全集刊行の翌年に同じ出版社から一叩人が出した『反戦川柳人・鶴彬』の、昭和3年の最後に、全集未収録作品として、紹介されている。
 だが、新版全集には見当たらない。
 ただし、以下の句は、旧版全集では最後の「だ」こそ落ちていたが、昭和9年3月に収録されている。

 工場へ! 学校へ!
 わかれて行けといふ
 道だ!

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/26 15:44
◇「生活」の句

 鉄鎖(てつくさり)の解(とけ)る日生活の恵(めぐみ)を見せ (*大十三、11)
 生活へ真剣になれぬある生活 (*大十三、11)
 搾られた生活白痴の子が殖える (三、4)
 腕組みをといて生活へぶつかり (十、5)
 明日に待つ生活しなびた腕をなで (十、5)
 生活苦しなびた腕にのしかゝり (十、5)

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/25 9:48
◇「運命」の句

 運命は目をつぶった侭流し (*大十三、12)
 運命を怨んで見るも浅猿(あさま)しさ (*大十三、10)
 運命は四十八手を使ひ分け (大十五、2)
 過去の背中に運命が笑った (大十五、3)
 涸[から?]むべき運命に張切バラソル (大十五、3補)

 以降、年号は漢数字(大正のみ「大」を付す)、月は算用数字。「補」は、ガリ版刷り全集になく、旧版全集で補われた作品。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/24 0:02
◇「いのち」の句

 鶴彬は「生命」に「いのち」とルビをつけることが多かった。

 燐寸(マッチ)の棒の燃焼にも似た生命(いのち) (*大正13年10月)
 滅びゆく生命(いのち)へ滅ぶ可(べ)きが泣(なき) (*大正13年11月)
 失恋は生命(いのち)へシカとしがみ付 (*大正13年12月)
 柵の中に枷あり枷に生命あり (*昭和3年2月)
 職を与へろとデモになる生命を賭けたアヂビラ (昭和5年3月)
 団結へ賭けろどうせ食へない生命じゃねえか (昭和5年6月)
 張り替えが利かぬ生命の絃が鳴り (昭和10年3月)
 
 (*は、新版全集に初出。+は新版全集で削除)
 ただし、「命」1字で「いのち」と読ませていることもある。

 いい夜先(まず) 幾つかの命ゆがめられ (*大正13年11月)
 鳥が枝に止まるが如き人の命 (*大正13年11月)
 儚[はか]ないと捨られもせぬ命なり (*大正13年11月)
 命つぐ呼吸に命刻まるる (大正15年3月)
 仇に着す縮緬織って散る命 (昭和4年3月)

 さて、以下の句でも、「生命」は「いのち」と読むのだろう。

 生命捨て売りに出て今日もあぶれ (+昭和9年2月。*昭和10年2月)

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/23 21:19
◇こういうものも

 半球の闇を地球は持ち続け

 大正15年6月。旧版全集にあり。

 半球の真昼、半球の真闇(まっくら)

 大正15年9月。新版全集に初出。
 まあ、関連作ではあるだろう。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/22 8:53
◇昨日に似て

 「フジヤマとサクラの国の失業者」(昭和10年11月)という句で、翌年5月には、「失業者」が「餓死ニュース」に変わっている。
 こういう場合、前者は注でふれるが、「格下」扱いでいいだろう。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/21 13:24
◇校訂しながら

 表記がやや違う程度の類似作は、後のものを決定稿としたいが、必ずしもそうも行かない場合もあり。
 また、「足をもぐ機械だ手当もきめてある」(昭和10年3月)という句が、数か月後に「足」だけ「腕」に変わっているのは、どう扱うか考え中。
投稿者:木村哲也2004/12/20 16:01◇続「糞」の出てくる鶴彬の川柳

「職工入ルベカラズ!」重役の糞たれるところ

 昭和10年7月。新版全集に収録。
 これ以上はないようで(^.^)
さて、ようやく鶴彬全句打ち込み終了。
 本格(?)校訂作業の年末年始。
 新版全集に新収録作品を、本ブログで随時紹介。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/19 10:51
◇『川柳人』187号、昭和3年5月から

社長に逢へど帽ぬがなかった失業の秋
支那出兵兵工廠に働らく支那人
バナナ食べる釈尊の性慾
ストライキ夕陽血走っている

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/18 12:47
◇澤地久枝の言

 「復刻にあたって」から。
 「井上剣花坊への追悼詩が示しているように、鶴彬は基本的にやさしい心をもつ礼儀正しい青年である。しかしこと川柳に関する主張では容赦なく、激しい。だが彼が依拠した唯物弁証法は直接、革命の武器としての川柳の母胎にはなり得ない。教条主義理論に縛られたジレンマのもとで、あるべき川柳の役割を説きつづけた鶴彬の評論は、時代の制約下にある。鶴彬自身は信奉し主張する自説の帰結として、自らの妥協、変心、転向の選択をいっさい封印することとなった。歴史の時間をへだてて読み返すと痛々しく無残な「たたかう川柳」の提唱に誰よりも忠実にしたがい、いのちを賭けることになる川柳人鶴彬、一つの時代の証人というべき青年がこの「全集」のなかき息づいている」
 「鶴彬の生きた時間は短く、自由に文学活動のできた時間はもっと短い。そして時間だけが問題なのではなく、思うままに作品を発表できる時代ではなかった。彼はその生涯、みずから一冊の句集もまとめる機会のないまま死んだ。作品をのこす権利を奪われた人生といってもいい。評論は一篇の生原稿さえ残っていない。特高警察の押収と処分の他、所持していた人たちによる焼却がおこなわれている。それは、彼の仕事が完全な形であとにのこされることを不可能にした」
 鶴彬の評論についてふれる際に、心しなければならないことが、述べられていよう。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/17 13:52
◇最後

 『川柳でんでん太鼓』田辺聖子、講談社、1995年 (12/5 18:46 19:57)
 川柳の卑下に苦言を呈し、2章を鶴彬にささげている。
 『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』田辺聖子、中央公論社、1998年 (12/1 19:34 12/4 10:10)
 下巻第6章に約90ページ登場。独立した伝記として読める。
 『昭和遠い日・近いひと』澤地久枝、文藝春秋社、1997年 (12/5 20:28)
 一叩人にも言及。「ケンカ鶴」とも。
 「鶴彬全仕事」澤地久枝、1998年 (11/21 23:53)
 新版全集刊行の経緯と、宣伝。
 「『鶴彬全集』を復刻刊行 澤地久枝さんに聞く」『赤旗』1998年10月10日
 編集の苦労話と、全集の紹介。
 「忘れ得ぬ人 鶴彬」澤地久枝、1999年冬 (12/6 20:09)
 「鶴彬研究」には、全集をよく読んでほしいとも。
 『蒼空の人・井上信子』谷口絹枝、葉文館書店、1998年 (11/28 1:25 12/5 21:14)
 秋山清による鶴彬への言及を紹介。女性著者が、他の川柳人にもふれる中で、鶴彬にふれているのが、一般に読みであり。
 『現代川柳の荒野』佐藤岳俊、新葉館書店、2001年 (11/29 8:45 12/5 14:32)
 鶴彬情報がたくさんわかる。
  『没法子北京』東野大八、蝸牛社、1994年 「醜虜の群れと紅い花」で、「手と足を」の句に言及。 (12/5 13:31)
  『昭和特高弾圧史1 知識人に対する弾圧 上』明石博隆、他、太平出版社、1975年 雑誌『川柳人』に関する記述で、鶴彬も登場。
  『月刊川柳大学』1996年7月号に北川弘子が「研究資料ノート 鶴彬」を掲載。 (12/9 13:08)
  『東北の歴史100問100答』歴史教育社協会編、新興出版社、1992年 「娘の身売りは本当にあったか」で、「つけこんで小作の娘買いにくる」の句などを紹介。 (12/4 17:43)
 『ミリアリア 石川の近代文学』金沢近代文芸研究会編、能登印刷出版部、2001年
 川柳人では鶴彬のみ。5句。
 『松倉米吉 富田木歩 鶴彬』小沢信男編、EDI叢書、2002年 (12/4 19:30)
 作家紹介はさわやかだが、参考文献目録はおざなりだ。
 『国家に抗した人びと』新藤謙、子どもの未来社、2004年
 家永三郎他、5人。
 他に未確認情報あり。

 以上が「鶴彬研究序説」概要。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/17 13:50
◇また続き

 「2−2 新たな文献情報」
 『反戦川柳人・鶴彬 作品と時代』一叩人、たいまつ社、1978年 (12/9 20:50 12/10 12:01 21:03 12/11 10:07)
 作品の脚注の形で、解説をしているが、時に長文過ぎて、読みづらい。
 また、新版全集では、一叩人のこういう評論を取り込むべきだったかと思う。
 『鶴彬の軌跡』岡田一と、文芸集団、1981年 (11/22 9:28 11/23 13:56)
 雑誌連載22回の総集編。長い作品の引用だけだったり、全集刊行後としては不満である。
 『蕾よ、暁を抱け』島正富、北国出版社、1988年 (12/9 20:37 12/10 19:57 20:58 12/11 10:29 12/12 13:04 12/13 9:32)
 「無断転載、上演歓迎」の変わった戯曲。よく調べて、筆致も絶妙である。
 『川柳人鬼才鶴彬の生涯』山田文子、他、日本機関紙出版センター、1997年
 実妹が著者の一人。地元の写真が多いのはいいが、特に従来の雑誌記事の域を越えていない。
 『反戦川柳作家鶴彬』深井一郎、日本機関紙出版協会、1998年
 新版全集での略年譜削除を受けてか、こちらに収録だが、内容は↑よりも薄い。
 『新興川柳選集』一叩人編、たいまつ社、1978年 (12/6 22:02 12/7 10:10)
 鶴彬にささげられたり、言及されている評論も読める。
 『新興川柳運動の光芒』坂本幸四郎、朝日イブニングニュース社、1986年 (12/6 20:47)
 鶴彬言及分の2章はまずはまとまっているが、むしろ田辺聖子の序文のほうが読ませる。
 『井上剣花坊・鶴彬』坂本幸四郎、リブロポート、1990年 (11/23 10:55)
 サイズに比して、詩の引用が長すぎ、狙いが果たせていないよう。
 『プロレタリア短歌・俳句・川柳集』新日本出版社、1988年
 鶴彬の川柳だけまとめて読める。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/16 22:48
◇続き

 「2−1 旧版全集での文献情報」
 『近代の漂白』秋山清、現代思潮社、1970年、で収録の「鶴彬」は、『思想の科学』1960年9月に初秋の記事を収録したものである。『日本の名随筆別巻53川柳』作品社、1995年、にも、該当箇所が収録されている。 (11/23 22:53 11/24 0:04)
 『現代川柳への理解』河野春三、天馬発行所、1962年、での鶴彬の収録は、わずかであった。
 『雪と炎のうた 田中五呂八と鶴彬』坂本幸四郎、たいまつ社、1977年、では、一叩人の名の由来が述べられている。
 「反抗の生涯――反戦の川柳家鶴彬」佐藤冬児、1961〜1964年、では、手際よく川柳が引用されている。 (11/25 17:14)
 「鶴彬――その人と作品」岡田一吐、1963年、では、作品集刊行の必要性について述べられている。
 「鶴彬の二つの詩と半文銭」佐藤冬児、1966年、では、資料不足ゆえ、遺作品に語らせる紹介でよい、と述べられている。 (11/25 17:02)
「反戦川柳――鶴彬の作品と現在」一叩人、1966年、も、「鶴彬川柳作品の今日的意義」一叩人、1969年も、入手不能であった。
 「鶴彬評論抄」佐藤冬児、1970〜1971年、では、十分な紙幅で述べられていながら、旧版全集よりも少ない作品入手状況だったとわかる。
 「評論――反戦と革命の詩人――鶴彬」牛尾絃二、他、1972年、は、入手できなかった。
 「反戦川柳作家――鶴彬の肖像」前田慶穂、他、1972年、は、やや伝記の一人歩きかの評伝である。
 「『川柳人』に現れたる喜多一二のあしあと」渡辺尺蠼、1973年、は、全容が判明していない。
 「鶴彬・研究ノート」岡田一と、1970年、は、未入手である。
 「戦争とたたかった川柳 ”鶴彬の業績をしのんで”」岡田一と、1963年12月6日、は、9月14日の命日に鶴彬祭が行なわれているのが知れる。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/16 22:05
◇鶴彬研究序説

 拙稿のあらましを述べつつ、ここまでのブログの整理とする。( )内の日付は、当ブログでの投稿日である。
 「はじめに」では、2冊の全集のいきさつと、2冊めでの断わりのない増補と削除について述べた。
(11/22 9:28)
 「1−1 作品の追加」では、まずは評論の追加が以下のとおりである。
「新興川柳断片箇條書」大十五、5 (12/6 11:00)
 「新興川柳詩野に就て」大十五、8 (12/8 18:20 21:37)
 「明日の川柳詩壇私観」大十五、8 (12/9 9:51)
 「「一握の砂」その他」大十五、12 (12/9 15:39)
 「地底の呻き(上)」昭三、3 (12/9 15:55)
 「地底の呻き(下)」昭三、3 (12/9 16:04)
 「川柳の正しい発展に就て」昭九、11 (12/9 17:19)
収監中の新聞記事もである。 (12/9 16:17 )
井上信子の日記には、生稿もあった。 (12/9 21:04)
 「思い出の鶴彬」に烏三平が加わった。 (12/9 21:17)
 川柳作品については、大正時代には多くが追加され、昭和になると徐々に減った。 (11/21 23:10 23:20 23:37 11/23 0:13 15:18 18:44 11/24 14:47 11/25 17:24 17:54 22:04 11/26 11:14 )(11/27 14:34 11/29 19:06 11/30 1:01 12/4 17:56 18:01 18:03)
 異文の整理をし、使用語彙の分析のほうが、これ以上の伝記研究よりは有効と思う。
 詩の追加は以下のとおりである。
 「衰弱した四月の思想」昭二、5 (11/23 18:40)
 「落ちる枯葉を見た私」昭二、12 (11/23 15:39)
 「文明が押し寄せてきた(上)」昭三、1
 「文明が押し寄せてきた(下)」昭三、1
 「因習の殻を破れ」昭三、2 (11/23 17:36)
 追加された書簡もある。
 「1−2 一叩人筆写の問題点」では、間違いの多さのことをあえて指摘した。 (11/24 0:51)
 「1−3 評論の分類」では、全評論の見取り図への手がかりを示した。

____________________________________
投稿者:木村哲也2004/12/16 19:37
◇『君は反戦詩を知っているか』井之川巨

 皓星社、1999年。
 緊急入荷。帯を引く。

 こんな日本人たちがいた
 時流に乗って、声高に威勢のいい掛け声をかけるのがカッコよく見える現在(いま)。
 ほんものの強さ、ほんものの優しさとは何かを
 低い声で語りかける、詩と川柳。
 与謝野晶子、竹久夢二、から金子光晴、鶴彬らの作品を読む。
 
 鶴彬は、第二部の川柳のトップである。「反戦川柳のはげしさとやさしさ」とある。
 同世代人、秋山清とのことからふれている。
 秋山の鶴彬評が述べられている。
 「鶴の川柳は作句も技巧もだが、今日なお読むにたえるものがありとすれば、それは作品をつらぬいている意欲の、あるはげしさのためである」
 「他の気の利いた反戦作品にくらべて、並たいていではなく強力ななんかがある」
 さて、著者は田辺聖子の『道頓堀』での鶴彬の描写に異を唱えている。ただ、個人的には、「史実」にはあまり関心がない。
 1996年から、鶴彬賞が地元で設定され、川柳が公募されている、というのを初めて知った。
 50句ほどの句の紹介が、最後になされている。

____________________________________
posted by Jiken at 15:29| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
木村哲治様へ
記事へのコメントではないのですが、この欄を借りてお願いがあります。「つるべん暴走機関車D」ふところ手批評(3月6日)に紹介されている宮崎斗白のことです。宮崎斗白は私の叔父に当たる人で、昭和18年に亡くなりました。斗白については知らないことが多く、作品も殆ど残っていません。鶴彬の「蒼空」につて斗白が論じた「川柳の青天」も斗白の弟(斗白の影響を強く受けた一人。故人)が探し求めていたものでした。もし、「川柳の青天」の所在または手がかりが分かるのであれば教えて貰えないでしょうか?突然のことで失礼とは思いましたが、お許しください。
Posted by 宮崎 勉 at 2007年02月10日 20:18
木村哲也 様へ
大変失礼しました。名前を間違いました。
Posted by 宮崎 勉 at 2007年02月10日 20:21
 超遅レスを深謝します。
 宮崎斗白については存じません。
 ご勘弁ください。
 では失礼いたします。
Posted by 木村哲也 at 2008年02月23日 05:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/18254148

この記事へのトラックバック

道頓堀の雨に別れて以来なり〈上〉―川柳作家・岸本水府とその時代
Excerpt: 道頓堀の雨に別れて以来なり〈上〉―川柳作家・岸本水府とその時代
Weblog: 忍者大好きいななさむ書房
Tracked: 2009-06-26 01:58
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。