2006年05月20日

2004/12/15〜01

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投稿者:木村哲也2004/12/15 19:21
◇これまでの整理をします

 「反戦川柳人鶴彬研究序説」を、大学の雑誌に投稿した。4月には刊行。
 ブログの成果も生かしている。
 それと併せて、これまでのブログを整理したい。

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投稿者:木村哲也2004/12/14 14:21
◇訂正

 平林たい子の小説の引用は、新版どころか旧版全集に、もっと長く収録されていた。見落とし。

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投稿者:木村哲也2004/12/13 9:32
◇『蕾よ』ハイライト場面

喜多 だが私の田舎では、百姓の子は昔のままなのです。教育はおろか空に事欠く日常を送らさせられているのです。これはなにによるものか。言うまでもなく軍備拡張のための重い税金のしわ寄せが原因です。
 育ち盛りの子どもが十分に食えぬ、こんな残酷な話ってありますか。
川上 ふ−ん、そりァ君のようにヒューマニズムを真っ向かに振りかざしてこられると、我々として返す言葉はないがねえ。
 しかし社会というものは、決して一色だけの価値観で成り立っているものでもないからねえ。
 (揶揄するように)どうかね、この辺で一つ革命でも起してみては。
喜多 (真面目に)いや、革命はいけません、たとえそれが成功した所で、権力を握った人間のやることは皆同一です。

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投稿者:木村哲也2004/12/12 13:04
◇『蕾よ』名シーン

喜多 鶴ちゃん。
鶴子 かっちゃん、逢いたかった。(泣く)
喜多 鶴ちゃん、達者やったのか、宜かったねえ、本当によかった。
 わしは軍隊に入る前に、鶴ちゃんに逢いとうて尼崎の紡績工場へ尋ねていったことがある。
 ほやけど鶴ちゃんは、もう辞めていて姿がなかった、寂しかったなァ。子どもの頃母親と別れて身内がささくれだつような悲しさで泣いたが、あのときと同じ思いを抱いて空しく帰ったものだ。

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投稿者:木村哲也2004/12/11 10:28
◇『蕾よ』名場面

川上[三太郎] 今日、井上先生にお逢いしたくて参りましたが、生憎とご他出ということで。
 先生からあなたのことを少々伺っていましたが、いや、お若いですな。実に意外に思います。
 失礼ですが、お幾つでしょうか。
喜多 はあ、満で十八になります。
川上 ほう、まだ十代ですか。そうですか。[中略]
 つい先日発行の「川柳人」に載っていたあなたの論文と一連の作品を読ませて頂きましたが、いや、実に堂々たる論旨で、私は感服の念を禁じ得ませんでした。それで相当のお年の方と、実は勝手に想像していたような次第です。

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投稿者:木村哲也2004/12/11 10:07
◇一叩人の「悪文」

 ちょっと厳しい言い方だが、読点ばかりでなかなか句点が来ない、以下の引用。
 「胃袋で直感した鶴彬は、この瞬間において労働者鶴彬の自己を確立したといえるが、その後の彼は、ひたすら教えを森田一二に求めその示唆による学習に励んだが、中でも、河上肇の『社会問題研究』誌とレーニンの『なにをなすべきか?』を精読するに及んで、更に階級意識を強固に裏づけし、理論と実践を結びつけ、其の後の川柳生活にはいうまでもなく、労働者としての生活にも、反支配階級意識を実践実行に移し、酬わるることを期待しない人民への奉仕に生涯を賭けたのだが、大阪での敗け犬は、一度帰郷後、職を求めて単身上京(九月十三日)『川柳人』では初の評論「僕らは何を為すべきや」を発表し(一二月)芸術至上主義、ロマンチシズムを排し、生命派との訣別を宣し、新たな人生観、世界観に立つ文学川柳と実生活を実践行動に移し始めた。」

 さて、昨日の『蕾よ』で、「抗議録」→「講義録」に訂正します。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 21:03
◇一叩人の川柳評

 年ごとに10数句挙げて、詳述している。
 あとは、全集に思いつき(?)のようにつけていた注を、充実(?)させた感じだ。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 20:58
◇『蕾よ』ハイライトシーン

 何箇所か、抜粋していく。
 鶴子は、井上剣花坊の娘、喜多が鶴彬。

鶴子 かっちゃんは、なんで師範学校へ行かなんだがや。ずっと級長を続けておって、いつも師範へゆきたい、と言うておったのに。
喜多 うん、わしァ本当にゆきたかったけど叔父さんが家の手伝いをしておりァ宜いちうもんで。
 ま、学校へ行かんでも勉強ァできる。抗議録を取り寄せるちう手もあるし。
鶴子 あたし、かっちゃんが本当に可哀そうやと思う。かっちゃんのお父うが、かっちゃんの小さいときに亡くなって、お母ァが直ぐ東京へお嫁に行って仕舞うて。師範学校にも行けんで、辛いことやろねえ。
喜多 うん、貧乏人ちうもんは、いつもこんなもんや。何に一つ思うようにならん。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 20:47
◇T氏情報

 平林たい子の小説「砂漠の花」の第2部、と、一叩人の評論で判明。第1部にはなかったというのは正しかった。
 その部分を孫引きする。
 「も一人、T氏といって、新興川柳派の若い人がいた。T氏は、川柳中興の祖といわれる井上剣花坊に師事して、同氏がなくなってからも、夫人信子を助けて雑誌を出していた。T氏がここ[留置場]に入れられる動機となったのは、その雑誌に、「万歳と挙げた手を大陸に置いてきた」といった反戦川柳をのせたことからだ。私は、外にいたときから、両氏[T氏とH氏=橋浦時雄]ともよく知っていたので、話相手には事欠かなかった。T氏はその川柳を特高室ではじめて見せられたときには、思はず自分の憂鬱を吹きとばして大笑いした。この人心の逼迫の戦時に、そんな大胆な川柳を雑誌にのせる人間がいたとは、およそめずらしくのんびりしたことであった。(中略)金にも着るものにも事欠いて、いつもよごれたふうをしているT氏の姿は、さながら中野暑にいる自分の夫の姿だった。(中略)若いT氏も私も、特高係に受けのよい従順な留置人ではない。私たちは、小さいことでよく反抗して、何日も留置場に置きぱなしにされた。」
 確かにT氏は、鶴彬そのままだ。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 19:59
◇『蕾よ、暁を抱け』には

 「無断転載、上演を歓迎します」とある(爆)
 変わった本だ。

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投稿者:木村哲也2004/12/10 12:01
◇一叩人の「評論」

 どんな書き出しか、見てみよう。
 「”革新川柳の始祖”である鶴彬も[中略]北国柳壇[中略]に発表した作品は、[中略]その「革新」は無思想に近い伝承派、文学的自覚を持たない伝承派に対する詩性派的革新であって、ロマンの中に夢を追い、ニヒリズムの中に孤独な創始を希求し文芸至上主義の域を脱してはいなかった」
 新版全集で、何とか収録できなかったのか、せめて言及ぐらいあってもよさそうだ、あるいはこちらだけ復刻するほうが、むしろ大衆にはよかったのではないか、とまで思う。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 21:17
◇思い出の鶴彬

 中島國夫(烏三平)のが、新版全集に追加された。

 食堂を閉じて爆弾抱かせる
 
 同時代人から見ても、こういう句が出てくるように、鶴彬の食生活は悲惨だったらしい。
 色白だったが、女性のようではなかった、として、以下の句を引いている。

 どてっ腹割ればおいらのもの計り

 句碑の句は、以下のものだという。

 暁を抱いて闇にゐる蕾

 戯曲の題の下敷きだ。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 21:04
◇井上信子の日記

 新版全集には、書き直す前の原稿が併載されている。
 例えば、鶴彬の臨終のシーンでも、旧版収録の清書(?)のより、臨場感のある分、好きだが。
 旧版。
 「昨晩○○[霊安]室へ移したといふ。道を聞いて○○室へ趣き[ママ]待つ事一時間、母に附き添ひ三人の兄妹がやって来た。中で長兄は昨夜わざわざ盛岡から出京したとの事、お互ひの挨拶は至極簡単ではあったが言葉に出せぬものが通じ合ってゐるやうに思へた」
 新版。
 「一同○○室に入り永久の別れの合掌である。彼の意思と同じに頑強であった肉体は傷ましいほどスリ減らされ、出す丈のヱネルギーを発散し尽くし、然る後君はいとも安らかに闘士の影さへも皆無に見える」

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投稿者:木村哲也2004/12/9 20:50
◇『反戦川柳人・鶴彬 作品と時代』

 一叩人、たいまつ社、1978年。
 一叩人は、前年の旧版全集では、鶴彬について論評していないが、川柳と詩の作品集の脚注の形で、時代背景、評論の引用、固有名詞などへの注ばかりでなく、多少、鶴彬について述べている。
 ↓も含め、古書業界に出回らないのは、その優秀性のためか。
 しかし、こちらの本は、澤地久枝が言及していないのも奇妙だ。
 いずれ、詳述する。
 大学図書館ネットワークに感謝する。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 20:37
◇『蕾よ、暁を抱(いだ)け――鶴彬の生涯』

 島正富、北国出版社、1988年。
 戯曲である。五幕六場。加賀の一向一揆「清き、夜明け目ざして」が併載。
 例えば、こんな感じ。

川上 [中略]「手と足をもいだ丸太にしてかへし」[中略]等々、すべて彼の作品には本来川柳になくてはならぬ風格が、これっぽっちもないじゃありませんか。[中略]
信子 いえ、鶴さんについちゃ、亡くなったおとうさんも高く評価していた人ですし、今の生き方は少しも間違っちゃいないと妾も固く信じています。

 鶴彬の理解は、かなりであるようだ。
 で、出演者が多くて、上演は難しい。
 また、小説でないので、朗読ともいかないし。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 17:19
◇「川柳の正しい発展に就て」

 意外にも(?)新版全集に初出。
 昭和9年11月25日『川柳倶楽部』
 新興派と伝統派の対立の問題である。
 古川柳は、武士階級の没落を描いているという。
 その出現自体は、新興川柳と似ている、というのである。
 伝統派の、明治新川柳も、事情は同じ、という。
 敵と戦おうというのに、相手を知らなすぎるという。
 さて、「真実の現実」を描かず、上皮だけ描いているのが、従来の川柳だ。「現実の内容にまでメスをさしこみ、えぐりだす」ことが必要という。確かに。
 新興川柳も、神秘主義から現実主義になったという。膿を破って出すだけでなく、その根をえぐり出す手術を知らないようだが、と。
 内的リアリズムの要求で、定型律を自由律に高めて行く、ということで終えている。
 自由律への志向が出てきた。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 16:17
◇新版全集に初出

 昭和52年の新聞記事(『北陸中日新聞』)。
 「死後にわかった"人間の真価"」
 兵隊時代に、出獄してきた鶴彬を見知っていた、ということを今になって気づいたという、65歳の人の投稿。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 16:04
◇「地底の呻き(下)」

 前回の続き。3月31日。
 金と人との関係が書かれる。
 金のない者は夢を見る、という。
 安サラリーマンの夢。
 半羨半呪の夢。
 刹那の呪いの夢。
 最も目覚めた労働者の夢。
 ここまでは、具体的に描写されている。
 淫売婦の夢、殺人犯の夢、狂人の夢、は例示のみである。
 しかし、これらは「空虚な一時的な満悦」であるともいう。かえって憂鬱になると。
 この悩みを忘れるために、三つのことが挙げられているが、非現実的で、やや破滅的なのが気になる。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 15:55
◇「地底の呻き(上)」

 新版全集に初出。昭和3年3月20日『北国新聞』朝刊文芸欄
 短編小説ふうの評論である。
 文明の発達が、人間を幸せにするとは限らない、ということである。
 ブルジョアは幸せになっても、無産者はそうでない、という論調である。金がなくては、何ともならないと。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 15:39
◇「「一握の砂」その他」

 新版全集に初出。大正15年12月22日『北国新聞』朝刊
 なぜか冒頭は芭蕉の句。

 麦の穂をたよりにつかむ別れかな

 新興俳句がダメでも、新興川柳までダメではない、とあり、しかも、『北国新聞』以外の発表作も見よ、と意気軒昂(笑)だ。

 そして、田中五呂八の句が続く。

 土のある限りつづけと生みはなし

 産児制限問題に対する句、というが、時代背景は個人的には詳らかでない。
 俳人にはわからないだろうなあ、この川柳は、という論調の、短い記事である。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 13:08
◇『川柳大学』96年7月号

 時実新子の雑誌で、郵送のみである。
 川柳研究資料ノートとして、見開きに、編集部の北川弘子が、38句とともに「抄出と報告」を書いている。
 戒名が、釈明澄位、と初めて知った。

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投稿者:木村哲也2004/12/9 9:51
◇「明日の新興柳檀私観」

 新版全集に初出。大正15年8月25日『氷原』。
 新興川柳に対して、大島濤明と坂井久良妓のみの反応は、まだまっとうかと、というものである。
 それでも、後者には「伝統主義者の迷妄」という非難をしている。前者には「コンクリート式の伝統主義者の頭脳」と言っている。
 新興川柳も、必ずしも「合理的な神全的[ママ]な存在」ではないが、既成川柳を「不甲斐なき先輩盲従主義」とこきおろしている。
 しかし、「先人達の持つ、深遠な哲学的思索や、崇高な詩操[ママ]など、大いに学ばなければならないと思ってゐる」という部分もある。
 最後に、「厳密なる個の対立」による自己創造、を強調している。

 さて、今回、「ママ」をつけた、鶴彬の造語癖にあらためて気づいた。

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投稿者:木村哲也2004/12/8 21:37
◇続き

 表題は、「ついて」→「就て」でした。
 さて、後半は、『氷原』からの川柳の抜粋である。

 水がめに水の枯れたる日とてなき 亮鳴
 
 という冒頭の句が代表的か。
 「川柳は今や通俗趣味の巷流の中に、芸妓や娼妓の喝采を得て、得意としてゐる時ではない。床の間の敷島をねらふ余技でもない」と、最後に述べているのも引いておこう。

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投稿者:木村哲也2004/12/8 18:20
◇「新興川柳詩野について」

 新版全集での収録である。大正15年8月6日、7日。
 金沢の『百萬石』から最近、批判を受けていると始まる。数年前の既成柳檀からの、新興川柳批判と同じだと。
 それを、田中五呂八の『新興川柳詩集』を読んでくれ、と言って反論が始まる。
 「詩とは生命の声」であって、「訳のわからぬ寝言」でも「変態短詩」でもない、と言っている。
 そして、『百萬石』にも新興川柳ふうのがある、と言って、以下の句を掲げ、前半が終わる。
 
 米櫃の鳴る悲哀から薬びん 服隠子
 凧糸に小さい力すがるなり 維呂波
 蟇口の一つ家計のすべてです 同

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投稿者:木村哲也2004/12/7 10:10
◇鶴彬について論じられたもの

 まずは、副題に出てくるもの。
 中島國夫「定型律批判の立脚点――鶴彬氏の時評を読みて」
 古屋夢村「新興川柳第二期運動――喜多一二君に贈る」「『影像』の宣言書――鶴彬君に贈る一片」
 木村半文銭「プロ川柳の思想性と芸術性――鶴彬君に答ふ」「答礼に対する答礼――鶴彬君にこれを贈る」
 ついで、言及されているもの。
 井上剣花坊「プロレタリア文学とブルジョア文学」「川柳王道論」
 田中五呂八「机上論から実際論へ」「詩は実践にあらず」「新生命への出発」
 森田一二「創作態度の問題と若干の反駁」
 中島國夫「弦を張り了へて」「自由律セクト主義批判の批判」
 木村半文銭「川柳の大衆性について」
 川上日車「表現と闘争と思想」
 じっくり読まねば。
←|21|22|23|24|25|→

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投稿者:木村哲也2004/12/6 22:02
◇『新興川柳選集』

 たいまつ社から、旧版全集の翌年(1978)に、やはり一叩人の編集で出ている。雰囲気は似た本である。
 井上剣花坊、田中五呂八、森田一二、鶴彬、中島國夫、古屋雪村、木村半文銭、川上日車、渡辺尺蠼、島田雅楽王(うたおう)、高木夢二郎、井上信子、白石維思樓が収録されている。評論と作品である。
 鶴彬の場合は、「僕らは何を為すべきや」「生命派の陣営に与ふ」「プロレタリア川柳批評への批評的走り書」「全国新興川柳詩人に与ふ」「木村半文銭論」「川柳の大衆性と芸術性」「二つのデマに対する答礼」と、100超の句である。
 さて、索引を見ると、全体にわたって鶴彬が出てくる。これだけで、ブログを立ててもいいか、と思うほどである(笑)
 特に、木村半文銭には、副題で鶴彬にあてているものもある。
 こういう、鶴彬を他の人が何と言っているかも調べたかったが、本書でまとまって知ることができる。
 単なるアンソロジーでなかったことに、感激している。

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投稿者:木村哲也2004/12/6 20:47
◇『新興川柳運動の光芒』坂本幸四郎、朝日イブニングニュース社、1986

 函館の坂本の、必ずしも印象はよくなかったが、この本だけはやや違う。
 10章のうち、第七章「反戦柳人・鶴彬」、第八章「新興川柳派の終息」に、鶴彬が出てくる。
 だが、冒頭の、田辺聖子の跋文を、むしろ引いておきたい。

 「田中五呂八の新興川柳、その実作品と、それを裏打ちする理論武装は、川柳を完全に近代文学に脱皮させる主動力となった。五呂八に呼応し、鶴彬が登場する。鶴はプロレタリア詩人ではあるが、決して教条的な動脈硬化したイデオロギー御用詩人ではなかった。血の熱い、魂の鼓動のたしかな、美しい川柳を作り、返す力で犀利な理論闘争を展開する。
 [中略]
 日本文学史、などというものも、このへんでもう一度すっくりとやり直して、従来の歪みを訂正しなくてはいけないのではないだろうか。[中略]
 私は[中略]古川柳から読みはじめ、そこから一挙に現代川柳へ飛んで、それがすべてだと思っていた。
 これは私だけでなく、一般の社会人も、そして文芸評論家も、あるいは近代文学専攻の大学の先生、学者の方々もそうではなかろうか。
 そうでなければ、申し合わせたように、日本の近代文学から、田中五呂八や鶴彬の名が落ちているはずはない。」

 小生は大学人ながら、日文の教員ではないので、多少気楽だ(?)。
 また、脚韻だって、なぜか日本の文学史に欠けているという思いも共通して、鶴彬にのめりこむのかもしれない。

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投稿者:木村哲也2004/12/6 20:09
◇『北國文華』復刊2号、1999年冬

 澤地久枝の「忘れ得ぬ人 鶴彬」が収録されている。
 後半は、おざなりな(?)鶴彬伝だが、前半の新版全集への経緯がらみでは、引きたいところがある。

 「鶴彬について書かれた多くの文章のほとんどは、一叩人氏の「全集」および文章に依拠している。あとから歩む者は、先人がなし得なかった空白を埋める努力をするべきなのだが、出典さえ示さず、一叩人が健在か否かも確認しないものがある。論証の不十分な記述や談話からいつか伝説といいたい「鶴彬」が一人歩きをはじめてもいた。一叩人は沈黙をもって答とした。
 [中略]
 鶴彬に関心をもつ人は、彼の全作品(十五歳から二十九歳まで)を読んでほしい。「伝説」ではなく、鶴彬本人による思想的変遷や境遇が、川柳や詩、もしくは評論の文中にはっきり顔をのぞかせていることに気づくはずである。それが「鶴彬研究」の土台となることを願わずにはいられない。」

 最後では、「鶴彬研究」と、はからずもある。全部は、旧版では読んだ。適任であるかはわからないが、面識のない澤地久枝にエールをもらった気分だ。

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投稿者:木村哲也2004/12/6 11:00
◇「新興川柳断片箇條書」

 新版全集で加わった、鶴彬の評論である。大正15年、5月27、28日。
 心の感情の直唱の一般詩歌より、川柳のみが理智のひらめきを、が趣旨だ。
 言わんとすることはわかるが、昨日引いた、秋山清の言でもないものの、「直唱」だけなら、むしろ鶴彬自身ではないか(笑)。秋山は、鶴彬の言う理智を、むしろ鶴彬自身に求めていたようにも思うが。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 21:14
◇『蒼空の人 井上信子』

 鶴彬については、他のこととついでに(?)書いている女性のもののほうが、読みがいがある。
 「四章 戦時下をいきる」は、鶴彬が頻出する。
 前述の平林たい子が司会のパーティーのことに始まり、詩人の永瀬清子による反論のこともふれている。
 向いていないとされる、川柳での連作についてふれられた後、同時代人であった秋山清による鶴彬への言及がある。
 「比喩が手っとりばやすぎる。[中略]「これでは検閲の目が光る、検閲の目をくぐりぬけて民衆の胸にとびこむものでなければ川柳の値うちがないじゃないか」といいたいものがあった。」
 しかし、ストレートな物言いが、鶴の鶴たるゆえん、という、著者の谷口絹枝に同感だ。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 20:44
◇一叩人への言及

 澤地のこの本は、新版全集刊行寸前である。
 さて、句碑建立に合わせてまとめらた『県民の友』をもとに、旧版全集の元となったガリ版刷り全集ができた、という。
 そして、改訂版全集に向けての資料が渡された、と好意的に書かれている。
 しかし、新版全集では、すでに示したように、一叩人に、必ずしもよいことばかりを書いていない。

 小生も一叩人のこと思うと、胸が痛む。
 一叩人なくしては、「つるべん暴走機関車」もなかった。
 しかし、新発見資料はともかく、ミスの多い書き写しは、鶴彬に、読者に失礼な部分もやはりあろう。
 小生にとっては、読み直しである、鶴彬の評論の文体は、少なくとも、とやはり言わざるを得ない。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 20:28
◇『昭和・遠い日 近いひと』

 澤地久枝、文藝春秋、1997(後に文庫化)
 やや、従来の男性軍の、ありきたりな伝記ふうで進む。
 旧版全集の一叩人についても言及している。

 さて、以下のところが興味深い。長くなるのを承知で。
 「鶴彬には、向きあっている権力のもつ強権について、おそれを知らないところがあった。学校で学ぶのでなく実地で、頭ではなく胃袋で自らをきたえたつよさと、世間を知るには経験の足りない若さとをもっていた。
 「ケンカ鶴」とよびたいほど強気な論陣を張る一方、鶴彬は先輩の川柳人とくにその死に対してはまことにゆきとどいた文章を書く青年だった。その人品について、色白の物静かな人だったという回想は多い。
 彼は多くの川柳批評をしていて、歯に衣きせぬ手きびしい論評を加えているが、比較例として自作の川柳をかかげることになんのためらいもない。それ以上にすぐれた川柳がないからやむを得ないと本人は考えたかも知れないが、たいへんな自信家でもあった。そうの傲慢を叩かれてはいるが、鶴彬を非難しながら彼を愛した人は多い。」
 小生がなぜ鶴彬が好きかの理由が、はからずも垣間見えた。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 19:57
◇『でんでん太鼓』に戻る

 2章めに行く。
 伏せ字は「ごうもん」であるという。
 自身ばかりでなく、同時代人も。
 自由律への移行についても言及されている。

 『道頓堀』へのウォーミングアップの役割を十分にしたのではないだろうか。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 19:12
◇平林たい子のこと

 『道頓堀』でも、「井上信子(剣花坊夫人)を励ます会」で、平林たい子が司会をしたことをふれている。
 小説「砂漠の花」のT氏が鶴彬がモデルらしいが、小生が見るかぎりでは、第1部後半で林芙美子と同棲する俳優がT氏である。第2部に出てくるのか?

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投稿者:木村哲也2004/12/5 18:46
◇『川柳でんでん太鼓』田辺聖子

 考えてみれば、つるべんの資料に挙がっていながら、これ自体を詳しく述べたことはない。
 講談社、1985(後に文庫化)
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」と「働けばうづいてならぬ○○○○のあと」の2章が、鶴彬である。
 前者は、「戦後に復員兵や傷痍兵がよんだのではない」と、出だしにある。「日中戦争のまっただなかで、川柳作家が堂々と発表している」と。
 先だって、「俳句」にも「プロレタリア」が形容するのかと小生は述べたが、田辺は小林多喜二と比較し、川柳にもプロレタリアがつくのか、という読者が多いことを言う。
 また、俳句をやっている人が、卑下して「自分のは川柳」と言ったり、川柳をやっている人が、卑下して「昔は俳句をやっていた」と言ったりしていることに、苦言を呈している。
 以降は、表題の句や関連作を、当時の時代背景に置き直し、特高のこわさを述べている。
 そして、田中五呂八、阪井久良妓、井上剣花坊らとの関係が述べられる。
 昭和12年に逮捕された時は、平林たい子もいっしょだったという。
 そこまでで、1章めは終わっている。 

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投稿者:木村哲也2004/12/5 14:32
◇迸(ほとばし)れ諷刺レアリズム

 ↓の典拠は『現代川柳の荒野』だが、読み返しているうちに、鶴彬が初めて出るのは、11月29日の午前の書き込みより前の、上記の章だとわかった。
 しかも、『道頓堀』が刊行されたころには、川柳雑誌でも特集を組んでいることがわかり、さっそく手配した。
 さて、上記の章では、鶴彬が剣花坊について述べている部分も引かれている。
 古川柳の穿ちと同様のものが現代に、という趣旨で、この章は進んでいく。
 鶴彬の評論のタイトルが次々紹介され、「鶴彬が現代に問いかけるもの」という小見出しもある。
 鶴彬の生涯を演劇として、1996年に上演したともある。
 木内稔、北川弘子の、出典不明の鶴彬に関する文章があることも知れた。

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投稿者:木村哲也2004/12/5 13:31
◇醜虜の群と紅い花

 『没法子北京』の最初のほうの、上記の章の最後あたりに出てきた。

 「(戦争は終わった。それも屈辱きわまる無条件降伏だ)
 唇を噛みうつろな目で、良助は傍らを見回した。そこには松葉杖や、ふらりと空っぽの片袖や、軍衣跨(ぐんいこ)をぶら下げた足切断の一群の人たちがまったくの放心状態でたたずんでいた。
 [中略]拳で地を叩き続ける者、なかには横転して砂まみれの男もいた。彼は立ち上がろうにも両手がないのだ。[中略]
  ○手と足をもいだ丸太にしてかえし
 反戦川柳作家鶴彬(つるあきら)の句だ。彼はきっとこの醜虜の群を頭に思い描いたに相違ない。」

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投稿者:木村哲也2004/12/4 19:30
◇『松倉米吉 富田木歩 鶴彬』

 小沢信男編、EDI叢書、2002
 夭折した三人の短詩系作家の作を、108ずつ。
 作家紹介は「さわやか」だが、「参考文献目録」は、率直に言って貧弱だ。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 18:03
◇「小作」の語がある鶴彬の作品

納米にされる小作の子と生まれ (昭十一、3)

 どれも、もっとあるかと思ったが、こんところであった。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 18:01
◇「淫売」の語がある鶴彬の作品

淫売婦共同便所、死、戯場 (大十五、5)
淫売も出来ず馘(き)られた老女工 (昭四、2)
淫売を失業とストライキより記事が無い (昭五、8)
淫売をふやして淫売検挙だってさ (昭五、8)
骨壺と売れない貞操を抱へ淫売どりの狂ううた (昭十二、9)

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投稿者:木村哲也2004/12/4 17:56◇「娘」の語がある鶴彬の作品

花の東京の亀戸よ/娘っこは/年貢うらめしの/鼠泣きよ (昭九、2)
売り値のよい娘のきれいさを羨まれてる (昭十、11)

 後者は3月に発表した作に手を入れたものである。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 17:43
◇娘の身売りは本当にあったか

 『東北の歴史100問100答』新興出版社、1992
 歴史教育者協議会が編者。
 74番めの問いが、上記。回答は、伊田稔・山形。
 事実だとして、最後あたりに、以下の部分がある。
 「新聞も「身売り」防止のキャンペーンをした。石川県に生まれた川柳作家鶴彬(つるあきら)は「修身にない孝行で淫売婦」/「つけこんで小作の娘買いにくる」の作品を残し、人びとの胸をうった。」
 後者はともかく、前者の背景は、なるほど、と今さらながら納得。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 10:13
◇『没法子北京』

 ざっと見た感じでは、鶴彬を見かけない。

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投稿者:木村哲也2004/12/4 10:10
◇田辺聖子の岸本水府伝、鶴彬の分は読了

 『道頓堀』の中の、鶴彬の部分だけ独立させても、十分に価値ありと思う。
 小説家ならではの人物描写のうまさに、評論等もきちんと折り込んでいる。
 日本機関紙出版センターからの、『反戦川柳作家鶴彬』『川柳人鬼才鶴彬の生涯』は、評論について無関心だし、後者は内容も残念ながら薄い。
 評論などのまとめには、田辺の文章を置きながら読むのがいいと確信した。

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投稿者:木村哲也2004/12/3 16:29
◇『ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義』

 大貫恵美子、岩波書店、2003。
 鶴彬参考文献に挙がっていたので、取り寄せてみたが、索引にも出ず、直接の言及はないようだ。

 さて、息切れぎみながら、15日締め切りの大学の雑誌(400字30枚)には、予定していた脚韻論をやめて、「鶴彬研究序説」とし、鋭意、ブログでの記述も取り込む。

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投稿者:木村哲也2004/12/2 16:52
◇小説「砂漠の花」には

 鶴彬は、ざっと見た感じでは登場しない。
 平林たい子の自伝的小説か。

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投稿者:二健@tengu2004/12/2 2:54
◇プロレタリア俳句の名句

  川へ虹プロレタリアの捨て水は  原子公平 『浚渫船』(1955)

「無産階級の人の捨て水は、川へ虹を作るではないか」といった意味に取れる。省略と倒置で描かれたささやかな虹の象徴は、すこぶるアイロニカルだ。この手の俳句は、スローガンや観念的になるのが関の山だが、みごと詩となり、俳となりえている。中七の子音の七色が煌びやかな微光を発しているのが印象的だ。
投稿者:木村哲也2004/12/1 20:16◇ ↓は

 新日本出版社、1988年。

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投稿者:木村哲也2004/12/1 20:07
◇『日本プロレタリア文学集40 プロレタリア短歌・俳句・川柳』

 約300の、鶴彬の句を収録。全句集を編集するヒントになった。

 そして、プロレタリア「短歌」もともかく、俳句もプロレタリアで修飾されるのを知った。

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投稿者:木村哲也2004/12/1 19:34
◇『道頓堀の雨に別れて以来なり』田辺聖子

 第6章に中公文庫版でも100ページ以上、鶴彬の登場。中巻だけで600ページ。川柳作家・岸本水府とその時代、というのが、本全体の副題。1998年中央公論社刊、文庫は2000年。

 他に、『国家に抗した人々』新藤謙、子どもの未来社、2004年。水野広徳、北御門二郎、中井英夫、家永三郎と並んで、30数ページ。
 『昭和特高弾圧史1、知識人に対する弾圧 上』明石博隆他編、太平出版社、1975年。178ページに登場。
 『ミリアリア 石川の近代文学』金沢近代文芸研究会編、能登出版印刷部、2001年。川柳で唯一人5句収録。生家地図あり。

 以上、本日入荷、鶴彬情報。
 該当箇所のコピーは、サムライに郵送しました。
 
 ↓の二健さんのご指摘に感謝。
 小生の不適切さを深謝。

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posted by Jiken at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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